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2009年2月号 絵本をめぐる世界第1回 「絵本が子供に生きる力を与える 福音館書店相談役 松居直さん

1950年代に福音館書店で月刊絵本「こどものとも」を創刊し、『おおきなかぶ』『ぐりとぐら』『ももたろう』など、数々のロングセラーを生み出してきた松居直(まつい ただし)さん。松居さんが手がけた本を一冊も読んだことがないという人は、ほとんどいないのではないでしょうか。絵本出版を始めた経緯、絵本の本質、絵本が子供に与える影響、名作が生まれた背景などについて、松居さんに語っていただきました。

お手本は「岩波の子どもの本」

 私が書籍編集者として最初に手がけた本は、中学・高校生を対象とした「福音館小辞典文庫」という辞典のシリーズでした。これがたいへんよく売れたことで、会社に経済的な基盤ができました。それまで金沢にあった本社を東京へ移すことができたのは、このシリーズのおかげです。

 しかし、学生向けの学習参考書や辞典の市場はたいへんに競争が激しく、出版界で生き残っていくには、何か別のジャンルを手がける必要がありました。私がどんな本をつくればいいか模索しているちょうどその頃、岩波書店が「岩波の子どもの本」という絵本のシリーズを始めたのです。『ちびくろサンボ』や『はなのすきなうし』など、今でも読み継がれている絵本がそのシリーズには収められていました。私は、そのうちの何冊かに目を通してみて、びっくりしました。

 私は子供の頃から絵本が大好きで、絵本のことはよく知っていましたが、「岩波の子どもの本」のような本格的な物語絵本は、それまでの日本にはほとんどありませんでした。昔話や名作のダイジェストではなく、日本や海外のオリジナルの物語が絵本となっていたのが、「岩波の子どもの本」だったのです。

 こういう絵本を私もつくりたいと思いました。しかし、同じことをやっても仕方がない。そこで私は、それまで日本にもあった「月刊絵本」というスタイルで、しかも「岩波の子どもの本」のように本格的な物語を読ませる絵本をつくろうと考えました。それが「こどものとも」です。

子供は絵から言葉を聞く

 私は、日本の戦後の児童文学は面白くないと常々感じていました。子供が本当に楽しめる話ではなく、大人が子供に言いたいことを書いている作品が多かったからです。子供は、お母さんやお父さんに本を読んでもらっている時でも、決して受け身で聞いているわけではありません。子供なりの想像力を働かせながら、主体的に物語の世界に参加しているのです。ですから、絵本の物語は、子供が心から楽しめるものでなければならないのです。

 『くまのプーさん』という有名な童話があります。私は戦争中、この作品を初版本で読みました。タイトルが「くま」ではなく「熊」と表記されていたことを覚えています。私はあまりに面白くて、ひととき戦争のことを忘れました。そのくらい読み手を惹きつける力のある物語だったのです。たんに話が面白いだけではありません。語りかけるような暖かい言葉で、読者を別の世界に連れていってくれるのです。あとから知ったことですが、訳者は児童文学の第一人者であった石井桃子先生でした。

 私は「こどものとも」をこういう本にしたいと考えました。言葉が一人ひとりの子供の心に直接届くような本。知識や情報を与える「役に立つ本」ではなく、楽しい本。言葉が大好きになるような本──。それが、「こどものとも」で私が目指したものです。

 「こどものとも」には、ほかにもいくつかの編集方針がありました。まず、子供が読むのではなく、大人が子供に読み聞かせる本であること。これは、言葉を耳から聞いて感じることが子供にとって大切であると考えたためです。

 それから、オリジナルな物語を収録すること。とくに、アジアをはじめとする海外の国の物語を取り上げたいと思いました。日本は戦争中にアジアの国々に大きな被害をもたらしたにもかかわらず、多くの日本人がアジアのことを深く理解していなかったからです。

 もうひとつ、大切なのは絵だと考えました。大人は絵を見ます。しかし子供は、いわば絵から言葉を読みます。耳から聞いている言葉と、絵が語る言葉。その二つがぴたっと合うことで、子供はイメージをふくらませて物語の世界に入っていけるのです。そういう絵本を私はつくりたかったのです。

日本で最初の横書きの絵本

 「こどものとも」の編集のかたわら私が最も初期に手がけた絵本のひとつに、『100まんびきのねこ』という作品があります。海外の作品ですから、もともと文章は横書きです。本の判型も横長で、これはそれまでの日本にはない体裁でした。日本語の『100まんびきのねこ』をつくるなら、文章を縦書きにしなければならない。そうすると本をめくる方向も左右が逆になります。

 しかし、それでは絵と文章が合わなくなってしまう。だから、私はあえて横書きのままで翻訳出版したのです。出したあとに、いろいろな方からたいへんに叱られました。学校の先生には「国語の教科書は縦書きなのに、絵本を横書きにするとは何ごとか」と怒られ、本屋さんからは「横長の本は棚に入らなくて困る」と苦情を言われる。しかし、私は横書きのままにしてよかったと思っています。それによって、原作どおり絵が物語を語る絵本になったのですから。縦書きではこうはいきません。今では絵本の横書きは当たり前ですが、それを最初にやったのは、実は私なんですよ。

絵本は読み手と聞き手の間にあるもの

 私は子供の頃、いつも親に絵本を読んで聞かせてもらっていました。だから、読み手がいて、聞き手がいて、その間にあるものが絵本だと思っています。親が自分の声で物語を語る。それによって親の気持ちが子供に伝わり、絆が生まれる。読み手である親と聞き手である子供が言葉を共有し、体験を共有する──。それが絵本の醍醐味です。読んでもらった絵本の作者が誰か覚えている人は多くはありません。しかし、その絵本を誰に読んでもらったかは、よく覚えているものです。

 また、絵本は物語であると同時に造形でもあります。大切なのは内容だけではありません。表紙があって、見返しがあって、扉があって、本文ページがあります。親は、読み聞かせながらページをめくっていきます。子供はそれをよく見ています。物語の内容によって、速くめくったり、ゆっくりめくったりする。その手の動きを見れば、読み手が物語を大切にしながら読んでいるか、お座なりで読んでいるかが子供にもわかるのです。そして、話が終わって本を閉じる時には、音がします。閉じる時の音は、一冊一冊違います。そういう造形として手触りや質感が本の存在感であり、それを理解することで、子供はずっと本好きになるのです。

『おおきなかぶ』を成功させた言葉と絵

 私は編集者生活の中で実に多くの絵本を手がけてきましたが、中でもとくによく読まれてきたのは、『おおきなかぶ』と『ぐりとぐら』です。

 『おおきなかぶ』はロシアの民話で、翻訳は内田莉莎子さんにお願いしました。彼女は、明治時代の作家で翻訳者でもあった内田魯庵のお孫さんです。幼稚園の先生をされていたこともあってピアノもたいへんお上手でした。ですから、子供の心を惹きつけるリズムのある言葉を使うのがたいへんにうまかったのです。それが最もよくあらわれているのが、物語の中に何度も登場する「うんとこしょ どっこいしょ」というかけ声です。絵本の言葉は、生活に密着したものでないと子供の心の中に入っていきません。その点で、ロシア語のかけ声を「うんとこしょ どっこいしょ」と訳した内田さんのセンスの素晴らしさといったらない。まさしく子供を惹きつけ、子供をのせる言葉だと思います。

 あの絵本が支持されたもうひとつの理由は、佐藤忠良先生の絵が素晴らしかったからです。佐藤先生は彫刻がご専門で、それまで絵本の挿し絵を描いたことはありませんでした。しかし、佐藤先生の彫刻作品が大好きだった私は、ぜひ『おおきなかぶ』の絵を先生に描いてほしいと思ったのです。佐藤先生は、敗戦後にシベリアで4年間の捕虜生活を送っていて、ロシアの庶民の生活をその目で見ています。その点でも適役でした。

 最初は「絵本の絵なんか描いたことはないよ」と難色を示されましたが、どうしてもと言って何とか描いてもらいました。はじめに描かれたのは、いかにも絵本らしい可愛らしい絵でした。しかし、私がほしかったのはそういう絵ではなかった。私は、佐藤先生にしか描けない芸術性のゆたかな絵がほしかったのです。結局、3回描き直してもらって、現在の絵本の形になりました。『おおきなかぶ』は海外でも高い評価を得ていますが、それは佐藤先生の力強いデッサンと構図によるところが大きいと思っています。

形をつくる線ではなく、物語を語る線

 『ぐりとぐら』の作者は中川李枝子さんと大村百合子さんです。中川さんの文章は、はじめ同人誌で読みました。彼女の文章の文体は、それまでの児童文学とはまったく違ったものでした。子供の会話がいきいきと聞こえてくるような、説明的ではなく目に見えるような文章なのです。『いやいやえん』という作品を読めば、それがよくわかります。話を聞いた子供が情景をすぐに思い浮かべることができるような文章です。彼女にも保母さんの経験がありました。朝から晩まで子供の声が絶えず聞こえるような環境で生活していたからこそ、ほかの人にはちょっと真似のできないあの文体を生み出すことができたのだと思います。

 一方、大村さんの絵を最初に見たのは、彼女が高校二年生の頃です。「この人の線は物語を語る」──絵を見て直感的にそう思いました。当時の彼女はまったくの素人でしたが、福音館書店で出していた「母の友」という雑誌に挿し絵を描いてもらいました。彼女の絵の線は、形をつくる線ではなく、語る線です。ああいう線が書ける人は、そう多くはありません。彼女のほかには、加古里子(かこさとし)さんくらいでしょうか。

 『ぐりとぐら』は、現在まで10カ国以上で翻訳されています。

10年間売れる本をつくりなさい

 私の絵本づくりは見様見真似で始めたものですし、それほど売れなかった作品もたくさんあります。しかし、どの作品もある程度の水準は保っているという自負はあります。朝日新聞の記事で知ったのですが、1960年代に出版された本のうち、ミリオンセラーになったもの、つまり100万部以上売れた絵本は、計28点あるのだそうです。そのうちの21点が福音館書店の本でした。それはすべて私が手がけた本です。

 私は絵本づくりの一線からはすでに退いていますが、現役の編集者には、「ベストセラーなんかつくる必要はない。10年間売れる本をつくりなさい」といつも言っています。絵本が長い間読み継がれるということは、いろいろな世代の子供たちに言葉の力が伝承されるということです。言葉の力とは、すなわち、生きる力にほかなりません。それに、本が長く売れれば、出版社の経営も安定しますからね(笑)。

松居直(まつい・ただし)


1926年京都市生まれ。同志社大学法学部卒業後、1952年に福音館書店創業に参画する。1956年「こどものとも」を創刊。多くの絵本作家を発掘し、日本の絵本文化を築く。編集部長、社長、会長を経て現職。日本国際児童図書評議会(JBBY)会長、NPOブックスタート理事長、大阪国際児童文学館理事長も務める。近著に『松居直のすすめる50の絵本』(教文館)がある。


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