わたしのふるさと What is FURUSATO for you? わたしのふるさと What is FURUSATO for you?

誰しも生まれた地、育った地があります。ずっとその地で過ごす人、進学や就職を機に離れる人、転々とする人。
縁ある土地とのつき合い方は人それぞれです。「第二のふるさと」「心のふるさと」という言葉があるように、「ふるさと」は、生まれ育った地とも限らず、もしかすると、物理的な土地とすら結びつかない、その人にとって大切ななにかがある場所とも定義できるかもしれません。
あなたにとって「ふるさと」は、どんなものでしょう。

12濱田善之さん

岩手県宮古市生まれ、宮古市育ち→山形県山形市→
東京都→インドネシア・ジャカルタ→宮古市在住

岩手県宮古市生まれ、宮古市育ち→山形県山形市→東京都→インドネシア・ジャカルタ→宮古市在住

濱田善之(はまだ・よしゆき)

有限会社浜田漁業部 専務

1982年岩手県宮古市生まれ。高校まで宮古市で過ごし、山形県の大学に進学。卒業後、東京のアパレル企業に就職する。その後、家業を継ぐため、インドネシアのジャカルタへの留学を経てUターン。浜田漁業部は大正5年創業、善之氏で四代目にあたる。現在は3隻の船を所有し、遠洋マグロ延縄漁業を営む。乗組員以外はほぼ家族三代で切り盛りする家族経営で、父親である雄司氏が現代表を務める。宮古市は三陸海岸沿いに面した漁業の盛んなまちで、東日本大震災では津波による甚大な被害を受けた。

浜田漁業部公式サイト

三陸の海のまちで生まれ育ち、東京の就職先で“オラオラ系”に揉まれた

宮古で生まれ育って、ここが好きだとことさら意識したこともなかったのですが、進学で山形市に住むようになると、海が見えなくて淋しいと感じました。山形はいいところで、同じ東北だという安心感もありました。ただ、海のまちって、空気感が違うんですよね。独特の海風の感じ…日によって磯の香りがしたりして、僕はそれが好きでした。ふるさとっていいなと、離れて改めて思いました。

それでも都会に出たかったので、卒業後は東京の会社に就職します。大学時代に洋服に興味を持ったのと、いずれ家業を継ぐ前提で、いまのうちにしかできない仕事をと考えて、アパレル企業にしました。原宿、新宿、立川の店舗で一年ずつ、計三年、販売の仕事をしました。きつかったです。僕の配属されたブランドは、なぜか体質が、いわゆる体育系というか、“オラオラ系”で(笑)、同期はみんな、耐えきれず短期間で退職。売り上げは良くなかったものの根性だけはあった僕は、三年目には副店長になっていました。

一年生活したインドネシア。いまも深い縁

ジャカルタ時代、インドネシア人乗組員人材派遣会社にて、同オフィスの皆さんと(右から4番目が濱田さん)。

そうこうしているうちに父親から帰って来てほしいと言われ、東京をあとにしました。ところがUターンするとすぐ、海外に行けと。「中国と台湾とオーストラリア、どれがいい?」と聞かれてオーストラリアと答えたのに、ふたを開けたらインドネシア行きが決まっていました(笑)。ジャカルタにある、日本の漁船に乗るインドネシア人乗組員を派遣する会社に、インターンシップのような形で送り込まれた感じです。東京に出たときも人の多さに面食らいましたけど、ジャカルタではそれ以上にカルチャーショックを受けて、苦労しました。なにより、口に合うものがなくて…。毎日ナシゴレン(インドネシア風チャーハン)ばかり食べてましたね。あちらで友だちになった日本の商社勤務の人と週一で日本食レストランに行き、納豆巻きを食べるのだけが楽しみでした。インドネシア大学で外国人向けのインドネシア語コースに通い、だんだん話せるようになり楽しくなったころ、父親から戻るよう言われました。結局一年くらいの滞在でしたけど、インドネシアとはいまも仕事で縁が深く、言葉も役に立っています。というのも、うちに限らず遠洋漁業の乗組員は、日本人がどんどん減って外国人の割合が増えていて、そのほとんどがインドネシア人です。真面目で働き者な彼ら抜きでは、成り立たなくなっているんです。

遠洋マグロ漁船に一年間乗ると、平均的なインドネシア人の数倍の収入が得られます。多くはイスラム教徒である彼らは、富める者がほどこしを行うことや、家族を支える意識が高くて、給料は親戚のためにも使われます。それだけ、自分の肩にかかっているという気持ちも強いのでしょうね、本当に熱心に働いてくれます。日本語の上達も驚くほど早いです。日本人乗組員は、いよいよ船が日本に近づいて見えてくると沸き返るものですが、そこはインドネシア人も同じだと思います。みんな、久々に自国の地を踏むと、「帰って来た!」となる。帰るところ=ふるさと、なんですね。

震災の津波より、防潮堤がふるさとの景色を失わせた

後ろに写っているのが311のあと建設された防潮堤。明治と昭和の時代にも大津波に襲われた宮古の田老地区には、10mの防潮堤が整備され、「万里の長城」と呼ばれた。今回つくられたものも同様の高さ。311の津波が「万里の長城」を超えて押し寄せ、甚大な被害をもたらしたことから、防潮堤そのものに賛否がある。

地元の良さは、離れてわかったというのもありますが、東日本大震災が大きかったです。当たり前に思っていたものが当たり前ではなかったことを知った、最大の体験ですね。津波にさらわれた景色を見たときは、大きなショックを受けました。幸運にも家族は無事でしたが、流されず残った会社や実家も、一階部分は全部浸水しました。一帯の景色もがらっと変わってしまいました。だけど宮古は、海と共に生きてきたまち、津波も、昔から何度も経験してきたまちです。僕は311当日はたまたま東京出張中で、それまでの津波についても伝え聞くだけですけれど、家庭や学校で、繰り返し聞かされて育ったので、「自然とはそういうものだ」と、どこか受け入れている部分があります。だから、津波より、防潮堤なんです。

震災後の大規模工事で、海岸線にぐるりと、威圧感のあるコンクリートの防潮堤ができて、海が見えなくなってしまいました。海との距離感が変わってしまった。ふるさとの風景を奪われてしまったと感じる人は、地元には、僕のほかにも少なくありません。防潮堤がありさえすれば安全ということもないのに、その存在ゆえに津波から身を守るための言い伝えも機能しなくなってしまうなら、なんともやりきれないですね。ここに住みたいと思う人を、かえって少なくさせてしまったのではないかと思うとつらいです。

アイデンティティとしては「東北人」

濱田さんお気に入りの地元寿司店のひとつ、「すし処若尾」の大将と。

震災を経て、仲間意識のようなものが強まった面もあるかもしれませんが、僕自身はもともと、アイデンティティとしては「東北人」ですね。もちろん、宮古や岩手にも愛着はありますけれど、青森でも山形でも、同じ「東北人」という感覚です。高校野球では、甲子園で岩手が負けるとほかの東北のチームを一番に応援します。

三陸というくくりでは、仕事でたびたび赴く宮城県の気仙沼にすごく親しみを感じています。車で1時間半あまりの距離ですが、こちらは旧南部藩、あちらは伊達藩。このあたりの人にしかわからないでしょうけど(笑)、この違いは結構ありまして。あちらは気質的に、豪傑というか、自己主張をしっかりとしながら、外に対してオープンなんですね。三陸の人は閉鎖的だったり、我慢強い傾向があったりで、震災の支援の受け入れに対しても控えめになりがちでしたが、気仙沼は違いました。宮古以上の被害を受けながら、さまざまな支援をどんどん受け入れて、精力的に協働して。「漁業と観光で食ってくんだ」という、まちとしての気概があります。そんな様子を横目で見ながら、正直うらやましかったです。復興やまちづくりのお手本のような存在でしょうか。僕たちの世代では、憧れるばかりでなく、宮古も負けないように盛り上げていかないといけませんね。

ふるさとのお気に入り

宮古市

by濱田善之さん

  • 寿司

    春はワカメ、夏はウニ、秋はサンマ、冬はサケやタラ。ドンコのような珍しい地魚も口にできます。鮮度がいい、前浜の魚が食べられる、だけではなく、海産物の種類が豊富なんです。こればっかりは気仙沼の人もうらやむほどで、宮古では、四季を通じていろんなネタが楽しめます。チェーン店ではない寿司屋がいっぱいありますよ。

編集後記

311当日、濱田さんと、浜田漁業部の代表を務めるお父様は東京にいました。一年分のマグロを積んだ浜田漁業部の船・清福丸の、東京での水揚げを控えていたのです。一年近く日本を離れての遠洋漁業ですから、水揚げの日は最も重要な日。震災の混乱の中、家族の無事が確認できたお父様はそのまま残り、濱田さんは宮古に向かいます。使える交通機関や道路を経由、新潟の取引先で車を借りるなどして、やっとたどり着いた宮古のまちは、津波で変わり果てていました。そんな被災地の方が、津波よりも防潮堤がふるさとの風景を失わせたと語るのを聞き、なんとも複雑な思いが残りました。

(取材・文:小林奈穂子)


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