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今月の「生きるヒント」

シリーズ 人生のチャレンジ 移住を選んだ人たち 第13回《前編》森のようちえん 主宰 西村早栄子さん

流れを受け入れ、力に変える。国連職員志望が転じて、鳥取で森のようちえん

後編はこちら

プロフィール
にしむら・さえこ/東京都出身。中学時代に新聞を通して知った地球環境問題への関心から、熱帯林再生に携わりたいと考える。東京農業大学林学科→琉球大学農学研究科生産環境学部(修士課程)→京都大学農学研究科熱帯林環境学講座(博士課程)と進み、ミャンマーへの留学も経験する。帰国後の2000年に学生結婚し、出産。夫の出身地である鳥取県に居を移し、農林技師として鳥取県庁に入庁。智頭町に出会い憧れるようになり、第2子の産休を機に移住。2007年より仲間と森のようちえん を智頭町につくる活動を始め、翌々年に開園。2012年より専従。 智頭町森のようちえん まるたんぼう公式サイト
西村早栄子さんのじぶん年表

夫になる人が鳥取出身と知り、ガッツポーズ!

― 西村さんは東京のご出身ですが、沖縄、京都、それにミャンマーでも学ばれて、現在は鳥取にいらっしゃる。いろんなところにお住まいになられていますね。

西村さん :そうなんです。住むのはどこでも平気なたちみたいです。いや、むしろ秘境がいいかな。だからミャンマーも良かったです。私が留学していた頃は、今よりもずっと開かれていませんでしたからね。夫と知り合って、鳥取県出身と聞いたときはガッツポーズですよ。日本のチベットだ!って(笑)

― に、日本のチベット…(笑)。人口も60万人弱ですから、県民に出会う確率も低いですものね。

西村さん :そうですよー。貴重な出会いです。ラッキーでした!

ミャンマー留学中、村落調査のときの様子。

― あはは。東京育ちの反動ですかね。

西村さん :父の出身地の高知県に、小学生のときによく遊びに行ったんです。それがどうやら、私の自然体験のはじまりみたいです。そこでできた友だちと一緒に、セミやドジョウ、メダカを捕まえて遊びました。特別なことはしていないのですが、楽しくてしようがなかった。

― なるほど、そのときの体験が脈々と。

西村さん :そうですね。母は心配性なところがあったので、その反動はあったかもしれません。高知で遊んでいると、すごく解放された気持ちになって、それも相まってなのでしょうか、田舎に憧れるようになりました。

マングローブの研究を積んだけれど、鳥取県に向う

森のようちえんのスタッフと子どもたち。表情が豊かです。

― ずっと、森林について学ばれていたんですね。

西村さん :はい。中学生のときに新聞を読み始めて、ちょうどその頃、地球環境問題の象徴としてさかんに取り上げられていた熱帯林の森林破壊に関心を持ちました。振り返ると全部つながっているのですが、やはり高知で自然の中で遊んだ体験が大きかったのですね。自然に対する愛着から、熱帯林の再生のために貢献したいと考えたんです。

― なるほど、その観点から進路も選んでゆかれたのですね。

西村さん :そうなんです。東京農大の林学科を卒業してから、マングローブの研究をしたくて、関連する学科を持つ琉球大の修士課程に、その後京大の博士課程に進みます。海と陸、両方の自然を回復させるマングローブに強く惹かれました。ミャンマー留学も、マングローブ地帯の調査を目的にしていました。

― その頃の西村さんは、学んだことを活かして地球環境の保全に貢献するため、職業的にはどのような道に進みたいと考えていらしたのでしょう。

西村さん :国連職員に憧れていました。だけど語学が苦手だったし、ちょっと無理かなと思っていたところ、同じように京大で森林について研究していた現在の夫と学生結婚することになりまして。

― 鳥取ご出身の。

西村さん :そう、貴重な(笑)。彼が鳥取に戻って県庁で働くことになって、結局私も、農林技師として入庁する流れに。

― 国連職員を志望されていた西村さんには、グローバルからローカルと、極端な感じもしますが、ご本人としては納得済みだったのでしょうか。

西村さん :帰国後子どもを授かったのも大きかったです。日本でできることも多いと、徐々に切り替わっていきました。

― 環境に対しても、境遇に対しても、順応性が高いのですね。

西村さん :そうそう、そうみたいです。前向きに受け入れて、突き進むタイプですね。でも、県庁の採用面接のときに長所を尋ねられて、「チャレンジ精神旺盛です!」と元気に答えたら、若干引かれたようでした(笑)。お役所なので、「誠実」とか「真面目」とかが模範解答だったらしく、意外だと言われたんですよ。そんなこと言われて、こちらのほうが不安を覚えましたけど(笑)、入庁してからは週の半分以上がフィールドである森での仕事で、とても楽しかったです。

山あいのまちに出会い、そこでの子育てに憧れて

智頭の伝統的秋祭り“花籠祭”にて。真ん中で花籠を担ぐ、はちまき姿の男性がご主人。

― そのお仕事を通して、智頭町を知ることになるのですよね。

西村さん :そうなんです。私より一足早く入庁していた夫共々、新規採用職員向けの研修で智頭町に赴くことになり、専業林家のお宅にお世話になりました。鳥取市から通勤圏内で、こんな素敵な田舎があるのかと、ここで子育てができたら…と、夢見るようになったんです。

― その2、3年後に、智頭町に移られた。

西村さん :ちょうど2番目の子の産休のときでした。直属の上司となった方が智頭町在住だったご縁で、古民家を購入することができて、智頭町に落ち着きました。

― 夢見ていた環境での子育てを実現されるんですね。

西村さん :本当に、越してきて大正解だと思いましたねぇ。それから、県庁職員である間に森のようちえん 「まるたんぼう」を立ち上げますが、立ち上げる以前から仲間と一緒に子どもと森を散歩するなどして、「まるたんぼう」の原型ができていきました。

― ご自身の子育てがヒントになったのでしょうか。

西村さん :現在「まるたんぼう」と、もうひとつ運営している「すぎぼっくり」のふたつの森のようちえんには、入園を希望されて首都圏からも移住してくるご家族がいらっしゃるなど、子育てに強い思いをお持ちの方が多いんです。だけど実は、私も、一緒に立ち上げに関わった仲間も、最初は、「森で遊んだら楽しいよね〜」なんて気軽な気持ちだったんです。決して教育熱心なほうではなかったですし、今もそれは変わっていないと思います。実地で学んでいくうちに、「これはいいぞ!」と、だんだん勢いがついて(笑)。

西村さんが智頭町の宝と賞賛する、山菜料理のお店「みたき園」で町役場の方と。

― それくらいの柔軟さが、かえって良かったのではないですか。「こうすべき」という強いものを持っていると、ときに難しいこともありますよね。

西村さん :そうかもしれませんね。森のようちえんについては、智頭町に移り住む前に本で少し読んだことがありました。素敵だなぁと思っていましたけど、詳しかったわけではありません。それに、日本にもたくさんある森のようちえんを、私たちはあえて視察することなしにこの活動をスタートしました。実地と、独学のような感じでしたが、手応えがあったんです。徹底して“見守る”ことだけをポリシーにして、ここならではの森のようちえんをつくってゆきました。町長さんをはじめ、智頭町の町の人たちが活動を理解して、後押ししてくれたのも大きかったです。

※1950年代にデンマークで発祥したといわれる自然体験をメインにした保育の形態で、その後ドイツをはじめ各国で盛んに。近年、日本でも徐々に広がり、全国に150ヶ所以上存在するといわれる。共通して、野外活動を通して心身を育むことと子どもの自主性を重んじる以外は、規模や園舎の有無、活動の頻度などはさまざまで、有志により行われているケースも多い。