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2008年5月号 新シリーズ幸せに満ちた生活提案5回 「自分自身」として生きられるということ~多様な人生、多様な幸福弁護士・在日コリアン弁護士協会(LAZAK)代表李宇海(イー・ウヘ)さん

人々の生き方や価値観は年々多様化しており、多くの人が自分に合った生き方をしたいと考えています。しかし、誰もが思うままに生き、思うような幸せをつかめるわけではありません。例えば在日コリアンは、社会的な制約によって、長い間、自分自身の生き方を選択することが難しい立場に置かれてきました。在日コリアンの中には、本名で生活することも、自分の就きたい仕事に就くことも叶わなかった人たちが数多くいます。今回の「幸せに満ちた生活の提案」は、在日コリアンの弁護士、李宇海(イー・ウヘ)さんにご登場いただきます。日本社会におけるマイノリティとしてのお立場から、幸福観や社会観について語っていただきました。その言葉の中に、私たちが「幸福」を考えるヒントが見つかるかもしれません。

数少ない選択肢から選んだ職業

弁護士という狭き門を目指された理由をお聞かせください。

 弁護士になりたくてなった、ということでは実はないんですよ。僕の若い頃はとくにそうでしたが、在日コリアンが就職するのは非常に難しくてね、親か親戚の事業を引き継ぐ、自ら新しい事業を興す、医者になる──働くといったら選択肢はそのくらいしかなかったわけです。

 僕はとりあえず東京の大学に行きたかったのだけれど、父親は「医学部か歯学部でなければ大学には行かせてやらん」と言うわけですよ。でも、僕は理科も数学もできなかったから、医学部になど入れるわけがない。どうしようかと考えている時、日本国籍がなくても司法研修所に入れるようになったという話を聞いたんですね。高校3年になる直前、1977年の2月か3月でした。そこで、ひとつの妥協案として「法学部に行かせてくれ」と親父に頼んだわけです。そうして何とか東京の大学に行かせてもらえましてね、その後は、流れに身をまかせて今日に至るという感じです(笑)。

しかし、法学部に入ったからといって、誰でも弁護士になれるわけではないですよね。

 僕が入学した頃、在日コリアン社会はまだ政治の季節でしてね、僕も在日コリアンの学生団体に入って学生運動にずいぶん熱中しました。そこからなかなか足を洗えず、25歳くらいになってようやく司法試験の勉強を始めたんですよ(笑)。法律の知識なんかもちろんゼロですし、受験仲間もいない。そういう意味ではたいへんでしたよね。試験に合格したのが31歳の時ですから、6、7年かかりました。

弁護士になってみて、一番楽しかったことは何でしたか?

 楽しかったことはあんまりないですよ(笑)。幸せな人は僕のところに来ないでしょ。何かしら不幸を抱えた人だけが来るわけです。そういう人たちとおつきあいするわけだから、楽しくはありませんよ、それは(笑)。

 とはいえ、いろいろな人に出会えるのは、この職業の醍醐味のひとつかもしれませんね。少年事件を担当した時に出会った少年から毎年年賀状が来るとか、刑事事件の被告人の刑を軽減することができて感謝されるとか、人とのそういう交わりがあると、多少は「この仕事をやっていてよかった」と思えますよね。もっとも、人との交わりがすべて楽しいわけではないですよ。報酬も払わないでどこかにいなくなっちゃう人もいますから(笑)。

「在日」というアイデンティティの多様性

在日コリアンとしてのアイデンティティと弁護士という職業は切り離して考えていますか?

 僕は在日コリアンの弁護士としては11番目とか12番目くらいなのですが、そもそも、田舎から逃れるために東京に出て、自分の人生を自分のものにしたいというのが弁護士になった動機ですから、上の世代の人たちのように、「弁護士になって在日同胞を救いたい」といった思いは、さほど強くありませんでした。

 しかし、いざ弁護士になれば、できることなら在日のために何かしたいと考えるようになるもので、在日コリアンの裁判や戦後補償の裁判にある程度関わったり、あるいは「在日コリアン弁護士協会(LAZAK)」という団体をつくって、本を出したり、提言をしたりと、できる範囲でいろいろやってきましたよ。

 もっとも、「在日コリアンとしてのアイデンティティ」という問題になると、これはなかなか難しくてね。僕はある時期から本名で在日コリアンとして生きてきたし、それが自分にとって幸せなことだと考えてきたのだけれど、在日コリアンの中には、日本国籍を取得する人も日本名を名乗って生きている人もいるでしょ。漢字は本名のままなのだけれど、それを日本語の発音で名乗る人もいる。朴という苗字を「パク」ではなく「ぼく」と読ませるような人ね。あるいは日本名を名乗りながら在日であることを公言している人もいるし、逆に日本国籍を取りながらコリアン名で生きる人も稀にいます。

 とにかく、在日にはいろいろな人がいるんですよ。そのそれぞれでアイデンティティの意識は違います。だから僕個人のアイデンティティが在日コリアンとしてのアイデンティティであるのかと聞かれれば、イエスとも言えるし、ノーとも言える。その程度のものだと思いますよ。

例えば、日本人の同級生と自分とを比較して、不幸だと感じたことはありますか?

 それは不幸ですよ。僕は田舎にいる頃は日本名を名乗っていました。町中が僕を在日だと知っているけど、本名を名乗れない。しかし、日本名で暮らしていても差別はされる。クラスメイトや教師が差別的な言葉を吐くのを聞いたこともありました。

 何より不幸なことは、在日は自分自身を貫くことができないということです。自分は朝鮮人なのか、韓国人なのか、在日コリアンなのか、あるいは日本国籍を取得して日本人になるのか──。そういうことは、自分で選び取るものだと僕は思っています。「自分は在日コリアンだ」と思えば、そうやって生きていけばいい。しかし、そうはなかなかできないですよ。自分では在日コリアンだと思っているのに、在日コリアンとして生きることができない。いわば自分自身として生きることを阻まれるわけです。だから、それに対して抵抗しなければならない。長じて僕が本名で生きることを選んだのは、かっこよく言えば、自分自身として生きるための抵抗です。そういう抵抗や努力をしなければならない点で、在日コリアンは不幸ですよ。

 ただしね、不幸なのは別に在日コリアンだけじゃないでしょ。日本人の中にも必要な救済が十分になされてこなかった人たちがいますよ。水俣病など公害の患者さんとか、放置されてきた被害者は数知れずいます。ほかにも不幸な境遇の人はたくさんいる。だから、在日は不幸だった、現在も不幸であると過剰に言いつのるべきではない。そう僕は思っています。

誰もが当たり前に自分のままで生きられる社会

日本は、以前と比べて暮らしやすい社会になっていると思いますか?

 昔に比べたら、日本社会はかなり多様化してきたと思います。日本で暮らす外国人も増えていますし、在日コリアンも、本名で生きたり、出自を明らかにすることが以前よりはできるようになっている。例えば、芸能人が週刊誌で在日コリアンだと告白するようなことは、昔では考えられませんでしたよね。

 一方、多様化への反動なのか、寛容さのようなものが希薄になっているようにも感じます。誰かをやり玉にあげて「謝罪しろ」とみんなで迫ってみたり、いわゆる「ネット右翼」と呼ばれる人が増えたりね。

 僕の立場から日本社会に望むことがあるとすれば、とりあえずは、どんな名前でも普通に暮らせるような社会であってほしいということですね。10年くらい前でしたか、朝日新聞の「ののちゃん」という4コマ漫画があるでしょ。あれで、ののちゃんにいたずらをした少年たちが先生に叱られるという場面があったんです。その少年の中に、「朴くん」という子がいるんですね。ほかの日本人の子と一緒に、ごく自然に。彼が在日コリアンであるという但し書きもなくね。僕がイメージする多様な社会とは、ああいうものです。誰もが当たり前に自分のままで生きられる社会。それが多様な社会、暮らしやすい社会だと思いますね。

最後に、「幸福」に関する考えをお聞かせください。

 弁護士という仕事は、出会った人を多少は幸福にできる可能性をもっている職業ですから、自分自身弁護士として、日本の社会を少しでも幸せにするという使命感は常にもたなくてはならないと思っています。

 しかし、何が幸福かというのは難しいですよね。在日コリアンに関して言えば、在日コリアンとして生きていくことが必ずしも幸福だとは限らない。自らの意志で日本に帰化して、「日本人」として幸福に生きている在日だってたくさんいますから。逆に、自分にとって大切なものを手放し、自分の出自を否定することで「日本人」になった在日は不幸だと僕は思う。

 自分の意志で、自分の思うような生き方が選べる。人としての尊厳を守りながら、自分なりの選択で生きていける。そんな生き方ができることが幸福ということなんじゃないですかね。それは日本人も在日コリアンも同じですよね。

李宇海(イー・ウヘ)


1959年福井県生まれ。早稲田大学法学部卒業。東京永田町法律事務所、第二東京弁護士会所属。2001年、在日コリアン弁護士28名による団体「在日コリアン法律家協会」(現「在日コリアン弁護士協会」)を結成し、2006年に代表となる。共著に『裁判の中の在日コリアン~中高生の戦後史理解のために』(現代人文社)がある。