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今月の「生きるヒント」

シリーズ 人生のチャレンジ 移住を選んだ人たち 第18回《前編》イラストレーター 安斉将さん

イラストレーターが青森でパフォーマーに転身?馬のかぶりもので、人々をアートの世界に

後編はこちら

プロフィール
あんざい・まさる/神奈川県出身。子どもの頃より絵を描くのが好きだった。高校で一度絵の世界から離れたが、美大に進学。漠然と「クリエイティブなことで名を成す」ことを目標に工業デザインを学び、外資系家具メーカーでバブルを謳歌。「好きだし、楽に稼げていい」と考え、独立してイラストの道に進むも、すぐにそれほど甘い世界でないことを知る。独立して約4年、20代後半から安定的に仕事を得られるように。マガジンハウスをはじめ大手出版社の仕事を中心に、ディスプレイやライブペインティングなど紙媒体以外も手がける。2010年に青森県十和田市に移住。翌年より八戸工業大学非常勤講師。「ウマジンプロジェクト」で2014年度のグッドデザイン賞受賞。 安斉将公式サイト
安斉将さんのじぶん年表

生まれ育った都会が窮屈になり、43歳で青森に

― ここ、青森県十和田市は、奥さまのご出身地なのですね。

安斉さん :そうです。僕自身は生まれも育ちも横浜で、ほかは東京しか知らないような人生でした。妻の帰省で一緒にここに来るうちに、「いいところだなぁ」と思うようになって。

― 都会っ子の安斉さんが惹かれたのは、十和田のどんなところでしょう。

安斉さん :自然の豊かさもですが、十和田が美術館を中心としたアートの町づくりをしようとしていたので、ちょうど自分にマッチすると思いました。都会を窮屈だと感じていたというのもあります。

― 窮屈。

安斉さん :密度が高くてこまごま、ぎちぎちしてますよね。それに、景気が良くないのが続いたからでしょうか、業界内に漂うチャレンジしにくい空気みたいなものにも、閉塞感を覚えていました。新しいものを生み出したくて始めた仕事なのに、それでは面白くないじゃないかと。僕がしているような仕事だと特に、人と会わなくてもできる時代になったのだから、無理して都会にいる必然性もないかな、と思うに至りました。

― 安斉さんは、都会ならではのセンスとも言える、カルチャー雑誌などを中心にお仕事をされていますよね。ご自身の創作を司る、いわゆるクリエイティビティへの影響を含めて、不安はありませんでしたか?

町のシンボル的存在、外に開かれた、十和田市現代美術館。

安斉さん :ありました、ありました。周囲にも、「なんでまた青森なわけ?」のような反応が多くて、都会を離れてできる仕事ではないと言われましたね。それを差し引いてもなお、こっちに来てやってみたい気持ちが勝ったので、覚悟を決めて都会をあとにしてきた感じです。

― かなり迷われましたか。

安斉さん :うーん、どうでしょう。最後は「えいっ、やー!」ですかね。あとのことは考えないで、もう行ってみちゃえ!と。「東京の時代はもう終わりだ、都会はもうダサい」だなんて言い訳を並べて、自分を鼓舞しました(笑)。

移住後は、新たな展開が待っていた

― 実際に移住されてみて、どうでしたでしょう。

安斉さん :覚悟のうちのひとつに、仕事が減るというのがあったのですが、そこは幸い、予想に反して変化なくやれています。クリエイティビティの面では、実は変化があって、今も悩みながらやっているところです。

― 悩みながら、ですか?

安斉さん :こちらに来てみたら、絵が負けちゃう感覚がありました。空も、人の住む家も大きいし、生命エネルギーとでも言えばいいのでしょうか、そういうのも強いんですよ。代官山の建物の中に展示するとしっくりきていた自分の絵が、こっちで見たら神経質に感じられました。その神経質さが、都会のセンスを象徴しているのかもしれません。でも、僕自身がよりシンプルになってきたせいか、都会にいるときはカッコいいと思っていたものを、そう思わなくなってきたんですね。だから、まだ悩み中です。

― なるほど。アーティストらしい悩みがあるのですね。クリエイティビティと別の、生活面ではいかがでしょうか。

安斉さん : 来る前はそれも心配してました。アーティストとしては、なにかをやろうとしたとき、東京のような複雑なところより埋もれることも少なくて、手応えがあるのではないかと踏んではいたのですが、そうは言っても未知の世界。いざ来てみたらぜんぜん合わないなんてこともあるかもしれないですよね。よく耳にする地方の閉鎖性も不安でした。不安でしたけど、結局、僕は案外打たれ強いタイプだから大丈夫だと思うことにしました。「嫌われたって平気だ」ってことにしようと。ところが今に至るまで、順調すぎて自分でもびっくりしているくらい。すっかり楽しくやれています。

― すんなり地域にとけ込めた。

十和田市内の「松本茶舗」のご夫妻は、アートにも造詣が深く、世界的な作家との交流も。こちらの店舗の一角に安斉さんがスペースを借りている。

安斉さん :僕はアナログなほうなんですけれど、移住したら都会とのつながりが切れてしまうのは困ると思い、若い知り合いにツイッターを教わったんです。その覚えたてのツイッターで、先に十和田の人とつながったことをきっかけに、移住後すぐ、地元に活動拠点ができました。十和田市現代美術館での個展もトントン拍子で決まって…。

― 「 Umagin(ウマジン) 」のような面白いこともなさってますもんね。

安斉さん :個展の最終日直前に東日本大震災が起きたんですね。ウマジンは、地元の青年会議所から、十和田市秋まつりで震災の義援金を集めたいから、そのためになにかつくってくれないかと依頼されたことを発端に生まれました。馬産地としての十和田とアートの町としての十和田、この新旧のイメージを融合させてつくった着脱式の馬型オブジェが、お祭りで話題になったんです。

「ウマジン」拡大中。自らパフォーマンスも

十和田湖畔の足湯に浸かってくつろぎ中のウマジン。

― そういうきっかけだったのですか。一度見たら忘れないですし、話題になるのはわかります。着脱式馬型オブジェって…、シュールというか、ナンセンスというか(笑)。誰でもかぶるだけで、というところが素晴らしいですよね。

安斉さん :みんながワクワクドキドキできて、笑いがこぼれるものにしたいと思ったんです。十和田市秋まつり2年目から、これをかぶった100人でのパレードが行われるようになりました。最近は普段からこの姿で飲みに行くことも。

― 100人でのパレードも圧巻ですが、お祭りでもないのにこの姿で飲みに…。

安斉さん :はい。僕を含め、だいたい7~8人のメンバーがやってまして、ひとりでやるツワモノもいます。たびたび出没を重ねていた十和田の飲食店には、もはや驚かれなくなりました。青森市では、「ちゃんと冷たい目で見られた」との報告がありましたけど(笑)。

― あはは。では、十和田では「安斉さんといえばウマジン」が定着してますか。

安斉さん :最初はきちんと「横浜からやって来たイラストレーター」などと紹介してくれていたのですが、最近は「ウマジンでおなじみの…」になってしまいました。これをアートと認識していない人のほうが多いくらいなので、変なおっさんと見なされそうで困るのですけれど(笑)。

― あははは…!ところで、ウマジンによる安斉さんへの経済的なメリットはあるのですか。

安斉さん :今のところほとんどないですね(笑)。もともとオープンなやりかたをしたくて、組立図面も公開していたくらいなので。もっとも、ここまで人気者になるとは思っていませんでした。グッドデザイン賞までいただいて、思いがけず順風満帆ですね。最近では県外にもウマジンが出没しているようです。スノーボードをする動画を見たこともあります。

― 安斉さんご自身も、かぶって飲みに行かれるほか、パフォーマンスもなさっているのですよね?

安斉さん :はい。イベントでスーツ着て踊らされたり…。

― やらされてる感を前面に出された口調ですが(笑)。

安斉さん :こっちに来てから若い仲間が多くて、ついて行くのがときどきちょっとキツイんです(笑)。進んで踊ったりするタイプじゃないのに、やらないと示しがつかない感じで…。