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2011年5月号 人に優しい「食」のススメ―「スローフード」という生き方 第1回 命と命を結ぶ大切なキーワードそれが「スロー」 明治学院大学教授 辻信一さん

家族と食卓を囲みながら、ゆったりとした時間を過ごし地域のことにも思いをはせるーー。そんな、あたりまえの「豊かな暮らし」を求める人が増えています。「食の安全」「地産地消」「スローフード」などのキーワードがしばしばメディアを賑わすのも、そうした表れの1つ。このシリーズでは、「食」と「暮らし」を巡って議論されている、古くて新しい豊かさと幸福、持続可能なライフスタイルとは何か、を探っていきます。

第一回目にご登場いただくのは「スローライフ」「スローフード」の提唱者で明治学院大学教授の辻信一さん。テーマは「スロー」がもたらす豊かさとは何か、です。

 

「スローライフ」とは「つながる命」のこと

文化人類学者である辻さんはネイティブアメリカンの研究などを通じて「スローフード」「スローライフ」の大切さを訴えてこられました。改めて、ここで提示されている「スロー」とは何かについてお話いただけますでしょうか?

辻 簡単に言うと、スローとは文字どおり「ゆっくりした時間」のことです。なぜ時間かと言えば、それは社会があまりにも忙しくなり過ぎたからです。

  先進国のどこに行っても、人々は「時間がない」と嘆いている。ハイテク機器に囲まれて、人類はありあまる時間と快適さを手に入れられるはずだったのに、むしろますます時間に追われている。世界中の多くの人が今、最も悩まされているのも、この「時間がない」という問題です。

  時間に追われると当然、人間関係も、自然との関係も薄れていきます。人と人、人と自然がつながるためにはどうしても、ともに同じ時間を過ごすことが必要だからです。

  したがって、僕が考える「スローライフ」とは「つながる命」のこと。命と命を結ぶ大切なキーワードが、「スロー」だと思っています。

  僕の精神的支柱でもあるサティシュ・クマール氏は、インド系の素晴らしい思想家です。彼は、「soul(魂)」「soil(大地)」「society(社会)」の3つのSで表されるつながりが大切だと言っている。僕もこれに倣って、Sで始まる三つの言葉を合言葉にしています。「slow(ゆっくり)」「small(小さい)」「simple(簡素)」。これらの形容詞が、つながりをどうつくり、どう維持するかを、示すキーワードです。

  だって考えてもみてください。僕たちはなぜ、こんなにも忙しい日々を送っているのでしょうか? それは、無駄なモノをたくさん作り、消費することに時間とエネルギーを費やしすぎているからではないですか? 経済が拡大して、人はどれだけ幸せになれたでしょうか?

  この3月に起きた福島第一原子力発電所の事故を受け、「原発に代わるエネルギーが必要だ」という声が挙がっています。しかし、僕はこの発想には危うさがある、と思います。変えるべきはエネルギーの作り方だけではなく、そもそもこんなに多くのエネルギーを必要としてしまう社会やライフスタイルです。

  事故による電力不足で東京の街が暗くなったと言いますが、ヨーロッパの都市はいつもこれくらいの暗さです。それで、誰も不便など感じていません。

  たしかに、3.11以後の世界で、僕たちはある種の「快適さ」を失うことになるかも知れません。しかし、それによって再発見できる「豊かさ」も大きいはずだと思います。それを考える上で重要なキーワードが「グローバル化」に代わる「ローカル化」であり、「スローフード」や「スローライフ」だと思います。

スローフードの「フード(食)」も、今回の地震・津波で大きな被害を受けました。

辻 それについては、非常に悲しく、また残念に思っています。東北地方にはスローフードの運動を通して知り合った仲間も大勢いましたので、その人たちにいったい、どんな言葉をかけていいのやら、と悩みました。

  ご存じのように、津波で大きな被害に遭った三陸海岸は海の幸が豊富なことで知られる地域です。津波のことを聞いてまず思い浮かんだのは、カキの養殖をしている畠山重篤さんのことでした。

  畠山さんはNPO法人「森は海の恋人」を立ち上げられたことでも知られ、彼のカキ種はアメリカ西海岸やフランスでも評判でした。広葉樹の森を復活させることで豊かな海を取り戻そうとする彼の活動は全国的にも知られ、おいしいカキのファンだった方も多いと思います。

  伝え聞くところでは、畠山さんも一緒に作業されている息子さんもご無事だったようです。「養殖を再開したい」と語っておられるのを聞いて安心しましたが、再開までにはまだ多くの支援と時間が必要だと思います。

  岩手県陸前高田市で200年も続くおしょうゆの老舗「八木澤商店」も、蔵や製造工場が津波で流されてしまうなどの被害を受けました。しかし、全国からの応援や励ましの声を受け、先代の河野和義さんも新しく就任された息子で新社長の通洋さんも「必ず復活させる」という意気込みで努力を続けておられるようです。

  200年続いた蔵は流されてしまいましたが、そこで作った味噌は残っている。ですから、その味噌から微生物を取り出し、もう一度おいしいしょうゆを作る、とおっしゃっていました。

  今回の地震と津波でたしかに多くの命が奪われましたが、同時に忘れてはならないのは、その同じ自然が、被害をもたらすその日までその同じ方々を生かしていたということ。生き残った我々はみな、自然の大いなる恵みでこうして生きているんです。その限りない恵みに期待し、それを信じて立ち上がろうとする人たちの可能性を、僕は信じたいと思います。

「GNP(国民総生産)」より「GNH(国民総幸福量)」の拡大へ

辻さんのおっしゃる「スローライフ」を目指す上で、モデルとなる地域はありますか?

辻 1つには、1970年代に「GNPよりGNH」ということを提唱したブータン王国が挙げられると思います。経済規模で比べれば、ブータンは日本よりずっと小さな貧しい国です。しかし、そこに住んでいる人たちの満足度は非常に高い。

  僕は6、7年前に実際にブータンに行きましたが、子どもも大人もほんとうに快活で笑いが絶えない。「幸せですか?」と聞かなくても、その表情から彼らが幸せに暮らしていることは十分に伝わってきました。

  ブータンに行くと、どこの家に行っても歓待されます。優しさや思いやりが、時には度を越していると思うこともあるほどです。若い人たちをどんどん海外に出す政策をとっているのですが、必ずまたブータンに帰ってきます。彼らは自国の伝統文化に誇りを持っていますから、着るモノや食べるモノに関しても、ほかの国の人をうらやんだりはしません。モノを手に入れるよりも、あげる方が幸せ、してもらうより、してあげる方が幸せ、という感覚を多くの人が共有しているようなんです。

  そういう感覚は、日本人がかつて持っていたのに、いつからか、忘れてかけてきたのかも知れない。でもその日本でも、大都会の外や経済システムの周縁には、そういう伝統的な感覚をなんとか持ち続けてきた人々がある。僕が特にそれを感じるのが東北の人たちです。だから僕は3・11を経た今こそ、東北地方を中心に据えた社会づくり、国づくりをすべきだ、と思っています。

  東北に行くと、現地の人たちはたいてい食べ物の話で盛り上がります。多くの人が山菜や木の実や魚介類の採集や釣りに適したスポットを知っていて、よく自慢話をします。山の人たちがキノコを採って、海の方へ行って売る。売れ残ったら全部プレゼントしてきちゃう。すると、今度は海の方の人たちがお礼にと、海の幸を持って来てくれる。今でいうフェアトレード。そういう補い合いや助け合いの精神が、あの地域には残っているんです。

  フェアトレードは何も国家間だけの話ではありません。人と人、地域と地域がお互いに助け合い、豊かさを享受しあう。そういうスローなローカル・ネットワークの集合体が日本という国であればいい、と考えています。

  もちろん、そういう助け合いというのはGDPに換算されませんから、数字の上では貧しくなるかも知れませんし、国際競争力は低くなるかも知れません。でもいいじゃないですか、多くの現代人が求めているほんとうの「豊かさ」が手に入れられれば。

重要なのは、「無理をしないこと」

お金を通じた「つながり」ではなく、食べ物や人を通じた実体のある「つながり」を持つ。その第一歩を踏み出すために必要なことは何でしょうか?

辻 ひとつ、大事なのは無理をしないこと、だと思います。スローフードやスローライフがいいと感じても、みなが一斉に同じペースでそっちに向かっていける訳ではありません。それぞれの人が置かれた環境や条件、人の性格の違いもあります。スローライフを実践できない自分を責めたりしないで、「週末だけは市民農園で野菜を育ててみよう」とか「ベランダでトマトを作ってみよう」とか、できることから始めていけばいいと思います。

  同じように、僕は「復興」という言葉を使うのがあまり好きではありません。今、マスコミで幅を利かせているのは、東京を中心にした復興論だと思います。ただでさえこれまで東京の下請け的な役割を担わされてき東北の人たちに「復興」と押しつけるのは、「前の役割に急いで戻れ」と言っているように聞こえるの。あくまでも東北の復興は、東北の人たち自身が定義し、主導するものであるべきだと思います。

  スローライフの基本は、「楽しい」「心地よい」「おいしい」といった日常の感覚を信じること。僕はそれを「スロー快楽主義」と呼んでいます。幸せになるためには、そんなにたくさんお金やモノが必要ではない。普通の人たちが持っているその感覚を信じて生きていけば、大きな間違いはない、と思っています。

  3・11以後、社会のあり方、自分のあり方が問い直されているんだと思う。これが大転換の機会です。そこで、すでに3・11以前から育まれてきた東北からの「スローライフ」や「スローフード」が力を発揮してくれると思います。

辻信一(つじ・しんいち)


 

文化人類学者、ナマケモノ倶楽部世話人。明治学院大学国際学部教授。

「100万人のキャンドルナイト」呼びかけ人代表。数々のNGOやNPOに参加しながら、「スロー」や「GNH」というコンセプトを軸に環境=文化運動を進める一方、社会的起業である「スロービジネス」にもとりくむ。最新刊の川口由一との共著『自然農という生き方――いのちの道を、たんたんと』(大月書店)など、著書多数。訳書に『いのちの中にある地球―最終講義:持続可能な未来のために』(NHK出版)。


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