わたしのふるさと What is FURUSATO for you? わたしのふるさと What is FURUSATO for you?

誰しも生まれた地、育った地があります。ずっとその地で過ごす人、進学や就職を機に離れる人、転々とする人。
縁ある土地とのつき合い方は人それぞれです。「第二のふるさと」「心のふるさと」という言葉があるように、「ふるさと」は、生まれ育った地とも限らず、もしかすると、物理的な土地とすら結びつかない、その人にとって大切ななにかがある場所とも定義できるかもしれません。
あなたにとって「ふるさと」は、どんなものでしょう。

8関野吉晴さん

東京都墨田区生まれ・墨田区育ち→
主に南米各国と関東(都内数カ所、横浜市)を行き来
→東京都在住

東京都墨田区生まれ・墨田区育ち→主に南米各国と関東(都内数カ所、横浜市)を行き来→東京都在住

関野吉晴(せきの・よしはる)

探検家・医師

1949年東京都生まれ。一橋大学在学中に探検部を創設、アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。探検に役立つよう医学部に入り直し医師になった後、25年間に32回、通算10年間以上にわたって南米への旅を重ねる。1993年からはアフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸に拡散した道を、近代的動力は使わずに逆ルートでたどる『グレートジャーニー』を敢行。2004年からは『新グレートジャーニー 日本列島にやって来た人々』にて異なる3つのルートを踏破。
1999年、植村直己冒険賞受賞。2002〜2019年、武蔵野美術大学教授(文化人類学)。『人類は何を失いつつあるのか』(山極寿一氏との共著・東海教育研究所)他著書多数。

関野吉晴公式サイト

大学で探検部を結成。初めての海外がアマゾンだった

数日前に武蔵野美術大学を退職され、研究室の引っ越しが済んだばかり。荷ほどきされていないダンボールが積まれたお部屋にお邪魔した。

僕が生まれ育ったのは東京墨田区の向島地区。東京大空襲でやられなかった地域なため、あたらしい区画整理がされていない分独特の街並みで、ごちゃごちゃしたところでした。皮のなめし工場が立ち並び、昔ながらの人づき合いや人情が残っていて、「ひ」と「し」を発音し分けない、べらんめえ調の人たちがたくさん。商店街も活気がありますよ。僕が子どものころは、まとまった雨が降るとすぐに床上浸水になるような地域でもありました。よく浅草まで1時間ほどの道のりを、歩いて遊びに行ったものです。この地がイヤだったわけではないのですが、人口密集地帯にいた反動なのか、どこかまったく別の、広いところに行ってみたいという願望は昔から持っていました。

僕にとって初めての海外はアマゾンでした。一橋大学に創部した探検部の仲間と3人で、一年休学して出かけました。よく知られている早稲田の探検部がナイル川だったので、こっちはアマゾン川全流を下ろうと(笑)。3人一緒だったのは最初のころだけで、じきに「川下りならひとりでもできそうだね」という話になり、それぞれが異なる川を行きました。再会したのは日本でです。途中、先住民の村でお世話になりながら過ごしました。

行く前には魔境のようなイメージを持っていたアマゾンでは、それほどのギャップを覚えず、日本に帰って来てからのほうが、心身が適応できなくてしんどかったです。なにせスピード感が違いすぎました。あちらでは、車はないので歩きです。一番速いのはイカダ。平均時速2〜3キロに慣れていたので、横断歩道のない道路を渡るときには間合いがつかめませんでした。無気力に陥り4〜5ヶ月はただ横になっていました。なにもしないほうがいいんじゃないかと思うところもあったんです。というのも、日本を含め、先進国と呼ばれる国々で、人や社会を豊かにするためにとおこなわれていることが、別の立場の人たちにとってとんでもない悪行になりえると知ったからです。鉱物資源の開発などはその典型ですね。コロンブスにより新大陸が発見された日として南米でも祝日になっている10月12日も、先住民にしてみれば、祝うどころではありませんよね。侵略され、搾取され、病気をうつされて…。物事の別の面を考えて、鬱々としていたとき、たまたま手に取った本でアマゾン行きへの意欲が再燃して、半年後には旅に出てました。そのあとも20年以上、南米に通うことになります。半分の10年間は、あちらで過ごしました。

借金は得意。好きにやりたいから、費用は自分で調達する

アマゾンでは、受け入れてくれたいくつかの先住民の家族のもとに居候していました。なにかお礼がしたくても、役に立てることがなくて、それで日本で医学部に入り直し、医者になりました。現地の人と生活を共にしながら旅を続けてゆくには、それがいいだろうと思ったのです。このような経歴を話すと、きっと実家が金持ちで好きにできたに違いないと思われがちなのですが、僕は高校卒業後、親の援助を受けたことがありません。一部返済が免除になる特別奨学金をもらって、生活費にはそれを充てていました。当時月に千円だった学費は免除だったので、家庭教師から港の警備、肉体労働までたくさんしたアルバイト代を旅費にしました。一橋大学で7年生のときには、新聞社が募集したアドベンチャープランに探検部の仲間と応募して通ったことで、資金を得ることができました。医学部のときは、貿易会社から牛の一枚革を1万円で仕入れて2万円で売りました。次はアルパカの毛皮のラグを4万円で仕入れて7万円で(笑)。デパートではもっと高く売られていたというのもありますが、「遠征資金なんです」と言うと、応援で買ってくれる人もいたんですね。何年かかけて、どちらも100枚ずつ売りました。

それでも、テレビで知られるようになった『グレートジャーニー』※1を含め、大半が借金です。借金は得意なんです。確実に返します。次に借りられなくなるから(笑)。特にテレビで放映されると、スポンサーがついていると思う人が多いんですよね。でも違います。歩いたり、動物に乗せてもらったりして、砂漠、熱帯雨林、山岳地帯、ツンドラ…1万年前と同じような景色の中を行く。こんなことしても、なんの役にも立ちませんよね。ただやりたくてやっているんです。遊びなわけですよ。最近の人たちは違うようですが、僕らの世代は、「遊ぶのにスポンサーをつけるなんて恥ずかしい」という感覚です。学生時代、親に仕送りをしてもらわなかったのも同じ理由から。好きなことを好きなようにしたかったんです。

※1 関野さんがおこなった、アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸に拡散した道を、南米最南端から逆ルートでたどる旅。近代的動力を使わず、徒歩や自転車、ラクダや馬、犬ぞり、カヤックなどで、10年かけてゴールした。『グレートジャーニー』は、その後の『新グレートジャーニー 日本人の来た道』と合わせて10回以上、ドキュメンタリー番組としてフジテレビ系でシリーズ放送された。

人間は、「同じじゃないか」

ペルーアマゾン・マチゲンガ族の人々と関野さん。1977年撮影。

世界中を旅するようになって感じたのは、昔は存在しなかった国境というものが、いかに面倒くさいかということ。それから、人間は、同じだということ。国境の面倒くささを先に話すと、特に海。これは、近代的なヨットなら手続きは簡単なんです。ところが僕は、エンジンのない手づくりの木の舟で入ろうしたこともあって、それだと範疇としては船じゃなく“巨大漂流物”(笑)。もう入れないかもしれないと思いました。ロシアからモンゴルに自転車で行こうとしたときも、「そんなの聞いたことない」と(笑)。国境での手続きは大変でした。

人間が同じだというのは、違うことだらけの先住民の人々とも、一緒に暮らすうち、「同じじゃないか」と思うようになるものだからです。講演などの終わりの質疑応答の折、僕が親しくなった先住民の人たちを指して、「この人たちは、なにを楽しみに生きているんですか?幸福なんですか?」という質問をもらうことがあります。そういうときは、そのまま返すんです。「あなたは、なにを楽しみだと、幸せだと思って生きているんですか?」と。すると、即答はできないのですが、そのうち、こうした回答が戻ってきます。「家族仲良く、健康で、仲間でいて、仕事がうまくいって、娯楽があって…」。同じなんですよ。みんな、そうなんです。娯楽だって、飲み屋やカラオケや映画館はないけれど、先住民にも歌や楽器、踊りがあって、神話や民話があって、お酒も手づくりしている。そして、結局は人間関係に尽きるんですよ。あちらには貧富の差も、足を引っ張り合うような競争もないし、人間関係なら日本よりいいんじゃないですかね。それに我々は、動物と同じ生き物です。心臓が動いて、呼吸して、食べて、排泄して、人間だって9割は動物として生きている。その人間同士に、さしたる違いはないでしょう。

戻ることのできるコミュニティが“ふるさと”

“ふるさと”というテーマに戻ると、人間は、ふるさとを大事にする本質を持った生き物です。ここは、人間に近いサルとも異なるところです。サルは、母系だとオスが、父系だとメスが※2、成長すると元いたグループを離れて別のグループに入ります。二度と戻ることはありません。戻れないんです。人間は戻ることができます。もちろん、事情によって…というのはありますよ。でも、基本的には受け入れられます。場所ではなく、その、戻ることのできるコミュニティが、“ふるさと”なんですよ。ゴリラは家族をつくりますが、コミュニティはつくりません。チンパンジーはコミュニティはつくるけど家族はつくりません。両方やるのはむずかしいんです。家族の論理とコミュニティの論理が相容れないからです。家族は、そのメンバーを特別扱いします。いわば依怙贔屓(えこひいき)ですよね。そして、見返りは求めません。他方、コミュニティにおいては、平等であることが求められます。与えた分への見返りを期待されます。この相反するふたつを成り立たせているのが人間なんです。

長く旅をする中で、以前より「足元」を意識するようになりました。当たり前のようであることの中にこそ、大事なものがあると、より強く思うようになったからです。シベリアで出会った80代のポーランド人男性は、忘れられない人のひとりです。シベリアでロシア人女性と家族をつくり、庭で野菜を育てながら、つつましい年金暮らしをするおじいさんです。20代のとき、ポーランド人というだけでスパイ罪に問われて捕らえられ、その後シベリア送りとなって劣悪な収容所に入れられて、強制労働に従事させられていました。また、戦争中に、ポーランドのすべての肉親を失って、母国に戻る理由がなくなったのだと言います。40代になるまで過酷極まる経験を重ねてきたのですから、世の中を恨んでいるだろうし、悲惨な話を聞くだろうと構えていました。ところが予想外に気さくな人で、あまりつらかったとも口にしません。収容所から解放されたときは、空の色も雲の形も違って見えたそうです。「自分は幸運だった」なんて言うんですよね。話していると、実際、ハッピーに見えてきました。なぜハッピーに見えたのかは、あとから気づきました。彼には、多くの人が当たり前と思うことの一切を封じられた年月がありました。家族といること、友だちと過ごすこと、好きなところに行き、好きなことを話す、どれも彼には、ずっとできなかった。だから誰よりも大切さがわかっていて、それを噛みしめながら生きているからだろうと。そんな彼にとってのふるさとは、国でいうならポーランドだけど、そうじゃない。家族なんですよ、きっと。

※2 母方の血統で継承される集団が「母系」、父方の血統によるそれが「父系」。ライオンやゾウなど母系の哺乳類が多いが、霊長類ではチンパンジーが父系として知られている。

ふるさとのお気に入り

東京都墨田区

by関野吉晴さん

  • 人間の熱さ

    長い旅をいったん終えて帰国し、武蔵野美術大学で教鞭をとり始めた1年後くらいからでしょうか、約1年間、向島地区の皮革工場で体験労働させてもらいました。みんな親切で、おせっかい。聞いてないことまで教えてくれるような人たちでした。熱いんです。子どものころからそうでしたが、あたらしくこの地に来た人も染まるのか、とにかくそういう人が多い地域です。

編集後記

探検家であり医師であり文化人類学者。関野さんのお話はあまりにエキサイティングで、ずっとお聞きしていたかったです。これほど人生を謳歌している人がいるでしょうか。まるで何十人、何百人分もの人生を生きていらっしゃるよう。医大生をしながらアルパカの毛皮を売り歩き、大学教授をしながら皮革工場で働く。秘境と呼ばれる土地においてもそうですが、関野さんはいつも、人と深く関わりながら、心身をフルに稼働させることを惜しまない。そんな関野さんの言葉だからです。「人間は同じ」と、きっぱりおっしゃったことに、一層の感動をふくらませたインタビューでした。

(取材・文:小林奈穂子)


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