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2008年1月号 新シリーズ幸せに満ちた生活提案1回 お金をかけず、知的に楽しく~身近な生活の中にある「幸せ」の形庶民文化研究家町田忍さん

 私たちは、どんなとき、どんな瞬間に「幸福」だと感じるのでしょうか。もちろん、経済的安定や物質的充足は欠くことのできない大きな要素です。ただ、「お金があるから」「いろいろな物を持っているから」というだけで、人間は幸せになれるものではありません。
 昨今、「GNP」「GDP」ならぬ、「GNH (Gross National Happiness)」という概念が見直されています。訳すと「国民総幸福量」。つまり、お金や物質、消費だけが人間の幸せではない。それらのもので測ることができない「幸福」というものを見直してみよう、という考え方です
 新シリーズでは、お金では買えない、あるいは物質では満たすことのできない、「幸せのありかた」「幸せの作り方」をお聞きし、豊かな生活への道しるべとしていきます。

  この数年、昭和30年代の生活や風俗を見直そうという風潮が高まっています。「古きよき時代」が再評価されるのは、物質的に恵まれた現代にあって、多くの人が何かが足りないと感じているからなのかもしれません。「今月のおすすめ」の新シリーズ「幸せに満ちた生活の提案」第1回は、庶民文化研究の第一人者であり、お菓子や薬のパッケージ、納豆ラベルをはじめとする日用品の膨大なコレクションで知られる町田忍さんに登場していただきます。趣味の楽しさ、昭和と現代の生活感覚の違い、お金をかけない知的な遊びのすすめなど、興味深い話をうかがいながら、現代における「幸福」のあり方を探りました。

個人的な趣味が貴重な資料に

町田さんが庶民文化の研究を始めるに至った経緯をお聞かせください。

 僕が「庶民文化研究家」を名乗り始めたのは平成に入ってからで、それまでは生活の中で身の回りにあったものを集めていただけなんです。世に言う蒐集(しゅうしゅう)家のように、お金を出して貴重なものを買い集めるのではなくて、単に捨てるのがもったいないから取っておいたんですね。

 例えば、チョコレートの包装紙を集め始めたのは、昭和30年代の初め、小学校に入った頃でしたが、当時は今と違って、チョコレートを買ってもらうことはすごい事件だったわけです。次いつ食べられるかわからないから、記念に取っておこう。そう思って保存しておいたのがいつの間にかコレクションになっていた。インスタントラーメンにしても、当時はまだ新しい食べ物で、値段も現在に換算して500円か600円くらいしましたから、袋を捨てるのがもったいなくて取っておいた。そういうことがずっと続いて現在に至っているんです。集めたものを途中で捨てなかったのは、僕が生まれてから一度も引っ越しをしていないからです(笑)。コレクションの種類はその後どんどん増えて、今では150種類くらいになっていますね。

そうやって集めてきたものが、現在では昭和の庶民の生活を知る貴重な資料になっているわけですね。

 結果的にですよね。本来はごく私的な趣味で、ただひたすら集めて、夜中にひとりで眺めてにたにたしていただけですから(笑)。

 コレクションが注目されるようになったのは、銭湯の写真集を出したのがきっかけでした。29年前に銭湯の写真を撮り始めて、新宿のアルタのギャラリーで写真展を開いたんです。それが一冊の本になって、そこそこ評判になった。それでマスコミが、銭湯の写真以外の僕の蒐集物にも着目し始めて、雑誌に紹介されたり、本になったりするようになったわけです。例えば、昭和47年から集めている納豆のパッケージは、『納豆大全!』(小学館)という本になりました。蚊取り線香のコレクションをめぐる話は、『蚊遣り豚の謎──近代日本殺虫史考』(新潮社)という本にまとまっています。近いうちに、甘栗のパッケージに関する本も出ます──と、こんな感じで、気がついたら40冊以上になっていました。まさか、こんなに本を出すはめになるとは思ってもみませんでしたよ(笑)。

150にのぼるコレクションの中で、とりわけ価値があるものは何でしょうか?

 金銭的な意味で価値のあるものは、ほとんどないと思います(笑)。ただひとつ言えるのは、数を集めてみると、「謎」が見えてくるということですね。その謎を解く中で価値が生まれてくるということはあります。

 例えば僕は、世に出回っている30種類以上の正露丸のパッケージを保存しています。そのパッケージをずらっと並べると、そこにいろいろな謎が浮かんでくるわけです。なぜ、いろいろなメーカーがつくっているのか。なぜ一社だけが「正露丸」ではなく「征露丸」と表記しているのか。パッケージにある肖像は誰なのか。そもそも、最初に正露丸をつくったのは誰か──。そういう謎にぶち当たると、調べたくてうずうずしてくるんですね。そして実際に調べてみると、いろいろなドラマが見えてくるし、ひとつの事実から枝葉が分かれてどんどん面白い事実が明らかになる。これが実に楽しいわけです。

 ちなみに、この正露丸のコレクションは、裁判の資料としても使われたんですよ。「ラッパのマーク」の大幸薬品が「ひょうたんマーク」の和泉薬品工業のパッケージデザインをめぐって起こした訴訟問題の時ですね。

個人的な趣味が世の中の役に立ったわけですね。

 これはたまたま裁判の役に立ちましたが、ものを集めたり、集めたものの謎を解くというのは、基本的には遊びですよね。すごく面白くて、しかもお金のかからない知的な遊びです。

 僕は高いお金を払って書画骨董を集めたりすることには何の興味もないんです。あの世界には需要と供給があって、値段がつくでしょう。それなりの値段がつけば、みんなが大事にするから、書画骨董は結果として後世に残っていく。一方、日常的な消耗品というのは、捨てられてしまって残らないわけです。しかし、僕たちの生活からかけ離れた書画骨董が残って、生活に身近なものほど残らないというのは変な話ですよね。だから僕は、何の価値もない身の回りのものを残すことに意味があると考えているんです。

 誰も集めたことがないものを集めて、それについて調べるというのは楽しい作業ですよ。先にやった人がいないからとても苦労するんですが、謎の答えをつきとめた時の達成感というのは、最も幸福な瞬間と言ってもいいですね。お金には換えがたい達成感です。高いお金を払って書画骨董を集めている人には味わえないような感覚だと思いますよ。だって、未開の地に最初の足跡を残すことができたわけですから。大げさに言えば、世界で初めての偉業ということでしょう。事実、正露丸の研究者は、僕しかいませんからね(笑)。

昭和30年代、その光と陰

町田さんが著書『昭和なつかし図鑑』(講談社文庫)でお書きになっている時代や、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』で描かれている時代と現代との最大の違いは何だと思われますか?

 現代は物質的に恵まれた時代ですが、あの時代、昭和30年代はそうではなかった。それが最大の違いでしょうね。あの時代には、「使い捨て」という感覚はありませんでした。使い捨ての容器とかビニール袋が登場したのは、基本的には高度経済成長期に入ってからです。

 時代が大きく変わった節目は、昭和38年でしたね。東京オリンピックを翌年に控えて、町をきれいにしなければならないということになった。銭湯の桶も、木は不衛生ということで、プラスチックのケロリンの桶に変わった。家の前にあったゴミ箱もポリバケツに変わった。それが全部昭和38年です。あの年から町の風景が変わり始めましたね。

その頃の人々の生活は、現在よりも幸福だったと思いますか?

 それは一概には言えないと思います。確かに、あの頃は楽しかったですよ。戦中戦後の暗い時代から抜け出して、電化製品やインスタント食品など、毎日のように新しいものが目まぐるしく出てきて、感激することがたくさんありました。考えてみると、現在、身の回りにあるものの多くは昭和30年代に登場しているんですよね。テレビ、電話、洗濯機──。わが家にテレビが初めてやってきたのは昭和33年でしたが、あれは感動しましたね。それまで何もなかったところに、いきなりあんなすごいものが登場してきたわけですから。今、40インチのプラズマテレビを買ったとしても、テレビを初めて見た時の感激には及ばないでしょう。

 しかし、いいことばかりではありませんでした。公害も多かったし、子供の病気も多かった。僕も幼稚園の園庭で遊んでいると、お尻の穴から白くて長い虫がにょろっと出てくるようなことがありました(笑)。どぶは臭かったし、トイレも汲み取り式でハエがたくさんいた。交通事情も悪かった。

 あの頃を少年として過ごした僕にとっては、とっても幸福な時代ではありましたが、「今よりいい時代だった」とは簡単に言えないところもありますね。

意外と身近にある幸福の「ネタ」

物質的に恵まれた現代において「幸福」を追求するには、どのようなやり方があると思われますか?

 人それぞれだと思いますが、僕は、身近なものを楽しむこと、生活に知的な遊びを持ち込むことがひとつの幸福だと思っています。例えば、日常の風景の写真を撮ったり、お金をかけない気楽な旅をすることが、とても楽しくて幸せですね。

 よく、カメラを持って電車に乗って、どこかの駅でふらっと降りて、そこで面白いものを探すんです。町並みを眺めながらぶらぶら歩いたり、ちょっと店に入ったりすれば、何かしら面白いものが見つかります。その土地でしか売っていない薬とか、へんてこな看板とか、貼り紙とかね。そうやって、自分の150くらいの引き出しの中身をひとつひとつ増やしていくわけです。

 観光地に行った時には、観光客が歩く表通りではなく、一本裏に入った生活道路を歩きます。裏通りには人が住んでいるでしょう。そこを歩いて、地元の人と話したりするわけです。そうすれば、生活や歴史の厚みのようなものを直接知ることができる。そういうことが面白いんです。

 そもそも、僕が興味があることは、インターネットでは検索できないようなことばかりですから、自分の足で歩くしかないんですよね。歩き回って、ものを集めて、それを眺めながら謎を発見して、徹底的に調べる。そんなことをこれからも繰り返していくと思いますよ。

最後に、このウェブサイトの読者に向けてメッセージをいただけますでしょうか。

 お金をかけなくても楽しめることはたくさんありますし、そのネタも、意外と身近にあるものです。何か身近なテーマをひとつ定めて、それを研究してみるのは面白いですよ。どんなテーマでも10年くらい続ければ、その道の達人になれます。達人にならなくても、自分が楽しければそれでいいですよね。テーマがなかなか見つからないという人は、少年の頃の気持ちに戻って、少年の目でものを見ることを意識してみるといいと思います。そうすると、いろいろなものが新鮮に見えてきます。大切なのは、好奇心です。

 それから、重要なポイントは、周りの人を巻き込むこと(笑)。僕のかみさんは、最初は僕の趣味にまったく興味を示さなかったのですが、途中から非常に協力的になってくれて、今では率先して納豆のラベルを集めています(笑)。それから、今僕がやっている庶民文化研究所は、次男が継いでくれると言っています。

 自分の趣味の楽しさを一生懸命伝えた結果、自分ひとりの楽しみだったものが、家族の楽しみになったわけですよね。自分の趣味や研究テーマの楽しさを友達や家族に伝えて、一緒に楽しんで感動してもらえれば、みんなが明るくなる。そういうことが、ひとつの幸福なんじゃないですかね。

町田忍(まちだ・しのぶ)


1950年東京都目黒区生まれ。和光大学人文学部芸術学科卒業。在学中、博物館学芸員資格取得実習に行った国立博物館で博物学に興味を抱く。また、ヒッピーとしてヨーロッパ各地を放浪する。卒業後、約1年半の警視庁警察官勤務を経て、風俗意匠の研究を始める。各種パッケージ等の蒐集は小学校時代から継続中。チョコレート、納豆ラベルのコレクションは3000枚を超える。現在はエッセイスト、写真家、庶民文化研究家として活躍中。『戦時広告図鑑』(WAVE出版)、『昭和レトロ博物館』(角川書店)、『懐かしの町散歩術』(ちくま文庫)、近著・写真集『銭湯遺産』戎光祥出版ほか、著書多数。

町田忍博物館