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2009年8月号 絵本をめぐる世界最終回 絵本の価値を伝えていくために 安曇野ちひろ美術館館長 松本猛さん

今から30年以上前、東京の練馬区に小さな美術館が設立されました。世界初となる絵本専門美術館であり、その地に生前暮らしていた絵本画家、いわさきちひろの作品のほとんどを収蔵する貴重な施設でもありました。その「いわさきちひろ絵本美術館」(現ちひろ美術館・東京)を設立したのが、ちひろの長男であり、現在は安曇野ちひろ美術館の館長も務める松本猛(まつもと たけし)さんです。シリーズ「絵本をめぐる世界」の最終回は、世界中の絵本原画の蒐集事業なども行っている松本さんに、美術としての絵本の価値や、画家いわさきちひろの魅力などについて語っていただきました。最終回を締めくくるにふさわしい、素晴らしいお話をうかがうことができました。

世界初の絵本専門美術館

ちひろ美術館は、世界でも例のない絵本専門美術館として出発しました。なぜ、絵本の美術館をつくろうと考えられたのですか?

松本  いわさきちひろが亡くなった後、銀座の小さな画廊でちひろの個展を開きました。それに予想外の大きな反響がありまして、次はきちんとした美術館で個展をやりたいと考えたわけです。そこで、いくつかの美術館に相談してみたのですが、ほとんど門前払いのような扱いを受けました。絵本画家の作品の展覧会について真面目に考えるような美術館は、当時の日本にはひとつもなかったんですね。絵本は、まともな美術作品とみなされていなかったわけです。

 事情は大学でも同じでした。僕は、大学の卒論で仏像彫刻を取り上げようと思っていたのですが、母が突然亡くなったので、テーマを急遽、現代の絵本に変えました。しかし、担当教官がつかないんですよ。「絵巻や江戸絵本ならいいよ」とか、「ヨーロッパの じとうしょ (じとうしょ)だったらやるけど」と言われて断られました。

  ちひろに限らず、以前から、絵本作家の中には非常に優れた作品を描いている人がたくさんいました。にもかかわらず、そういう人を評価できるシステムも、そういう人の作品を展示できる美術館もない。そのことに僕は気づきました。ないなら自分でつくるしかありません。それで、「いわさきちひろ絵本美術館」(現・ちひろ美術館・東京)を設立したわけです。

その美術館が30年以上も続くと予想されていましたか?

松本  おそらく多くの人は、「こんな小さな美術館はすぐにつぶれるだろう」と考えていたでしょうね。しかし、つぶれずに生き残った。そればかりではなく、お客さんもどんどん増えていきました。

 僕は、この美術館をつくった時、日本の公立美術館が絵本を扱うのは50年後だろうと思っていたんですよ。しかし、変化はもっと早く訪れました。現在では、どの公立美術館でも絵本原画展をやっています。絵本専門美術館も30を超えています。これは、世界でもダントツの数字です。なぜ、多くの美術館が絵本を扱おうと考えるようになったか。「ちひろ美術館がつぶれないんだから大丈夫だろう」という判断があったからでしょう。その意味では、この美術館が果たしてきた役割は、たいへん大きかったと思いますね。

世界中を回って原画を集める

その後、絵本の原画を蒐集する事業を始められましたね。

松本  当時、日本に限らず、世界のどの国でも、絵本の原画は散逸するに任されていました。遺族が大切に保管しているケースもありましたが、ほとんどの場合、どんな名作であっても、まともに取り扱われていなかったわけです。僕は、すぐれた絵本の原画には間違いなくアートとしての価値があると確信していましたから、そのような状態はまずいと考えました。そこで世界中を回って、絵本画家と直接交渉して原画コレクションを始めたわけです。これは世界でも初の試みで、画家に会うたびに「日本には絵本の美術館があるのか」とびっくりされたのを覚えています。

  原画の蒐集は、言葉の問題を除けば、それほどたいへんではありませんでした。絵本の絵描きには、嫌な人間というのがまずいないんですよ。あらゆる国で、絵本はファインアートとして認められていません。したがって、画壇で上りつめようという野心をもちようがないわけです。誰も絵で儲けようなどと思っていないし、世間ずれしたいやらしいところもない。自分の表現の追求に必死で、そうやって一生懸命描いたものが、たまたま子どもに受け入れられたから、絵本の世界で仕事をしている。そんな人ばかりでした。こちらが原画蒐集の意図を説明すると、みんなすぐに理解してくれました。拒絶されたことは一度もありません。

蒐集された原画は、現在何点くらいあるのですか?

松本  2万7000点弱ですね。画家は30カ国で194名に上ります。コレクションは現在も継続していて、今後も続けていくつもりです。

  美術館や博物館には、その時代の優れたものを後世に伝えていくという重要な役割があります。例えば、これから50年間原画の蒐集を続けて、それぞれの年の優れた作品が集まっているということになれば、これはものすごい価値ですよ。そのコレクションを見て、作品を描きたいと思う人も出てくるだろうし、絵本の編集者や研究者にとってもたいへん貴重な資料となるでしょう。そのために、毎年こつこつ集めていく必要があるんです。

絵本こそが美術史の本流

美術史的に見て、絵本にはどのような価値があるとお考えですか?

松本  ヨーロッパの教会に行くと、キリストの生涯を追った絵が飾られていますでしょう。あれは物語の絵解き、つまりイラストレーションですよね。キリスト教美術だけでなく、宗教絵画はすべて背後に物語がありますし、ギリシア神話をテーマにしたヨーロッパの絵などにもすべて物語があります。

 絵の始まりには、物語との結びつきがあった。そして、絵は物語とともに発展してきた。そう考えれば、絵と物語が一体になった絵本こそが美術史の本流であって、絵だけが独立したファインアートは、むしろ傍流であるということになります。にもかかわらず、19世紀以降の近代美術史は、本来傍流であるはずのファインアートを美術史の中心に置いてきたわけです。

  なぜそうなってしまったか。誤解を恐れずに言えば、美術史をつくったのが画商だからです。絵を売る人たちは、自分が売る作品に権威づけをして、特別な価値を付与しなければならなかった。そうしないと、作品を高く売ることができないからです。画商は、イラストレーションは扱いません。イラストレーションは大衆に支持されて、大量に印刷することを前提にしたものですからね。だから、絵本やイラストレーションは権威づけをする必要がなかった。したがって、学問の分野から離れて、それらは美術史の本流にはついに位置づけられなかった。そういうことです。

絵本が子ども向けのメディアと捉えられるようになったのは、なぜなのでしょうか。

松本   19世紀の終わりから20世紀のはじめにかけて、子どもを人間として扱おうという思想が初めて生まれました。同時に、「児童のための教育」というテーマも生じました。子どもにどうやって教育を施すべきか。そう考えた時に、絵本のスタイルは極めて有効だったわけです。花の絵と花の名前、あるいは花についての物語が一緒に描かれていれば、子どもは、花とは何かということをすぐに理解できますからね。それで、20世紀になると、子ども向けの本としての絵本が瞬く間に普及していくわけです。それ以前の絵本は、完全に大人のための本だったんですよ。リチャード・ドイルやアーサー・ラッカムの豪華な絵本もそうだし、江戸の浮世絵師たちが作った絵本だってそうです。

  もちろん現代では、絵本は子どもにとってものすごく大切なものになっています。絵本とは、親と子どもを結びつける「場」であると僕は考えています。子どもに絵本を読み聞かせることで、親と子が同じく空間で、目線を同じくして、同じ時を過ごすことができます。現代では、子どもと親の接触がどんどん希薄になっているし、同じものを見て、同じように感動することも少なくなっています。そんな時代にあって、人と人とのつながりをつくる「場」として、本はとても有効であると僕は思います。東京でも安曇野でも、絵本の読み聞かせのイベントをやっているのは、そのためなんです。

絵本画家としてのいわさきちひろ

いわさきちひろさんについてもお聞きしたいと思います。ちひろさんの絵本画家としての最大の特徴は何だと思われますか?

松本  子どもをテーマにした絵描きということでしょうね。戦後、日本では、子どものための新しい文化をつくろうという大きなうねりがありました。26歳で終戦を迎えたちひろは、そのうねりの中で子どもを描き続けることができました。子どもを描いて、それが仕事になる。そういう時代的な条件があったわけです。もしほかの時代だったら、いわさきちひろという才能が開花したかどうかわかりません。

 もうひとつ、いわゆる物語絵本とは異なる、いわばシネポエムのような絵本を描いたのも、ちひろの特徴でした。例えば、絵とわずかな言葉だけで、子どものよろこびや悲しみを表現する。そういうスタイルで絵本を描いた画家は、ちひろ以前にはいなかったと思います。

ちひろさんは、なぜ子どもを描き続けたのでしょうか?

松本  子どもが好きだった。それに尽きると思いますが、戦争を経験したことも大きかったでしょうね。戦争中に自分の周りから可愛らしいもの、きれいなものがすべて消えていくという経験を彼女はしました。だからこそ、自分の手で可愛いものやきれいなものを残していきたいと考えたのだと思います。

 子どもは、いわば命の象徴です。子どもを大切にすることは、人間を大切にすることであり、平和を大切にすることである。そう彼女は考えていました。もっとも、それは僕が言葉にして伝えるまでもなくて、彼女の絵を見れば自然に感じられることですよね。

いわさきちひろならではの表現とは、どのようなものだと思われますか?

松本  いろいろありますが、ひとつは、「滲み」の表現ですね。水墨画のように、淡い色を滲ませ、そこに感情を込める。人間の心のありようと滲みが共鳴するように描く。そんな描き方を彼女はしていました。

 晩年、と言っても、まだ50代でしたが、その頃の彼女は、一切下書きをせずに描いていました。集中し、気をつめて、白い画用紙に最初の筆を落とす。それが勝負でした。そこから一気に筆を滑らせていくわけです。彼女は、自分の筆さばき、技術に自信を持っていました。若い頃から、彼女が筆をもたない日はありませんでした。才能もあったと思いますが、長い時間をかけて努力してきたからこそ、そういう自信を自分のものにできたのでしょうね。

  ちひろの絵は、年を取るにつれて、どんどんシンプルな方向に行きました。モノクロームの絵を好むようになり、ぎりぎりまで抑制した表現によって深い感動を生み出すということを意識していました。色を少なくするだけでなく、多くの余白を使うことにも意識的でした。何かを表現するために、徹底的に描き込む画家もいますが、彼女は、どこまで「削る」ことができるかに挑戦していたように思います。子どもの周りに何も描かれていなくても、そこに何かがある。あるいはかつて何かがあった。そんなことがはっきりとイメージできる絵を彼女はたくさん残しています。

ちひろ美術館の今後の展示会の予定などについてお聞かせください。

松本  ちひろ美術館・東京では、9月6日まで「ちひろとローランサン」という展覧会を開催しています。安曇野ちひろ美術館では、同じ時期に「ちひろの四季」という企画展とクロアチアの絵本画家であるフセイノヴィッチの展覧会を行っています。また平塚市美術館では、「わたしがえらんだ いわさきちひろ展」を8月30日まで開催しています。

  それから、ぜひ見ていただきたいのが、東京・新宿で開催する「ちひろ美術館コレクション~ミリオンセラーの絵本原画と世界の絵本画家たち」という展覧会です。これは、これまで蒐集してきた絵本原画の中から18カ国70名120点を厳選して紹介するもので、エリック・カールやモーリス・センダックといった画家の絵も展示されます。

最後に、これからの目標についてお聞かせください。

松本  美術館は絶対につぶれてはいけないと思っています。美術館がつぶれたら、作品が散逸してしまうからです。この経済危機の中、アメリカでは美術館がどんどんつぶれ始めています。日本でも、来年くらいからつぶれるところが出始めるでしょう。生き残っていくためには、多くの人に支持される企画やイベントを考えて、収入を得ていかなければなりません。絵本作家、編集者、絵本評論家。そういう人たちを育てていくためにも、絵本専門の美術館が果たすべき役割はこれからも大きいはずです。絵本美術館としての活動を続け、絵本の魅力を多くの人に伝え、絵本の世界をもっと広げていくこと。それがこれからの目標ですね。

松本猛(まつもと・たけし)


1951年、絵本画家のいわさきちひろ、衆議院議員の松本善明の長男として東京に生まれる。東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。ちひろ没後の77年に世界初の絵本専門美術館「いわさきちひろ絵本美術館」(現・ちひろ美術館・東京)を設立し、副館長に就任する。97年には、安曇野ちひろ美術館を設立。館長となる。ほかに、長野県信濃美術館館長なども務める。著書に『母ちひろのぬくもり』(講談社+α文庫)、『ぼくが安曇野ちひろ美術館をつくったわけ』(講談社)、『ちひろ美術館の絵本画家たち』(新日本出版社)、小説に『失われた弥勒の手 安曇野伝説』(共著・講談社)などがある。

ちひろ美術館

「ちひろ美術館コレクション ミリオンセラーの絵本原画と世界の絵本画家たち」 2009年7月11日(土)~8月30日(日) 損保ジャパン東郷青児美術館(東京・新宿)にて開催

「わたしがえらんだ いわさきちひろ展」2009年7月18日(土)~8月30日(日) 平塚市美術館(神奈川)にて開催

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