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2009年4月号 絵本をめぐる世界第3回 「絵本作家」という職業 絵本作家 五味太郎さん

おそらく、この人が描いた絵本にまったく触れたことがない人はほとんどいないのではないでしょうか。『みんなうんち』『きんぎょがにげた』『言葉図鑑』『どどどどど』──。五味太郎(ごみ たろう)さんの作品は、よく知られた代表作を挙げるだけでも、長いリストになってしまいます。唯一無二の視点で、絵や言葉、物語を紡いだ五味ワールド。その独自の世界の秘密と魅力、そしてそれを生み出した作家自身のお人柄に迫ります。

気がついたら絵本作家になっていた

様々な表現の形式の中から、「絵本」というフィールドを選ばれた理由についてお聞かせください。

五味  結果的に絵本になったということだよね。自分にとってしっくりくるものをガキの頃からずっと探してきて、いろいろなことをやったのだけれど、結果として一番しっくりきたのが絵本だった。そういうことじゃないかな。

 とにかくいろいろやりましたよ。劇団の旅公演に参加してみたり、マネキンをつくる仕事をしてみたり、デザインの現場に関わったりね。でもいつも、何か違うと思っていた。まあ、生意気だったんだろうね。「これは俺がやるべきことじゃないな」と思っちゃって、今ひとつ本気になれなかった。

 でも、たまたま絵本を描いてみたら、何かいいなと思ったの。それで、いろいろ描いてみるじゃないですか。そのうち、「いいね、本にしましょう」という話になって本が出て、ちょっとすると、「重版になりました」と出版社から連絡が来るわけ。「重版」とか言われても何のことかわからないから、「で、僕は何をすればいいんですか?」と聞くと、何もしなくていい、お金だけ振り込みますと言う。そういうことを繰り返しているうちに、何となく、「ああ、本の商売というのは、こういうシステムなんだ」とわかってきたわけです。

 しばらくすると、「賞をあげます」とか言われてね、賞金ももらっちゃったりして、外国でも出版しますみたいな話も出て、そうやって今に至る形というかリズムというか、そういうものが出来上がったということだね。

最初の頃は、ここまで長期にわたって膨大な作品を描くことになるとは思っていらっしゃらなかったでしょうね。

五味  まさか。気がついたらこうなっていたという感じですよ。人ってたいがいそういうものでしょう。神沢利子さん(児童文学者)の本に『おばあさんになるなんて』(晶文社)という素敵な作品があるけど、それと同じでね、まさに「絵本作家になるなんて」だよ(笑)

絵本作家として生きていこうという確信をもたれたのは、いつ頃ですか?

五味  そういう確信は、今もあまりないような気がする。肩書きなんか、ほんとは何だっていいのよ。絵本でお金をもらっているという意味で言えば、職業名は絵本作家になるというくらいでね。もともと、マーケットなんて意識していないし。

 もちろん、描くこと自体はすごく楽しいですよ。昔、「俺がやりたいことの8割は、絵本の形で実現できる」と言った覚えがあるけれど、それは今も変わっていないね。絵本という表現の形で遊んでいて、それが楽しくて、飽きないということだよ。楽しいから、きりがないんだよ、ほんと。

「ないけれど、ある」、それが絵本の魅力

作品のアイデアは、どのようにして生まれるのですか?

五味  思いつきだよね。その表現が一番近いと思う。何かを思いつくと、「これは絵本になるな」とか、「これは絵本としては無理だな」ということが瞬間的にわかるわけ。その中から、絵本になりそうな思いつきをストックとして自分の中にもっておくんです。

 ストックにはいろいろなパターンがあってね、もやっとしてイメージだけのこともあるし、明確な形をもっているものもある。ひとつの絵をまず描いてみて、「これは展開していきそうだぞ」という場合もあるし、あんまり好きな言葉じゃないけど、コンセプトのようなものがまずあるというケースもある。そういうストックから、具体的になりそうなものを取り上げてやってみるという感じだね。

 やり始めると、すっとうまくいくこともあるし、しばらく迷うこともあるけれど、ひとつ言えるのは、時間の長さと質はあまりリンクしないということ。どちらかというと、わりと短い時間で一気に描けた方が、いい作品になる可能性が高いと思う。

絵本には絵と言葉がありますよね。絵と言葉は、同時に思いつくものなのですか?

五味  絵と言葉だけじゃないよね。色ももちろんあるし、音もするし、匂いもする。物理的な音や匂いはないけれど、絵本を見ていれば、「聴こえるよね」とか「匂っているよね」ということがあるでしょ。ないけどあるんだよ。そこが絵本のよさだよね。

 たとえば舞台なんかだと、奥に山があるわけではないけど、あるように見せたりするでしょ。それと同じでね、実際にはないけれど、あるように思わせる。そこが素敵なの。それが「表現」ということの約束事なんだよ。それを不自由と考えるなら、その人は表現に向いていないということだよね。

 匂いはない、音はない。でもいい絵本からは何かが香り立つし、何かが聴こえる。それは読んでいる人が嗅いだ香りであり、読んでいる人が聴いた音なんだと思う。

創作時には、読者のイマジネーションを高めようと考えますか?

五味  それは僕の仕事じゃないと思っている。銘々が勝手に読んでもらえばいい。その分、僕も勝手にやらせてもらう。

 もっとも、絵本が読める人と読めない人がいるというのは確かだね。たとえば、僕はアニメーションの仕事もしているんだけど、時々アニメーターと議論したりするわけ。たまにいるんだよ、「本って動かないじゃないですか、だから動かしたいんです」とか言う人。そういうことを言う奴とは、個人的にはあまり付き合いたくないね(笑)。「本って動いていますよね」と言う人とだったら、長くお付き合いできると思う。

 『きんぎょがにげた』(福音館書店)という僕の本があるでしょ。あれが読める人は、絵と絵の間がイメージできて、金魚が動いていると感じられるわけ。そこに流れている不思議な時間の中で生きられるわけ。でも、そういう時間を過ごすのが苦手という人もいるよね。絵本の時間と現実の時間がどうしてもリンクしてしまうような人。そういう人にとっては、『きんぎょがにげた』はつまらないと思う。それが駄目だと言うんじゃないよ。単に人間のタイプが違うということだよね。

「子ども向けの本」というものはない

絵本の主要な読者は子どもなわけですが……。

五味  いや、それは違うと思うよ。それは出版社が言っているだけ。絵本の読者が誰かということをあえて言えば、「絵本好きの人」ということでしょう。

 本が今、産業として低迷しているのは、そのあたりのボタンのかけ違いがあるからだと思うんだよ。出版界では、ある時期に文化のカテゴライズをしたわけだよね。この文化は子ども向けで、こっちは大人向け、あるいは、これは少年向けで、これは青年向け──。でもたとえば、よくできたデザインって、年齢に関係なくアピールするでしょ。本も同じなんだよ。

 いちいち分けなければいけないのは、僕たちの文化の貧しさだと思う。よく、「子どものためにどんな本を選ぶのがいいですか?」みたいなことを聞かれるけど、それはとっても辛いことでね、仮に「本」を「花」に入れ替えたら、変なこと言っているってわかるはずなんだよ。「子どものためにどんな花を選んだらいいと思いますか?」って変でしょ。子ども向けの花なんかないんだから。

 一方で、絵本好きの人の中に事実としてガキが多いということは、確かにある。なぜかというと、奴らの中には絵本が読める奴が多いから。読み聞かせなんかしなくても子どもは読めるんだよ。実力あるんだから。「子どもを絵本好きにするにはどうしたらいいんだろう?」みたいな難しいことを考えなくてもいいの。放っておいたって、奴らなりに読むんだから。

創作の情熱を持続させるための秘訣がありましたら、お聞かせください。

五味  何なんだろうね。僕はもともと飽きっぽい人間なんだけど、絵本に関しては、自分でもあきれるくらい完全に生活の一部になっている。全然飽きない。もし飽きたら、たぶん、すぐに逝っちゃうんだろうね。

 これまで何冊も書いて、ずっといろいろなことを出し続けてきたわけだけど、出すと入るんだよ。呼吸と一緒で、出さないと入ってこない。だから、「これを出したら、もう何もなくなっちゃう」と思ってやるのが一番いいの。1冊書き終わったあとって、いい感じで自分が空っぽになるんだけど、そうすると、何かが入ってくるんだよね。

 これは余計なお世話かもしれないけど、皆さん、溜めてから吐こうと思っていることが多いよな。何か吐くために勉強しちゃったりしてね。勉強っていうのは、何かやったあとにやればいいんだよ。いざ何かをやってみると、わかんないことがたくさんあるということが見えるんだよね。何が不足しているかが全部わかっちゃう。そしたら、その不足を埋めようとするでしょ。それが勉強なんだよ。

 僕は、「まず動きなよ」ということを、ガキたちに伝えたいんだよ。今はまったく逆で、将来働くために学校でいろいろなことを学んだりするけど、それって順番が逆だと思う。まず動き始めることが大切で、そうすると、どうしたって学ぶようになるんだよね。

いい絵本は、描き始めると勝手に進んでいく

これまでの作品の中で、とくに気に入っていらっしゃる絵本を何冊か挙げていただくことはできますか?

五味  全然できない。売れ高ランキングとか、売れなかったランキングということであれば選べるんだろうけど、自分で選ぶのは無理よ。

 でも、自分の中でのエポックメイキングな作品ということなら、何冊かあるかな。たとえば、『かぶさんとんだ』(福音館書店)という本があって、あれはまだ10冊も描いていなかった頃のごく初期の作品なんだけど、「いい絵本は、描き始めると勝手に進んでいく」ということを初めて知ったのが、あれだったね。

 テニスをやったことがある人はわかると思うけれど、始めにいいサーブを打てば、いいリターンが返ってくるんだよ。それと一緒で、いいスタートを切ると、蕪が動くんだよ。金魚が動くんだよ。

 『るるるるる』(偕成社)なんて本も、まさにそう。「まずはひとつ、可愛らしい飛行機を描いてみましょう。その後どうなるかはお楽しみ」という感じで描き始めて、それで最後までできちゃう。意識としては、舞台と役者を用意したら、僕の仕事は終わり。あとは本が勝手に動いていくのを僕が追いかけていくみたいな感じ。最後をどうするかは金魚さんと相談して決めましょ、くらいのものだよね(笑)。

『大人問題』(講談社文庫)のような独自のエッセイ風評論にも定評があります。評論家的なスタンスを求められて違和感をもつことはありますか?

五味  僕の中では、絵本を描くことと評論的な行為はわりと同じなんです。多少色気なく言うと、絵本ってオプティカル、つまり光学の世界なわけ。このピンクをより輝かせるには、周りに何の色を使えばいいかといったことをその都度判断していく。それが絵本を描くということで、その意味では非常に合理的なんです。文字のレイアウトもそうだよね。ページのどこに文字を配置するのがいいかを判断していく。どこかのパーツの配置がまずいと、全体が面白くないということになる。

 これは、社会を見る場合も同じで、全体の組み立てがおかしいという時は、個々の構成材料とか、その配置がおかしかったりするわけです。社会が何かいびつに見えるという時は、「何が原因で歪んでいるのだろうか」とひとつひとつのファクターを検証していく。そういうことは嫌いじゃないんだね。

 そういう作業をやってみると、「どうして、みんなこれに気づかないんだろう?」ということがいろいろ出てくるわけ。多くの人は、もし気づいたとしても「社会はこうなっていますから」で終わらせちゃう。でも僕は終わらせない。

 絵本以外の活字の本の仕事は、だいたいそういうスタンスでやっているね。でも、メッセージは好きじゃない。世界を平和にとか、エコのためとかいう本は、これからも絶対に書かないと思う。

最後に、10年後にこうありたいというビジョンについてお聞かせいただけますか。

五味  そういうのは全然ない。10年後にまたインタビューしてよ(笑)。やりたいことはたくさんあるよ。子ども相手のワークショップを日本だけじゃなくて、海外でもどんどんやっていくとか。これは本当に楽しいんだよ。

 今、僕の本って、30カ国語くらいに訳されているらしいんだけど、非常にキザなことを言うと、僕と趣味が合う人が世界中にどのくらいいるか知りたいと思ってる。それが、これからの一番のお楽しみかな。

五味太郎(ごみ・たろう)


1945年東京生まれ。桑沢デザイン事務所ID科卒。工業デザイン、エディトリアルデザインの仕事を経て、絵本などの創作活動を始める。絵本の第1作は『みち』(福音館書店、1973年)。以後、400冊以上の絵本を発表する。代表作に『きんぎょがにげた』(福音館書店)、『かくしたのだあれ』(文化出版局)、『ことわざ絵本』(岩崎書店)などがある。

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