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わたしのふるさと

わたしのふるさと What is FURUSATO for you? わたしのふるさと What is FURUSATO for you?

誰しも生まれた地、育った地があります。ずっとその地で過ごす人、進学や就職を機に離れる人、転々とする人。
縁ある土地とのつき合い方は人それぞれです。「第二のふるさと」「心のふるさと」という言葉があるように、「ふるさと」は、生まれ育った地とも限らず、もしかすると、物理的な土地とすら結びつかない、その人にとって大切ななにかがある場所とも定義できるかもしれません。
あなたにとって「ふるさと」は、どんなものでしょう。

6平野啓一郎さん

愛知県蒲郡市生まれ、福岡県北九州市育ち→京都府
京都市→フランス・パリ→東京都在住

愛知県蒲郡市生まれ、福岡県北九州市育ち→京都府京都市→フランス・パリ→東京都在住

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)

小説家

1975年愛知県生まれ。2歳から高校を卒業するまで福岡県北九州市で過ごす。京都大学法学部に在学中の1999年に『日蝕』で第120回芥川賞を受賞。以後、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年に文化庁の「文化交流使」として一年間パリに滞在。2008年からは三島由紀夫文学賞選考委員を務める。2016年刊行の『マチネの終わりに』(毎日新聞出版)が21万部を超えるベストセラーに。映画化され、2019年に公開予定。2018年に発表された長編『ある男』(文藝春秋)も6万部を突破、第70回読売文学賞を受賞。

平野啓一郎公式サイト

「ふるさと」とは、複雑なもの

生まれたのは愛知県の蒲郡市ですが、記憶はありません。父親を亡くし、2歳半で母方の実家がある北九州に越して、高校卒業まで過ごしました。大学進学で京都に行き、京都に10年、そのあと1年のパリ滞在を経て、東京も、もう10年以上になります。自分のふるさとがどこかと問われれば北九州なのでしょうが、「ふるさと」という言葉はあまり使いませんし、昔学校で歌った唱歌のような、ふわっとしたノスタルジーの対象としてのふるさとのイメージではないですね。工場の街ですから、いろんな人がよその県から働きに来てましたし、それと昔から住んでる人たちとが混ざり合ってましたね。明るくて、しゃべり好きで、カラッとした気質の人が多いかな。

ふるさとというのは、なかなか複雑なものだと思うんです。一種の運命として、ある土地で生まれ育つわけですから、幸福な人もいれば、差別を受けたり、家庭環境が恵まれなかったり、と、口にしたくない場合もありますよね。それに、僕はたまたま、父方も母方もずいぶん前から日本列島にいた家系みたいですけど、例えば僕の将来の孫なんかが、「日系」の移民としてどこか別の国に住むようになったとしても、ぜんぜん驚きません。子どもが大きくなって留学したとして、そのままその国に就職して、そこで好きな人でもできれば、日本に帰らないという選択もあるでしょう。日本にも移民の人たちが今後増えてゆくでしょうし、これからは、出身がどこかという話も、どこまで重要なんだろうかと考えることもあります。

地方で、文化的なものに対する飢餓感が強かったから

1999年、23歳のときに『日蝕』で第120回芥川賞を受賞。当時最年少の芥川賞作家が、茶髪にピアスであったことでも話題になった。

北九州には、いまも母や親戚がいるので、盆と正月には帰っています。工場と、海と山とがあいまった風景の町で、なつかしんで感傷的になることもあります。でも、子どものころは、どっか別の世界に住むことに憧れていました。中学生のころ三島由紀夫にはまって、読書をしているときは高揚感がありました。あと、洋楽が好きでした。学校では、CDを友だちに貸しまくって、大分感化しましたし(笑)、エレキギターを弾いて、バンドをやったりしていました。でも、文学の話は、ほとんどしませんでしたね。文学とか音楽、映画のような、僕の好きなものは北九州の外から来るイメージで、それらがあったから、十代のころは自分を保てたと思います。文化的なものに対する飢餓感が強かったからいまの自分があるんでしょう。精神形成してゆくときに、東京ではなく地方にいたのは大きかったと思います。

高2のとき担任の先生に、「お前は変わってるから、東大より京大に行け」と言われました。福岡なので、九大(九州大学)を目指す生徒が多い中で、言われて初めて、自分の学力が全国的にそういうレベルにあると意識しました。その後模試のときに志望校を「京都大学」と書くようにすると、確かにA判定が出て、ああ、そうなのか、と。ひとつには、京大の校風が自由だと聞いて魅力に感じました。もうひとつは、バブルの時代の東京の様子を見て、東京への反発心がすごく強かったんです。ああいう世界で生きたくないし、ああいう大人になりたくない、と。だから、東京に行くなら京都のほうが良かったんです。

東京の住み心地をどう良くしてゆくかは日本の課題

京都はいまでも好きです。大人になってから暮らした街ですし、楽しかったですね。排他的だと言われがちですけど、京都にもいろんな顔があります。僕は一度も嫌な思いをしたことがありません。東京は、どうですかね。……妻の仕事や子どもの学校のことがありますし、自分の仕事においても都合がいいからとりあえず住んでますが、疲れる街ではありますね。自由にどこかで暮らせるとすればですか?うーん、メルボルンとか(笑)。行ったことないですけど、世界の住みやすい都市ランキングでよく一位になってますよね。僕には田舎暮らしへの願望はないので、これまでも、都市で、それもできるだけ中心地に住んできました。面倒くさがり屋なんで、まず、電車でも車でも移動が嫌なんですよ。作家になって良かったと感じるのは、通勤がないことと、夏に半袖半ズボンでランチに出かけられることです。

地方の発展も大事ですけど、東京の住み心地をどう良くしてゆくかも、日本の課題でしょうね。アジアの新興の都市に比べて活気がないし、インフラもくたびれてる。政治の中心地なので、もろに影響を受けるのも疲れる原因ですね。オリンピックみたいな短期的なことではなくて、もっと長期的なデザインのビジョンが必要です。それから、東京では、子どもが得られる経験のバリエーションが狭まります。家庭やエリアによるにしても、有名校に入れるべく子どものころから血眼になって勉強させるのは東京の特殊なところですよ。子どもには、子ども同士で放っておかれる時間の中で、コミュニケーションを取りながら工夫して遊ぶことのほうが大事だと思うんです。それから、いろんな価値観に対して柔軟でオープンな環境であること。AIの登場で、これから相当な変化が起きるでしょう、子どもたちに与えるものについても、そんな時代を生きてゆくための力に本当につながるのか、真剣に考えたほうがいいと思います。

北九州育ちだからおしゃべり。そして暴力が嫌い

小説のほかにもエッセイや対談などの著書がある平野さん。文学や音楽、政治のことなど幅広い関心分野に対して発言するツイートでも、いまの言葉に触れることができる。

北九州で育ったからこその部分はやっぱりありますよね。うちに限っていえば医者とか歯医者の家系でしたけど、地域には工場で働く人が多くて、その場合ほとんどが共稼ぎでした。父がいなかったので当然、母は働いていましたし。良妻賢母だとか、母親は家にいるものといった考えをまったく持たないのは、環境のお陰ですね。そういう反動的な意見を目にすると、どういう世界で育ったのかと奇異な感じがします。あとは、よくしゃべるところじゃないですかね。北九州の人ってよくしゃべるんですよ。僕も、子どものころから鍛えられました。正月の帰省で親族が集まっていると、妻なんか圧倒されてますから。みんなが「わーーーっ」ってしゃべってて、勇気がないと永遠に自分の話を聞いてもらえないんですよ(笑)。僕はそういう北九州の中でも、特によくしゃべる子でしたね。中学高校では朝、ホームルームが始まるまでの時間に、決まって6〜7人が周りに集まってきてました。なんだかんだとしゃべっては、みんなを笑わせてから一日が始まるんです。ものを書く人間ですからね、元来言いたいことがいっぱいあるんですよ。

北九州は、ガラが悪いと思われがちで、確かに昔は荒っぽいところもありましたよね。僕が暴力が嫌いなのは、キレイ事ではなくて、子どものころに暴力的な人間が威張ると、どんな弊害があるか骨身に染みているからです。理屈が通じないというのは、恐ろしいです。いまの政権が沖縄なんかにしていることも、暴力的じゃないですか。すごく嫌ですね。こういう時代だからこそ、文学を求めている人は多いと思うんです。人がなにに苦しんで、どう生きるべきかをしっかり考えてゆけば、それを読みたがる人は必ずいると思っています。文学にしろアートにしろ、いまはより切実に求められているんじゃないですかね。

ふるさとのお気に入り

北九州

by平野啓一郎さん

  • 遠浅のきれいな砂浜があって、家族でお弁当持って夕日を見に行ったり、よく遊びに行きました。魚はやっぱりおいしいですね。最近では東京からわざわざ食べに行く人もいるお鮨屋さんもできたみたいです。

編集後記

端正な文章、深い物語。作品を通して勝手ながらイメージしていた平野さんと、目の前でお話しくださる平野さんは結びついても、「人一倍よくしゃべる平野少年」は意外でした!子どものころより聡明でいらしたのは間違いなさそうですが、かねてより天才ではないかと思っていた方の、そんな少年時代を想像するのは楽しかったです。それから、「ふるさと」とは複雑なものだとのお話。2018年刊行の『ある男』には、まさにそこに重なる人物が出てきます。まったくの別人を生きようとした“ある男”。切なさと共に、感慨深くお聞きしました。

(取材・文:小林奈穂子)