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今月の「生きるヒント」
その人の価値観をはかるモノサシにされることも多い“お金”。人生に、深くかかわりがある割に、真正面から語られることが少ないのも“お金”です。
誰かのお金観の背景にある経験やエピソードは、いつか自分のそれと重なるかもしれないし、現在の向き合い方を考え直すきっかけになるかもしれません。専門家による経済の話でなく、人それぞれの、お金にまつわるストーリーをお届けします。
第
16
回
お金でありお金ではないもの。届いたのは真心だった お金であり
お金ではないもの。
届いたのは真心だった
大島 奈緒子さん
おおしま・なおこ
株式会社ようび ようび建築設計室室長 二級建築士
1982年大阪府生まれ。10代で日本の森林問題に出会い、木でものづくりをしながら未来を切り開くことをライフワークに定める。大学で建築を学んだ後、飛騨高山で住宅店舗等の設計に従事。そのときに出会った、後の「ようび」代表で家具職人の大島正幸氏※と2011年に結婚、正幸氏が先に移り住み、ヒノキ製の家具づくりに取り組んでいた岡山県の西粟倉村に。2016年冬、ストーブが原因と見られる火事で、ようびの工房が機材ごと全焼する大きな試練に直面。スタッフ一丸で再興にあたり、2018年春に、自らが設計を手がけたショールーム、本社兼新工房が完成。
西粟倉村生まれの娘と3人暮らし。趣味は寝ること、食べること、旅行。
※「ようび」立ち上げ時からの奮闘は、当サイト別コーナーの、正幸氏へのインタビューをご覧ください。
ようび 公式サイト工房の火事。積み上げてきたものを失った日
2016年1月23日。私たち「ようび」は間もなく7年目を迎え、スタッフを増やして拡大してゆこうとしていたところでした。冷え込んだ日、まだ夜が明けぬころです。村内放送でどこかの火事の第一報に気づいた私は、地域の消防団のメンバーである夫の大島を、ためらいながら起こしました。仕事でずっと徹夜続きだったので…。その後すぐ、大島の電話が鳴りました。村の、お世話になっている方からでした。大島が「うちですか!?」と、言ったんです。燃えているのはようびの工房…?受け止める間もなく、私も、娘を毛布でぐるぐる巻きにして抱き、取るものも取りあえず家を出ました。大島はひたすら、スタッフの誰かが、残業で工房に残っていなかったかを心配していましたね。すべて燃えてしまいましたが、唯一にして最大の幸いは、人的被害がなかったことでした。
あのときから、悲しいことなら吐きそうになるくらいいっぱいありましたけど、一度も泣かずにきました。悲しんだら抜け出せなくなると思ったんです。大島が着の身着のままのような状態で西粟倉村にやってきて、少しずつ増えた数人のスタッフと、夢中で、必死で、家具をつくって、ようびはそれまで無借金経営でした。火事での損害は総額で8,900万円です。良いものをと思い切って購入した機材も、月末にお届け予定だった完成品の家具も、すべてが焼けてしまいました。火災保険の手続きのため、すぐに失ったものをリストアップする必要に迫られました。失ったもの=積み上げてきたものです。それをすべて数え上げる作業は、たまらなく苦痛を伴うものでした。しかも、少しずつ増やしてきた機材などの資産に合わせて、保険を見直しする寸前だったんです。立ち上げ当初に加入した最小限の保険では、到底カバーできない損害を出しました。甘かったと、反省しています。
抱えきれないところを、引き受けてくれた夫
借金はやむなしだけど、金額は教えてくれるなと、私は早々に、大島にお願いしました。だから実は、お金に関することを詳しくは知らないんです。彼を孤独にしたと思います。でも、私にとって感情的に折り合えるキャパを遥かに上回る額だとわかっていたので、抱えきれなかったんですね。金融機関からの融資実績もない私たちが、事故を起こしてお金を借りることのむずかしさはふつうに考えればわかります。ただ、応援してくださる方がたくさんいて、カンパが集まって、家具の注文をしてくれて…。金融機関の方も、そうしたことを評価して支援を決めてくださったようです。
火事の後始末と同時並行で、融資の申し込みから、購入済みだった材料の代金やスタッフへの給料など、お金の算段はすべて大島が担ってくれました。お金のことばかりではなく、肝心なところの判断は、私に相談なくひとりでしてくれて、ありがたかった。頭でっかちで、考え出すと止まらないタイプの私に背負わせまいとしたんですね。相当なストレスをひとりで引き受けてくれて、すごい人だと思います。
火事以降、申し訳ないと考え出したらやっていけないくらい、たくさんの人たちに迷惑をかけました。親として、娘もそのひとりでした。2歳の娘には、イチゴ狩りだとだまして、1ヶ月間栃木の両親の家に行ってもらいました。直後は、とにかく手元に置くのも無理だったんです。あれから2年、3年と経って、ありがたいことに、そして思っていた以上に、子どもには育つ力があるものだと実感しています。なにも満足に育てられない、観葉植物も枯らしてしまうような私でしたが、植物には代わりに水をあげてくれる人がいなくても、子どもには食べさせてくれる人がいました。娘も娘で、決して独り占めにしようとしない子に育ちました。食い意地は張っているんですけどね、まず分けるんです。大島の子だなぁって、そこは安心して見ています。大島も、これは彼が両親から受け継いだもののひとつで、“与える人”なんですよね。
3年くらいは、不思議な独立採算制の夫婦だった
そんな、尊敬できる夫ではありますが、語ると驚かれるようなこともありますよ(笑)。夫婦そろって目の前のことに夢中になってしまう私たちです。先の備えと言えそうなものは、娘が生まれたときに加入した生命保険くらい。お金についても話さなさすぎでしたね。結婚して3年くらいは、夫婦それぞれがなんとなく独立採算制的にやっていて…それはいいとして、大島は、家計にお金を入れる必要性に「気づいてなかった」んです。娘にかかる、保育料や病院にかかったときの費用も、私が全部払ってました。おかしいですよね(笑)。私にも給料払ってるからいいと思ってたみたいです。私がたまに思い出したように怒って、ケンカになっても、「なんでそんなに怒るの?」って、彼にはピンときてない。単純に、そうした概念がなかったんです。私も私で、言っても糠に釘だし、村では生活費もそうはかからないし、ごはんは会社のまかないだし、面倒くさいからいいや…みたいな感じで。
不思議な独立採算制については結局、説明のアプローチを変えるなどして大島の理解を得るに至ったのですけれど、それまではやはりもやもやしてましたよ。でもだんだん、言うならば、ようびという長男は大島が育ててるんだ、と私のほうも考え方が変わってきました。長男を彼が面倒みてるんだから、長女である娘は私がみようと思えば腹も立ちづらいですよね。私には、ようびの一員だからできていることがたくさんあって、そのようびを率いてるのは大島なわけですしね。
新工房お披露目まで、ようびを生かしてくれたもの
火事から約2年半、地元の方のご厚意で一画をお借りできた作業場に、融資とカンパで購入した機械を置いて、途切れることなく家具をつくり、無我夢中で走ってきました。そして2018年のゴールデンウイークに、多くの多くの人の協力で完成した、ようびの本拠地であり新工房をお披露目できることになったのです。今回ばかりは、ここを見て「すごいですね!」と言われたとき、謙遜抜きに「でしょう!」と答えています。ようびだからできたと、胸を張って自慢できる場所になりました。火事の1週間後、宮崎県から駆けつけてくれた大切な友人と、1時間話しました。あの1時間で、心の中の、向き合っていたら私自身がもたなかったであろう凄まじいあれこれを、一時避難的にブルドーザーでザーッと寄せた上で、ブルーシートを掛けました。やるべきことをやるため、そうやってスペースをつくったんです。あれ以来ブルーシートで覆いっぱなしにしていた心の中のそれらは、新工房のお披露目の日に、一気に粗大ゴミとして捨てると決めていました。
私たちのために、お金を差し出してくれた方々がいます。お金を集めるために信頼を差し出してくれた方もいます。さまざまな形で時間を差し出してくれた方もいました。あの火事の日、ずっとお世話になっていた方が、「とにかく朝ごはんを食べに来なさい」と、スタッフ全員を招いてくれました。それまで一度たりとも無理強いすることのなかったその方が、誰ひとり箸が進まない私たちに、とにかく全員食べろと言ったんですね。最後に食べ終えたのは、燃えさかる工房を前に火の中に飛び込まん勢いだった工房長の渡辺でした。あのお味噌汁とごはん、あれがあったから、ようびは生き残れたのだといまでも思っています。
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- Q1.
- お金のことには詳しいほうだ。
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- Q2.
- 「趣味は貯金」に共感する。
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- Q3.
- 「趣味は投資」に共感する。
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- Q4.
- 先のことはわからないからこそ「使う」。
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- Q5.
- どんぶり勘定の人よりお金に細かい人のほうが信用できる。
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- Q6.
- 100万円と10億円、もらえるなら10億円。
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- Q7.
- お金の稼ぎ方と使い方、こだわるなら稼ぎ方。
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- Q8.
- 「金は天下の回りもの」に賛同する。
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- Q9.
- アリとキリギリスならアリタイプ。
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- Q10.
- お金にまつわる経験から得た教訓や信条をお聞かせください。
とてもとても大事だけどすべてではないもの。言い換えると、お金は、オマケなんじゃないかな。大事なことのオマケ。火事のあと、たくさんの人たちからカンパをいただきました。ようびの家具を買うために貯めていたというお金を、「家具は要らないから」と言って送ってくださる方さえいました。そのときの私たちには、なによりも切実に、お金が一番ありがたかった。でも同時に、もらったのはお金じゃないと思ったんです。誰もが、真心をくれようとして、その形としてお金を選んでくださったんだと。いただいた支援は全部、額面では表せないものでした。それは確かに、真心だったんです。
編集後記
人はこれほど、全力を通せるものなのかと、アスリートを見ているようでもある大島夫妻。火災によって失ったものは確かに、立ち上げから約7年で彼らが積み上げてきたもので、月日に対して、また、手仕事によるものとして、驚くほどの大きさであったと思います。けれど積み上げていらしたものは、失ったもののみではありませんでした。あまたの人の協力や、いまに至るまで共にようびを支え続けたスタッフの存在が、それを物語っています。大島さんは哲学の人で、哲学を言葉にできる人でもあります。どんな雄弁さも、深く濃く生きている人の言葉には敵わない。そう思わせる、大島さんでした。
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