今月の「生きるヒント」

シリーズ 人生のチャレンジ 移住を選んだ人たち 第5回《前編》農園・レストラン経営 松木一浩さん

三ツ星レストランでサービスを極めるも キャリアを捨てて飛び込んだ、有機農業の道

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プロフィール
まつき・かずひろ/長崎県出身。 株式会社ビオファームまつき 代表取締役。ホテル学校卒業後、レストランサービスの道に進む。渡仏してパリのニッコー・ド・パリに勤務した後、東京で銀座のフランス料理支配人を経て、恵比寿の「タイユヴァン・ロブション」の第一給仕長に。その道を極めるも有機農業の道に進むことを決意するに至り、農業研修後、静岡県芝川町(現富士宮市)に移住。現在は4ヘクタールの畑で野菜作りを行っている。こだわりの農作物の価値を高めるべく、野菜セットの宅配からオリジナルの加工品の販売までを手がけ、さらには、野菜惣菜店、レストランもオープンさせる。
松木一浩のじぶん年表

夢だった仏料理のサービスの道。その頂点で、ゆきづまる

― 松木さんは、レストランサービスの道を極めた方ですよね。パリで学び、東京の最高峰のお店で第一給仕長になって。その世界をあとにして、農業の道に進んだのは、ある種の戦略だったのでしょうか。

松木さん :いえいえ、戦略というのは、まったく当てはまりませんね。自分としてはむしろドロップアウト。「もう限界だ」って思って、逃げ出したも同然ですから。

― 学生時代からの憧れを実現できたのに?

松木さん :接客は好きですよ。仕事は好きでした。駆け出しの頃なんかは、それしか考えないくらい、夢中でしたからね。私はいつも、そのときどきに情熱を傾けられるものに対しては、ものすごく一生懸命なんです。フランス料理の世界にどっぷりハマって、パリに行きたくて行きたくて、実際に行ったときは、なんでも吸収しようと思いました。東京に戻ってきてから与えられた舞台も、その道を志す人間にとっては最高のものでしたから、最高の仕事ができるよう最善を尽くしました。だけど、だんだん虚しさがつのってきて。最後はそれを抑えられなくなってしまいました。

― 虚しさ、ですか。

松木さん :最高級のフランス料理店ですから、素晴らしい食材が揃うんです。東京にいながら、パリと同じものが揃う。ドーバー海峡を泳いでいたヒラメが空輸されてきて、美しく料理され、美しく皿に盛りつけられる。食糧自給率の低い日本で、飽食の時代の象徴というのでしょうか。完全に非日常ですよね。それもひとつの文化なわけですが、毎日毎日そのなかにいる自分は、人間が生きるうえでの本質とかけ離れているのではないかと、強烈に感じるようになってきたんです。まぁ、最後の方はちょっと病んでいたかもしれません。気づくと、お金や地位、名誉とかではない世界に行きたい、田舎に行きたいって、そればかり考えるようになっていました。

どこでもいいから田舎に行きたい!

― なるほど…。いらした世界の価値観が、合わなくなってしまったのですね。

松木さん :そうそう、逆の価値観で生きたい思いが強くなってきたんですね。フランスでは、郊外に高級レストランやオーベルジュがあって、土の匂いがするようなところで素晴らしい料理を楽しむ文化がありました。それに、パリであっても、働いている人の仕事観というか…人生観と言ってもいいのかな、それが違ったんですね。こんな人に会ったことがあります。十代で三ツ星レストランで働き始めて勤続40年、サービスの道で上には行っていない、つまり出世とは無縁。だけど、そこで働いていることに誇りを持っていて、毎日を楽しんでいる。プライベートも充実していて、人生に満足していることが伝わってくるんです。豊かですよね。少なくとも自分は、東京でそういう気持ちの余裕が持てなかった。

― けれど、松木さんのように、一流になってから、方向転換するのは勇気が必要だったのではないですか。

富士山を臨む、ロケーション抜群の松木さんの畑

松木さん :37歳のとき、「この仕事を辞めて農業をやる。自分で食べる野菜を自分で作って生きていく」と職場で宣言したら、「冗談だろ」と言われました。悪い宗教にでもハマったかのように見られて、「少し休んだらどうか」と心配されました(笑)。でももう、こちらとしても限界で、どうしようもなかった。勇気とか覚悟とかいうよりも、もうリセットしよう、どこでもいいから田舎に行こう、その一心でした。

― では、今のように、畑の中にレストランをつくってお客さまをもてなすとか、そういう計画もなかったんですね。

松木さん :そんな計画、カケラもなかったです(笑)。どちらかというと自給自足のイメージでした。とにかくまずは有機栽培の野菜作りを覚えようと、研修で受け入れてくれるところに入門しました。そこで1年半、厳しい経験を積んだ後に、妻の実家があった縁で、静岡の、富士山の見えるところに越して来ました。

来てみたら、田舎は田舎で、ついていけなかった!

― 田舎に腰を落ち着けてみて、いかがでしたか。

松木さん :それがもう、カルチャーショックの連続で…。たまたま最初に住んだ地域が特にそうだったのですが、人の結びつきの濃さが想像を超えていました。高齢化しているからお葬式が多いのですが、葬儀屋さんには頼まず、自分たちで、すべて手づくりで行います。四十九日だって、仕事を休んで集まるのが当たり前。引っ越しもそう。ほかにも、お祭りだからこれをする、運動会だから走ってくれ、もう次から次にです。持ち回りで集落の役員みたいなのを務めなくてはならないのですが、これがまた大変で…。今はずいぶん変わったらしいですけどね。当時、私にとってはほとんど恐怖でした(笑)。

― 松木さんが運動会で走っている姿は、ちょっと想像がつきませんね(笑)。

松木さん :でしょう。子どもの運動会じゃないですからね。いや、そういうのが残ってるところが田舎の良さだとは思うのです。思うのですが、いざ入ってみると、私には難しすぎました。頑張ってやってはみたんですけれどね、なんというか、スタイルの違いに、どうにも埋められないギャップがありました。

農作業のときはこんな感じ

― それでどうしたのですか?

松木さん :都会が嫌で脱出したのに、都会のように放っておいてくれないかと願うのは、たぶん邪道なのでしょうね。それでも私は、自分のスタイルを変えられませんでした。野菜作りは一生懸命やりましたけど、10年経っても田舎に染まることはできないまま、今に至ります。地域には、別の形で役に立とうと考えるようになりました。


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