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2009年5月号 絵本をめぐる世界第4回 絵本と人生 作家、クレヨンハウス代表 落合恵子さん

訪れたことはなくても、「クレヨンハウス」という可愛らしい店名を耳にしたことのある人は多いはずです。落合恵子(おちあい けいこ)さんが子どもの本の専門店としてこの店をスタートさせてから33年。その間、絵本は常に落合さんの人生とともにありました。生きることがますます困難になるこの時代、絵本がもつ力を語るのにこれほどふさわしい方はいないかもしれません。一作家として、一書店経営者として、絵本の魅力を存分に語ってくださいました。

完成度の高い絵本には年齢制限がない

絵本の素晴らしさを初めて知った時のことを憶えていらっしゃいますか?

落合  あれはいくつくらいの頃だったでしょうか。私の母は、当時の女性としては珍しく仕事に就いていて、昼間は家にいませんでした。私は友達と遊び終わった夕方、いつも誰もいない家に帰らなければなりませんでした。それから母親が帰るまでの30分か40分くらいが私にとって大切な読書の時間でした。まわりの人はみんな「お母さんが遅くてかわいそうだね」と言ってくれたけれど、私にとっては、うるさい大人がいなくて、本の中の主人公や動物たちと一緒に遊べる最高の時空でした。「豊かな孤独の時」とでも言うのでしょうか。あれが本の素晴らしさを実感した最初だったと思います。

 もっとも、私が小さい頃は、今のように本がたくさんあったわけではありません。当時よくあったのは、大人の視点から見た、「いい子」を育てるための絵本です。お留守番をよくやりましたとか、お母さんのお手伝いをしましたとか。それから西洋の翻訳ものですね。お姫様が出てくるようなお話。

そのどちらも、私はあまり好きではありませんでした。「いい子」が出てくる本は私には窮屈に感じられて、「もっと自由な本があってもいいのに」と思いました。西洋ものにはたいがい不幸な境遇に耐えて生きる少年少女が出てきて、「どうしてこんなに頑張っているの?」と思いました。だって、シンデレラって、王子様に出会えなかったらずっと不幸なままだったんですよ。子ども心に「それはないんじゃない」と思いました。

当時、私が一番好きだったのは、図鑑でした。植物図鑑、昆虫図鑑、動物図鑑、海辺の生き物図鑑──。そういう本をいつももって歩いていました。だから、今でも自然科学は大好きなんです。

大人も楽しめるような良質な絵本と出会ったのはいつ頃でしたか?

落合  19歳の頃でした。レオ・レオーニの作品で、日本では『あおくんときいろちゃん』(至光社)というタイトルで出版されている絵本が最初でした。誕生日に洋書でプレゼントされたのですが、「こんな素敵な絵本があるんだ」とびっくりしたのを憶えています。あれ以来、アルバイトをして少しお金が貯まると、銀座のイエナに行って洋書の絵本を買うようになりました。自分なりに必死に訳したりもしましたね。

絵本は「子どものためのもの」と思われがちですが、落合さんは、大人になってからもずっと絵本と接してこられましたね。

落合  常々言っていることですが、完成度の高い絵本や児童文学と呼ばれるものには、年齢制限がありません。子どもから始まって、上はいくつになっても楽しめる。それが絵本というメディアの価値だと思います。柳田邦男さんは、人は絵本に3回出会うとおっしゃっています。最初は子ども時代に、2回目は子育ての時代に、最後は年齢を重ねてから。

 クレヨンハウスにも、大人の、それもある年代以上のお客様が少なくありません。お孫さんへのプレゼントを選んでいるのかと思うと、実は自分のための本を探しているんです。例えば、ガブリエル・バンサンの『アンジュール』(ブックローン出版)のような本を自分へのプレゼントとして買っていく。そんな方がたくさんいらっしゃいます。素晴らしいことだと思いますね。

自己肯定に導いてくれる絵本の力

これまで絵本に救われたという経験はありますか?

落合  「救われた」というのは、ちょっと大げさです。一冊の絵本の中のある一行、ある一枚の絵にたまたま出会って、それによって心にあった小さい擦り傷が少し治ったり、傷が癒える方向が少しは見えてきたり──。そんなことは多々ありました。

 でもね、ひとりの人間の人生を、ほかの誰かやほかの何かが根本的に救うなんてことはできないと思います。本にだって、そこまでの力はありません。

私は自分自身、本屋であり物書きでありながら、「本がすべて」という生き方はある意味で不健康だと思っています。いろいろな人生の楽しみを知っていて、その中の大事なひとつとして本や絵本がある。それがバランスのとれた生き方であって、「本がすべて」とか「絵本さえあればいい」みたいな考え方は、とても狭いと思います。

とっても素敵に海を描いている絵本があるとするでしょ。そういう絵本は私も大好きです。でも、今私たちの目の前に横たわる海が公害で汚染されているとしたら、私はまずその海をきれいにするために闘いたいと思う。絵本の美しさを伝えることももちろん大事。でも、大切なことはそれだけじゃない。そう思います。

クレヨンハウスでは、出版事業も手がけられています。本を出版する際の特定の方針はありますか?

落合  確固たる方針はありません。ずっと読み継がれるものを出す、だけです。もちろん、私たちが共感する本です。また、よその出版社があまり出さないような本を出すという傾向はあります。子ども時代に虐待を受けた経験のある方が描いた絵本とか、落語の絵本とか。

 落語絵本は、うちの編集長が絵本作家の川端誠さんに「お年を召した方と小さいお子さんが一緒に読める本を出したい」と相談して実現したものなんです。「寿限無(じゅげむ)」とか「大岡裁き」って、子どもでもお年寄りでも楽しめるでしょ。そういう話をしているうちに、「落語絵本って、案外いけるんじゃない」ということになって出版したわけです。それがたいへん人気を集めまして、今ではもう13巻になっています。

 落語絵本を出して何より嬉しかったのは、ある施設の職員の方からいただいたお手紙でした。その施設にひとりのお年寄りが入所したのですが、彼はすぐに心を閉ざしてしまって、誰とも口をきかなくなり、ご飯も食べなくなってしまったそうなんです。施設の皆さんはたいへん心配ですね。そんな時、彼が落語が大好きだということを職員が知って、彼のそばに落語絵本の『じゅげむ』を置いておいた。彼はそれをずっと黙って読んでいたそうです。そうして一年が経った時、そのお年寄りは、大勢の人の前で落語の「寿限無」を披露したんです。人と会話することすらできなかった彼がね。このシリーズは、100万部を、この春、突破しました。

  一冊の絵本によって、彼は自分の過去の記憶や、自分が本当に大切に思っていたものと再会できたわけですよね。そして、自分を肯定することができるようになった。そう思うんです。その人の存在を丸ごと受け入れてくれて、その人が自分を肯定できるように導いてくれる。絵本にはそういう力があるんだなあと、あのお手紙を読んであらためて実感しました。

一年をかけて一冊の本を見つけてほしい

自分にあった絵本を見つける秘訣はありますか?

落合  もし助言を求められたら、「クレヨンハウスに来て、時間をかけて遊びながら見つけてください」と言います。私にできるのは、クレヨンハウスという空間を皆さんにご提供することだけ。急ぐことはないから、この空間で一年をかけて、一冊の本を見つけてください、それができたら大成功ですよ。そう申し上げたいですね。

 もともと私は、お説教風の絵本論は苦手なんです。そういう絵本論は、子どもにとっても大人にとっても窮屈なだけだから。それに、いくら「こんな本がお勧めです」といってストーリーを紹介したりしても、読む人自身が手にとって、ページをめくってみなければ意味がないでしょ。いろいろな本を実際に開いてみれば、好きな絵とか、好きな言葉に必ず出会うことができるんです。そういう出会いがあるまで、どうぞゆっくり座り読みをしてください。忙しくても、ぜひ数カ月のうち一日くらいはそんな時間を過ごしてみてください。それが私からのご提案です。

現在は、100年に一度と言われる厳しい経済状況にあります。こんな時代に、絵本は人々にどのような力を与えることができると思われますか?

落合  今は自分を奪われる時代ですよね。仕事を奪われ、場合によっては住まいも奪われてしまう。多くの人が追い詰められ、疲れています。こんな時代には、自分を丸ごと受け入れてくれる匂いや空気をもつものを、人は求めるのだと思います。そのひとつが絵本ですよね。私は絵本屋として、絵本という居場所に身を置いて、少しでも居心地がよくなってほしいと思います。実際、絵本にはすごい力があります。想像力、共感力、痛みについて考える力──。そういうものを深く耕してくれるメディアが絵本なんです。

 本当に大好きな一冊があるかないかで、その人の生き方は変わってくると思います。大好きな一冊を身近に置いておいて、夜がふけてから読んだり、雨の日に開いてみたり。そうやって折に触れ好きな絵本に接するたびに、とても幸せな瞬間を自分の手のひらに握ることができるんです。

でもね、先ほども言ったように、絵本がすべてではないんですよ。一輪の花を見たって心は耕されるし、旬の美味しい野菜を食べれば、心も体も癒されますよね。そういう素敵なものは、たくさんあった方がいいでしょ。たくさんある大切なもののひとつが絵本。そう考えるのがいいと思いますよ。

(次回に続く)

落合恵子(おちあい・けいこ)


1945年栃木県生まれ。明治大学文学部英米文学科卒業。文化放送のアナウンサーを経て、作家となる。76年に子どもの本の専門店「クレヨンハウス」を開店。以後、女性の本の専門店「ミズ・クレヨンハウス」、有機野菜販売「野菜市場」、オーガニックレストラン「広場」、出版事業など、様々な分野に業態を広げる。近著に『岸っぷちに立つあなたへ』(岩波書店)、『母に歌う子守唄 わたしの介護日誌 その後』(朝日新聞社)などがある。

クレヨンハウス


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