• ご加入の皆さま
  • マイページ
  • 共済金のご請求

バックナンバー

2008年4月号 新シリーズ幸せに満ちた生活提案4回 「幸福」を探し続ける終わりのない旅作家・エッセイスト中村うさぎさん

中村うさぎさんは、誰もが抱く「幸せになりたい」という欲求を、誰よりも独自の方法で、誰よりもアクティブに実現しようとしてきました。ブランド品、ホスト、美容整形と、中村さんの「欲望」の対象はその時々で変化してきましたが、その根本にあったのは「幸福を探し求める生き方」であり、それを赤裸々に、正直に告白し続けていることが、数多くのファンの心をとらえている理由なのだと思います。小倉千加子さんとの対談『幸福論』(岩波書店)などで語られている幸福観を背景としながら、中村さんの現在進行形の「幸福への旅」をご紹介します。

「欲望」と「幸福」との関係

ショッピング、ホスト、美容整形など、これまで中村さんは様々な嗜癖(アディクション)を体験されてきました。その背景には、「幸せとは何か」という問いや「幸せになりたい」という欲求が常にあったように思いますが、いかがですか?

 確かに、「欲望を満たすことで幸福に近づけるのか」ということを、ずっと知りたいと思ってきましたね。幸福って、言ってみれば「満たされている感」じゃないですか。一方、欲望とは、何かが欠落していると感じていて、それを埋めるために何かを欲しがるということですよね。欠落を埋めれば満たされる、満たされれば幸せになる。だから、欲望を満たしていけば幸福になれる。理論的にはそうなるはずですよね。でも、どうやらそうではないらしいと、私はある時期に気づいたんです。

 昔、社会学者の宮台真司さんと対談した時に、楽しい一瞬を重ねていけば楽しい毎日になり、楽しい毎日をつなぎ合わせていけば楽しい人生になる。それが幸福ということなのではないか──そんなこと言われたことがありました。確かに説得力のある言葉ではあるのだけれど、私は彼と話しながら、「本当にそうなのかなあ?」と思っていました。自分のアディクションの経験から考えてみても、「楽しいこと」と「幸福であること」はどうも違うのではないかと。

欲望を満たすことでは幸福になれないと気づいた?

 欲望が満たされた後の充足感とか快感ってとっても大きいんだけれど、でもそれって、根本的に欠落しているものを埋めていないわけですよ。歯が痛いから鎮痛剤を飲むようなもので、一時期痛みが治まっても、虫歯は裏でどんどん進行していって、ついに歯が腐って落ちてしまうようなことになる。それと同じで、瞬間的な快感はたんなる鎮痛剤に過ぎないと思うんです。

 確かに、お腹いっぱいおいしいものを食べたりすると、「ああ、シアワセ」とか思って幸福な気分になったりするわけです。でも、その後に必ず新たな空腹が待っている。おいしいものを食べて、お腹が空いて、また食べて──。そんなことを繰り返しているうちに、簡単には食欲が満たされなくなってくるんですよ。それで、ものすごくたくさん食べてしまったり、すごく高価な料理を食べないと気が済まなくなったりしてしまう。快感とはそういうもので、刺激に対してどんどん麻痺していくんです。そうやって次々に欲望を満たしていけばいくほど、幸福からはますます遠ざかっていく。これはまさしく実感ですね。

退屈な幸福よりも、刺激的な快感の日々

快感と幸福は違うと思い始めたのは、いつ頃でしたか?

 買い物依存症の終わりの頃でしたね。私はこんなに欲しいものを手に入れたのに、こんなに幸せじゃない。ある日、そう思ってしまった。

 もちろん、買い物を繰り返している時は、現在が幸福でないことはわかっているんです。でも、「次はきっと幸福になれる」「今にきっと満たされる」みたいな幻想がある。それで買い物を繰り返す。でも、そこからふっと冷めてみて、「5、6年の間買い物に没頭していた私に何が残ったか?」と自問自答してみると、残ったものは、家の中にほとんどゴミのように堆積しているブランド品の山だけだと気づくわけです。その蟻塚みたいな欲望の残骸を見ていると、ほとほと空しいわけですよ(笑)。

 そうやって、私は買い物依存から抜け出したのだけれど、でも、いざブランドものを買うことをやめてしまうと、今度は退屈してくるわけです。大きな悦びもなく、かといって大きな苦しみもなく、ほどほどで暮らしている。そんな状態が続くと、買い物依存の時期を思い起こして「あの頃の方が私は生き生きしていた」とか思ってしまう。そして、狩人のように獲物を求めて旅立たないといけないような気持ちになってしまう(笑)。まあ、そんな感じで、次はホスト依存になったわけです。

そういうサイクルから脱却する方法はあるのでしょうか?

 家族をつくるというのは、ひとつの方法かもしれない。例えば、恋愛っていうのはとても気持ちがいいんだけれど、長くは続かない。長くは続かない恋愛を、うまく家族愛とか絆のようなものにシフトさせていくための装置が結婚ですよね。

 でも、その結婚が最近はあまり機能していないでしょう。家族をつくったり、子供をつくったりすることに魅力を感じていない人が多い。それって、やっぱり結婚には快感がないからだと思うんですよ。幸福な状態って、快感がないんですよね。充足感はあるけれど、刺激がない。だから退屈する。旦那の顔を毎日見ていて楽しいはずもなく、子供をつくっても子育てがたいへんでストレスがたまる。本当はそこを乗り越えないと幸福にはたどり着けないのだけれど、乗り越えようとは思えない。なぜかというと、そこから簡単に逃避できる手段がたくさんあるから。欠落を埋め、快感を手軽に満たしてくれる刺激が世の中に氾濫しているから。

 夫婦関係や子育てで悩んでいた主婦が、何かの弾みでパチンコでめちゃくちゃ勝ってしまって、それ以来、子供をつれてパチンコに通い続ける、みたいなケースってすごく多いんですよ。パチンコの玉を見ていると頭の中が真っ白になって気持ちいい。家庭的な役割から解放されたような気分になる。それで子育てを放棄したり、大金をつぎこんだりしてしまう。それって、完全なアディクションですよね。頑張れば幸福になれるかもしれないのに、快感の方に突っ走ってしまうわけです。

そういう人の気持ちはわかりますか?

 わかりますね。幸福を味わう感度と快感を味わう感度が両方人間にあるとしたら、現代人は、快感感度の方が発達してしまって、幸福感度が鈍っているんだと思う。私も、まさにそう。

 私には家族はとりあえずいるわけですよ。結婚していますからね。夫とはすごく仲がいいし、お互いに必要ともしている。その点で不満はない。仕事も食べていける程度にはある。友達もいて、いろいろ相談したりもできて、楽しみや悩みを分け合うこともできる──。そうやって条件を数えていけば、私は幸福でないことはないんですよ。

 だけど、「ああ、私って満たされてるなあ」なんてことは思わない。条件的に見れば幸福なのかもしれないけれど、自分では幸福だと思わない。まさしく、幸福感度がいかれているんです。そもそも私って、退屈な幸福と刺激的な快感の日々のどちらかを選べと言われたら、迷わず後者を選んでしまう、そんな人間なんです(笑)。

「自分のモノサシ」と「他人のモノサシ」

『幸福論』の中では、「自分のモノサシ」をもつことが幸福への道かもしれない、ということをおっしゃっていますよね。

 あまりにも世間の価値観に振り回される人が、世の中多いですからね。そうではなくて、いろいろなものの価値に自分なりの優先順位をつけられるというのが、「自分のモノサシ」をもつことだと私は思うわけです。

 でも、その考え方を推し進めていくと、自分のモノサシがあれば、他者は必要ないということになっていく。「ガンダムに囲まれていればそれで幸せ」みたいなね(笑)。それってまさしく自分のモノサシなんだけれど、その人はずっとガンダムに囲まれて生きていけるわけではないですよね。誰かに自分のコレクションを見せびらかしたいとか、友達が欲しいとかいずれ思うようになる。そうやって人とのコミュニケーションを求めると、自分に欠けているものを否応なく発見してしまうことになる。そうすると彼のモノサシは壊れるわけだけれども、そういう壊れ方は絶対に必要なことでしょ。

 そういう「ガンダムな人」と、他人のモノサシだけで生きる人。それが両極端だと思うんです。一番幸せな人は、自分のモノサシと他人のモノサシが寸分の狂いもなく一致している人ですよね。自分のモノサシで生きていれば、それがそのまま他者からの評価になるのが一番いいわけです。でも、そんなこと絶対にあり得ない。自分のモノサシと他人のモノサシは、絶対に合わないようにできているんですよ。

 だから結局のところ、バランスなんですよね。自分のモノサシと他人のモノサシのバランス。そのバランスの保ち方が上手な人が、もしかしたら幸せな人ってことなのかもしれない。

中村さん自身は、その二つのモノサシの間を行ったり来たりしてきたのですか?

 そうでしょうね。ブランドものにしても、人が欲しがるから自分が欲しがったということはあるでしょうし、恋愛もそうですね。私が選ぶ男のタイプって、他人から見てもかっこいい人なんです。知性とかは全然求めない(笑)。そうなると、どこまでが自分の好みで、どこまでが他人の欲望の反映なのかはわからないですよ。これまでその二つの間を揺れ動きながらやってきたし、今後もそれを繰り返していくってことなんでしょうね。

 それって理屈じゃないんですよ。『幸福論』での小倉千加子さんとの対談はそれなりに楽しかったし、小倉さんとはお酒を飲んで話すとすごく意気投合したりもするんだけれど、でも私と彼女は物事の視点がまったく違う。小倉さんって、人間社会を鳥の視点で見ていると思うんです。人の世を高いところから俯瞰して大きく捉えている。そして、あらゆることを理屈で説明しようとする。学者ですからね、それでいいんです。

 それに対して、私は犬の視点なわけですよ。空を飛ぶことは絶対にできない。地面にへばりついたまま、同じ犬族と交わり合いつつ、「ああ、今日は楽しかった」「ああ、今日は苦しかった」と思いながら日々生きていく。そうやって答えの出ない問いについてずっと考え続けていく。それが私の生き方だと思う。

 でもね、私だから言えることってあると思うんですよ。昔、ユーミンが「お金じゃ幸せになれないってみんな言うけど、いやになるぐらいお金を使った人しかそれは言っちゃいけないのよ」みたいなことを言っていて、今、私はほんとにそうだなと思う。お金じゃ幸せになれないんだよね。それはそうなんだけれど、それって、いやになるくらいお金を使ってみて初めて言えることなの。大金を使ったこともない人が、「お金じゃ幸せになれない」とか言っているのは、負け犬の遠吠えにしか聞こえない。

 だから、私は心の底では「子供を産んだからといって女は幸せにはなれない」と思っているけれど、それは言わないようにしている。なぜなら、私が子供を産んでいないから。でも恋愛と買い物に関しては自信をもって言えますよ、「すごく快感だった、でも幸福にはなれなかった」って(笑)。

何度失敗しても幸福への道をあきらめないという意味では、中村さんはとても誠実な生き方をされていると思います。

 意地になってるんじゃないですかね。中途半端に私が幸せになってしまったら周りが納得しない、みたいな(笑)。挫折した方が楽でいいんだけれど、それも悔しいしね。森光子みたいに「87歳になったから、もうでんぐりがえしはできません!」くらいのところまでやれば許してもらえるかもしれないけれど(笑)、50そこそこで「もう疲れました、降ります」ってのは通用しない気がする。自分の経験をこれまで公に向かって書いてきた責任っていうものがありますから、降りられませんよ、簡単にはね。

中村うさぎ(なかむら・うさぎ)


作家、エッセイスト。1958年生まれ。福岡県出身。同志社大学文学部英文学科卒業。会社員、コピーライター、雑誌ライターなどを経て、91年にライトノベル作家としてデビューし、『ゴクドーくん漫遊記』で人気を集める。その後、自らの浪費癖を赤裸々に告白したエッセイなどで幅広いファン層を獲得する。『ショッピングの女王』(文春文庫)、『美人になりたい』(小学館)、『女という病』(新潮文庫)ほか、著書多数。