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今月の「生きるヒント」

シリーズ 人生のチャレンジ 移住を選んだ人たち 第14回《前編》ベンチャー起業家 阿部裕志さん

大企業をあとにして、離島で起業。手にしたのは、「楽ではないけど楽しい」思い出多き人生

後編はこちら

プロフィール
あべ・ひろし/愛媛県出身。愛知県で育ち、京都大学大学院(工学研究科)修了後、トヨタ自動車入社。エンジニアとして将来を嘱望されたが、現代の資本主義に限界を感じ、新しい生き方に挑戦しようと入社4年目に退社。小笠原諸島への旅を経て、島根県隠岐郡の離島にある海士町に移住。持続可能な社会のモデルづくりをめざし、2008年、仲間と(株)巡の環(めぐりのわ)を設立。地域を守り、盛り上げる「地域づくり事業」のほか、地域を理解し地域から学ぶための「教育事業」、地域の魅力ある商品について発信する「メディア事業」を手がける。起業家としての活動の傍ら、自らも自然と共にある暮らしの実践を目標にしている。 巡の環公式サイト
阿部裕志さんのじぶん年表

トヨタを辞めて、島根の離島に渡る

― 海士町は、地域づくりの取り組みが全国的に知られていますね。阿部さんの会社、「巡の環(めぐりのわ)」の果たしてきた役割も大きいと思いますが、移住前から地域おこしの事業を計画されていたわけではないのですね。

阿部さん :はい。計画はありませんでした。意気投合したIターン組と巡の環を立ち上げたのですが、ビジネスモデルもなく起業してますから。ふつうに考えるとまっとうじゃないですよね。とはいえ、トヨタを辞めて、さしたるアテもなく離島に来るのもまっとうとはいえないだろうから、「まぁいいか」と開き直って、始めちゃいました(笑)。

海士町に来て間もない頃、島外の人向けのイベントで。一緒に写っているのはお世話になった地元の漁師さん。

― なるほど(笑)。起業に踏み切ったのはどのようなモチベーションからだったのでしょう。

阿部さん :僕が初めてこの島に来たのは、トヨタに在職中の、2006年の12月でした。同期の女性の、当時の彼氏…今は結婚してふたりとも海士町在住ですが、その、彼氏だった岩本悠くんから、「海士町では、島まるごと持続可能な社会をめざしているんだ」と聞いて、すごく興味を引かれました。岩本くんは以前ソニーで人材開発に携わっていた人物ですが、僕より一足早くIターンを果たしています。来島したとき僕は実際に、この島をいかにして良くするか、みんなが囲炉裏を囲んで話し合いをする場を目の当たりにすることになりました。大人が本気で学園祭をやるようで、胸が躍ったんです。高校時代の、楽しかった学園祭の記憶が蘇ってきて、僕ももう一度、力を合わせて同じものをめざしてみたいと思いました。

― 移住を決断するまでは早かったのですかね。

阿部さん :初来島から半年後の、3度目の来島のときには、役場のかたに「住みたいです」と伝えていましたね。その数ヶ月後に面白いふたり組に出会い、一緒に海士町で起業しないかと誘われたことで、移住する時期が本格的に定まりました。

浪人時代の挫折を機に、真の生きる力について考えた

― ご家族をはじめ周囲の反応はどうでしたでしょう。一般的にいえば、特にご両親からすると、京大の大学院から日本で一番大きな企業に就職した息子が離島に単身移住するというのは、それなりに衝撃的な話だったように思うのですが。

阿部さん :両親は諸手を挙げて賛成こそしませんでしたが、そこまで反対もしませんでした。父は自分の力で生きてゆくことを大事にしてきた人で、転職も多かったんです。だからでしょうか。一番応援してくれたのは、船乗りであり農業もやってきた愛媛の祖父です。「今の時代はおかしくなっている。お前がやろうとしているのは、すごくいいことだ」と言って、理解してくれました。やっぱり嬉しかったですね。職場では止められましたけど、そこまで育ててきた、これからという人材が会社を去ると言えば、ふつうはそうですよね。でも、僕の気持ちを真剣に聞いてくれた上司には、とても感謝しています。一方、友人たちの反応は「阿部ちゃんらしいね」が多くて、あんまり驚かれませんでした。

― 阿部さんは学生時代から、農業やアウトドアに関心が高かったのですものね。

阿部さん :そうなんですよ。もともと自然と共にあるあり方や、自給自足に憧れていて、大学では、有機農業研究会やアウトドアサークルで活動していました。トヨタに就職したのは、新卒でいきなり自給自足をめざしても、それはそれでリアリティがないように思ったからです。

― 社会勉強というか。

阿部さん :そうですね。社会経験もない自分が、「別の価値観で生きよう!」なんて周りに呼びかけても説得力がないよな、と。それに、大学ではロケットにも使われるチタン合金の研究をしていたのですが、海外をバックパックで旅しているとき、どんな環境でもランクル(トヨタの大型4WD「ランドクルーザー」)が一番壊れにくいとの評判を聞いて、そんな技術を持つトヨタなら、いつか小さな頃からの夢だったロケットも、民間でつくれるかもしれないと思ったんですね。リクルーターのかたが魅力的だったことも手伝って、入社を決めました。

あちこち旅した中でも思い出深いという、2000年夏の東南アジア自転車の旅。

― そうでしたか、それでトヨタに。そもそも阿部さんが自給自足を志向するような学生になったのには、なにかきっかけがあったのですか。

阿部さん :自由な校風の高校に入学して、自由に遊びほうけていたら、志望校の受験に失敗したんです(笑)。一方、当時つき合っていた彼女は現役で合格。悔しくって、そこから取り憑かれたように一日十数時間も勉強して、ついに体をこわした(笑)。ストレスで、腎臓、肝臓、膀胱が一度にこわれたんです。浪人時代の1ヶ月間を棒に振りました。そのときの経験が、結果的に大きなきっかけになりました。人はこんなに簡単にこわれるんだと知り、人間としてもっと本質的な、真の生きる力を高めたいと思うようになったんです。食糧自給率が45%を切り、半分以上を外国から買っているのに、バブル崩壊でお金もなくなってきたと言われていた日本で、自給できる個人になりたいということも、その延長線上で考えるようになりました。

最先端のものづくりと、自然と共にある生き方と

海士町は、本土からフェリーで3時間の離島でありながら、ここ10年で約400人のIターン者を迎えている。

― 言ってみれば、まだ二十歳になる前に経験したある種の挫折が転機になったのですね。海士町にいらして、その頃描いていた理想に近づけたのではないですか。

阿部さん :都会では、競争に勝つためにどこまでも効率を追い求めて、なにが起きているかというと、結局、人が命をすり減らしているんじゃないかって、ずっと疑問に思っていました。登山道ですれ違う人とは気持ちよく挨拶を交わすのに、都会の電車では、ちょっとぶつかっただけでもイライラする。あれって個々の気質の違いではなく、環境の違いからくるものですよね。人と人との距離も、人と自然との距離も遠い都市生活、そして大企業での企業人としての生き方を捨ててみて、あぁ、やっぱりな、と感じました。海士町に来て以来、シーカヤックをやったり、漁業権を取得して素潜りでサザエをとったり、社員と田んぼをつくったり。こういうことを通して自分の成長を感じるのには、得がたい充実感があります。楽じゃないけど楽しいです。

― 楽じゃないけど楽しい。

阿部さん :はい。僕はたぶん、成長欲求が人一倍高いほうだと思います。それこそ二十歳くらいのときから、漫画「北斗の拳」のラオウの最期の言葉、「我が生涯に一片の悔いなし」を、座右の銘のように胸に抱いていました。たくさんの思い出を持って後悔なく死ねるような生き様を、自分のルールにしてきたんです。自分にとってのありたいあり方をめざすのには、時間もかかるし骨が折れます。離島という不便な環境で、巡の環のような会社をやってゆくのだってしんどいですよ。だけど後悔はしていません。地域のため、次世代のためと、自分のためとを重ね合わせて、心身ともに豊かな生き方や働き方を追求するのは、楽じゃないけど楽しいです。

Iターン者で構成される巡の環の社員。在籍する8名の出身地はさまざま。

― それは、トヨタにいたときには味わえなかった感覚でしょうか。

阿部さん :在職中、新しい生産ラインの立ち上げを担当していて、世界に先んずるものづくりをめざすことには、エンジニアとしてやりがいを感じていました。ただ、競争社会の激化の先に「これで人は幸せになるのか」という疑問からは逃れられなかったんですね。それに、仕事をする上で目標となる人にはトヨタでも出会いましたけれど、海士町でのように、「こういうふうに人間らしく生きてゆきたい」という生き様のロールモデルには、出会うことはありませんでした。