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今月の「生きるヒント」

シリーズ 人生のチャレンジ 移住を選んだ人たち 第20回《後編》山腰 眞澄さん

勝ち組キャリアを捨てて夢の移住を果たしたのち、一年を待たず逝った夫。絶望を乗り越え、奄美で生きる。

前編はこちら

プロフィール
やまこし・ますみ/東京都出身。東京でありながら自然豊かなエリアで育つ。中高一貫の名門女子校に通いつつ、自由な校風の下、ハードロックに目覚めてガールズバンドを結成。短大卒業後にOLを経て外資系の経営コンサルティング会社に就職。バブル絶頂期、ハードな下積みののちにコンサルタントにキャリアアップ。30歳で上司だった男性と結婚。早期退職&田舎に移住をめざし、力を合わせ貯蓄に励む。国内外をまわった末に、奄美大島を移住先に定め、計画通り早期リタイア。移住を果たし、念願の生活をスタートした矢先に最愛の夫を事故で失う。失意のどん底を経験するも、奄美の人と自然に癒され、島で生きると決める。会社を設立して移住支援サイトを立ち上げて、現在も奄美のために活動中。奄美群島移住支援サイト ねりやかなや

夫のいない現実を受け入れるまで5年。それでも奄美で

 

― それまでご縁のなかった新しい土地に、おひとりになられて…だけど、ここに残る選択をされたんですね。

山腰さん:直後はなにも考えることができませんでしたが、「彼はここにいる」と思ったんです。実家があり友人も多い東京に帰る選択肢もあったのでしょうが、自分も、夫のいるこの場所にいるほうが自然に思えました。

― 思わぬ事故で亡くなられた地にとどまることで、よけいにつらい思いをされることはありませんでしたか。

山腰さん:いえ逆に、私自身も、それから彼にとっても、東京でなくて良かったと心から思っています。奄美に来てからは、お互いの目に映るお互いが変わったように感じていました。東京では週末婚状態だったと言いましたけど、仕事中心の生活だったので、どこかピリピリしていたのでしょうね。奄美で夫の顔がすごく温和になったんですよ。

― 奄美で、おふたりで、それまでとは違う時間を過ごされて、それまでと違うお互いに出会われたのですね。

山腰さん:海での遊びはもちろん、ご近所さんと家で宴会したり、近くのお店に連日集ってワイワイしたり、どれもこれも東京ではできなかったことばかり。夫も本当に楽しそうでした。短くとも濃密で、かけがえのない時間を一緒に過ごすことができて、ここに来られたことには本当に感謝しています。

― あぁ、それは良かった…。山腰さんご自身も、難しい時間を過ごされたわけですが、ここで、少しずつ心を癒すことができた。

山腰さん:はい。ここでだから立ち直ることができたんだと感じています。夫婦で親しくしていた地域の人たちが、なにかにつけて気にかけてくれたんです。夫を亡くした直後の私はひどい状態で、眠れないし、手が震えて運転もできないし…。そんなとき、食事を運んで来てくれる人もいたし、車に乗せてくれる人もいたし、本当に助けられました。

花に囲まれた、ご主人の遺影。明るいリビングルームに飾られており、本当に、今もご一緒にいらっしゃるようだった。

― そんなに苦しい中で、まだまだつらかった時期に会社を立ち上げて…。なかなかできることではありません。

山腰さん:夫の死を受け入れて、立ち直ったと言えるまでは、本当は5年くらいかかったんです。でも、あのまま皆さんの気持ちに甘えていると、自分が地域のお荷物になってしまうと感じたんですよね。ここにいたいなら、い続けるなら、なんとかしないといけないと思う気持ちに加えて、振り返れば、長年コンサルタントとしてやってきたからこその客観的な現状把握能力みたいなものが働いたのでしょうね。バタバタと会社を立ち上げて、運営する移住支援サイトも、彼が亡くなって約半年後にはオープンしました。

移住支援サイトは、ライフワーク

奄美大島のビューポイント「宮古崎」。景勝地でも混雑することはなく、島ののどかさが感じられる。

― 移住支援をビジネスにすることは、すぐに思いつかれたのですか。

山腰さん:まず、就職して再び組織の中で働くことより、会社を立ち上げるほうがイメージしやすくて。移住後の暮らしを綴っていたブログにそこそこの閲覧があったので、興味のある人がそれなりにいると踏んで、移住支援サイトを思いつきました。なにか地元に資することをとの思いも少なからずありましたが、「そんなのビジネスにはならない」というのが大方の意見でしたね。わたしも、ダメならそのときはそのときだという気持ちでした。

― 結果的には、そのサイトがビジネスにもなったのですね。

山腰さん:お陰さまで。移住支援サイトはライフワークと位置づけています。たくさんの人たちを巻き込んで、奄美の、ネット上の発信基地として役立ちたいですね。奄美群島へのアクセスや地元の物件、仕事情報を掲載しているほか、移住体験プログラムを提供したり、ローカルツアーの募集をしたりもしています。名産の柑橘・タンカンの季節になると、流通に乗らなかった不揃い品を売るんですよ。これが思いのほか好評で、1トンがあっという間に予約で完売!

― すごい。

山腰さん:面白いでしょう。ちょっとでも、行政に頼らない経済モデルをつくりたいんです。ここでは、その行政をはじめ、いろいろな人がいろいろな形で、私のそうした思いに共感して、協力してくれる。本当にありがたいです。

― 山腰さんはやっぱり、パワフルですね。

山腰さん:今だから言えるのかもしれませんが、嘆いている毎日はイヤですもん。

シロアリの大群がきても、プライバシーがなくても

― 環境にはすっかり慣れましたか。

山腰さん:慣れましたけど、なかなか激しいですよ。

― 自然環境では、やっぱり台風が。

山腰さん:台風も並みじゃないですが、同じくらい驚いたのが虫!

― 虫!

山腰さん:一番驚いたのがシロアリ。梅雨時期になると、山から大群が飛んでくるんです。衝撃的ですよ。煙幕みたい(笑)。

― えーー、シロアリの煙幕…!

山腰さん: ほかにも、色とりどりの毛虫とか、見たことのない虫が豊富で(笑)、こっちに来てから昆虫図鑑を買いました。

― たくましい…。

山腰さん:いえいえ、虫は苦手だったんですよ。だけどそんなこと言ってられない激しさなんですもん。なににせよ自然にはかないません。

― そうですね。社会的なほうの環境…人間関係などはどうですか。

山腰さん:田舎は人間関係がどうのとか、よく言うじゃないですか。でも、自然の驚異の前には、たいしたことないと思ってます。自然のほうが容赦ないですよ。その中で、どうやって楽しくやるかが勝負です。こっちの人はね、台風が直撃して停電になったら冷凍庫の中のものがダメになるから、冷凍されているもののうち高いのから、先回りして順に食べるんですよ。寄り集まって宴会したりして。

― あはは。なんかいいですねぇ。逆らわず、楽しんでしまう。

山腰さん:でしょう。人間関係のことを言えば、私はここに来て、プライバシーなんかないってことがわかりました。どこに行ってなにをしたか、たちどころにバレてる(笑)。これがダメな人は3年もちませんね。だけど取り繕う必要がないんだということは、開き直ってしまいさえすれば気楽なことでもあるんですよ。

ご自宅の目の前がこの海、この景色!この日は梅雨の晴れ間で、山腰さん曰く「季節によってはもっともっときれいですよ」

― 山腰さんには、奄美が合っていたのかもしれませんが、山腰さんなら、どこに行っても楽しめた気もします。

山腰さん:どうでしょう。そうそう、私、すごいアレルギー体質で、紫外線を浴びるとひどい湿疹が出ていたし、蚊に刺されただけでも3ヶ月治らないし、花粉症にいたっては、週に一度は注射しないと生活もできないレベルでした。それが奄美に来たとたん、ひとつも出なくなったんです。魔法みたいでしょ。東京がダメだったのでしょうか、それともやっぱり、奄美が合ってたのでしょうかね。

山腰眞澄さんの「生きるヒント」さんの生きるヒント『あきらめない』なにかを変えたくて、変えようと努力しても変わらないこともあります。それでも私は、あきらめるより、変えようと努力するほうを選びたい。「人生、あきらめたときから年をとる」というのが私の持論。ポールマッカートニーを見て思ったんです。70歳を過ぎても、素晴らしい公演をやってのける!奄美で開催されているシーカヤックのマラソン大会で、最年長の参加者は80代ですよ。体力が落ちたって、それに応じた体の使い方をすれば、きっとかなりのところまでやれるんです。こちらで人生観に最大の影響をおよぼしたのは、地元の人の若さ!海や山の恵みを採取して、一手間、二手間かけて糧にする。テキパキとこなす姿を見て、人間、85歳以下は高齢者じゃないと思うようになりました。