わたしのふるさと What is FURUSATO for you? わたしのふるさと What is FURUSATO for you?

誰しも生まれた地、育った地があります。ずっとその地で過ごす人、進学や就職を機に離れる人、転々とする人。
縁ある土地とのつき合い方は人それぞれです。「第二のふるさと」「心のふるさと」という言葉があるように、「ふるさと」は、生まれ育った地とも限らず、もしかすると、物理的な土地とすら結びつかない、その人にとって大切ななにかがある場所とも定義できるかもしれません。
あなたにとって「ふるさと」は、どんなものでしょう。

18サヘル・ローズさん

イラン(イラクとの国境沿いの村)生まれ、
埼玉県志木市、東京都育ち→東京都在住

イラン(イラクとの国境沿いの村)生まれ、埼玉県志木市、東京都育ち→東京都在住

サヘル・ローズ

タレント・俳優

1985年イランの、イラクとの国境沿いの街で生まれ4歳で孤児 院に。イラン人の養母に連れられ8歳で来日、苦しい生活を送り、いじめにもあう波乱の幼少期を過ごす。日本語は小学校の校長先生から学んだ。10代で芸能界入りしタレントとして活躍。舞台『恭しき娼婦』で主演を務め、映画『西北西』や主演映画『冷たい床』は第6回ミラノ国際映画祭にて最優秀主演女優賞を受賞するなど、映画や舞台で女優としても活動の幅を広げている。第9回若者力大賞を受賞。芸能活動以外では、国際人権NGO団体の「すべての子どもに家庭を」の活動で親善大使を務めている。
著書に写真詩集『あなたと、わたし』(ジャーナリストの安田菜津紀氏との共著・日本写真企画)

「おしんに会える!」と日本に来てみたら

私を引き取ってくれた母に連れられ日本に来ると決まったときは、ただただ、「おしんに会える!」と喜んでいました。イランでも誰もが知る人気ドラマでした。7歳まで孤児院にいた私にとって、苦難の中力強く生きたおしんは、勇気を与えてくれる存在で、自分たちのヒーローだったんですね。でも、飛行機で降り立った日本の景色は、おしんの世界とはまるで違いました。そして、みんなが話す日本語の音が強すぎて怖かったのが、強く印象に残っています。ペルシャ語という、歌うように話す言葉に比べると、日本語は慣れるまで、ケンカでもしているかのように感じられたんです。食べものもカルチャーショックでした。極めつけは焼きそばの上のかつお節。ゆらゆら動く見たこともない物体が、すごく不思議でした。

カルチャーショックはほかにもあります。小学校で、隣の席が男の子だということ、女子が男子と平等に扱われること。イスラムの国であるイランでは、高校まで男女は別々、バスも別々。女性はヒジャブで髪の毛を覆わなくてはなりません。ですから、男の子と混ざって勉強したり遊んだりというのだけでも未知の体験だったのです。子ども心にも、自由を得たような解放感を味わいました。

※ NHK連続テレビ小説『おしん』(1983〜1984年)。戦中戦後の日本を、貧しさの中で生き抜いた女性・おしんの姿が共感を呼び、国内のみならず海外数十カ国で放映された大ヒット作品。

“オーディション”は、イランの孤児院時代から

大きな瞳からの真っ直ぐな視線が印象的。一つひとつ、丁寧に聞き丁寧に答えてくれた。

イランで生まれましたけど、イランがふるさとかというと、あまりそうは感じられません。4歳で孤児院に入った私には、実のお母さんの記憶はまったくありません。お父さんは、影のように、ぼんやりとだけ。自分の本当の名前も誕生日もわからなくなって、いまそれとしているのは、引き取られたときあらたに決められたものです。イランの孤児院では、色別に分かれた部屋で集団生活をしていました。人を信頼できたことはなかったですね。楽しかった思い出もないけど、そのころの写真を見ると一生懸命笑っています。週に一度与えられるチャンスの日があって、「大人が来たら笑うんだよ」と言われていました。気に入られれば、孤児院を出て、そのうちの子になれます。当時から私は、オーディションばっかり受けてたんですね(笑)。引き取る側が好むので、まだ小さいほど有利なんです。そんなオーディションを受けながら、生きてゆくのに必死で、孤児院の子って早く大人になります。子どもでいることができないんですね。

みんなに「壮絶」だと言われますけど、シリアやイラクをはじめ、中東には、私のような子はいくらでもいます。私はむしろすごく幸運で、もっともっとつらい思いをしている子どもたちが、いまも世界にたくさんいることを知ってもらいたい。以前難民キャンプを訪ねたとき、カメラを向けると笑う子どもたちを見て、孤児院時代の自分と重なりました。みんな、助けてくれるかもしれない大人に好いてもらいたくて、笑う癖がついてるんです。「私の前では笑わなくていいよ」って、声をかけました。笑わないのも勇気だと思うんですよね。そんなふうにがんばる子も、私みたいにふるさとのない子も、生み出さない世界にしたいです。日本の人たちが、遠い国の苦しさを我がことのように考えるのがむずかしいのは無理もないと思います。でも、平和が守られていることの素晴らしさには、気づいてほしいです。水道をひねれば水が出てきて、地雷の心配をせずに道を行ける、それを当たり前とできることがどれほど素晴らしいか。

日本で、貧しさもいじめも経験して

来日後間もないとき。小学校の担任の先生にもらったランドセルを手に。

私を引き取ってくれた母は、私を養子にしたことで家族から絶縁されて、イランにいづらくなりました。日本にいる知人を頼って来日したのは私が8歳のとき。言葉もわからないままでした。日本での私たちの生活はたちまち行きづまります。孤児院から引き取られる先は大抵裕福な家庭なものなのですが、私の場合は、ふたりで公園で野宿するくらい、孤児院にいたときよりも貧しくなりました。それでも余りあるほど、たくさんのたくさんの愛情を、母は私にくれました。母が私にしてくれたことを思うと、それはもう、本当に、神様のような人です。

小学校5年生の途中で、日本に来て以来住んでいた埼玉県から東京に引っ越して来ました。都内をいくつか転々として、いまも東京暮らしです。私が中学生の当時、日本社会でイラン人といえば、偽造テレカ(テレホンカード)や麻薬がらみの事件という悪いイメージばかり。最初はそういうことでからかわれる程度だったのが、どんどんいじめがエスカレートしていって。暴力も、もちろんつらかったですが、無視されるのが一番こたえました。いじめられていることは、ただでさえ苦労している母に心配をかけたくなかったのと、あと、子どもって、親にとって誰にでも好かれる自慢の子でいたいと思うものなんですね、そんなプライドから、家でも話せずにいました。引き取られた子だからこその、遠慮があったのも事実だと思います。

クラスに外国ルーツの子が私だけだったところに、中国の子が2ヶ月だけ入ってきたことがあって、そのときはそちらに標的が移りました。いなくなったらまた私に戻ってきましたけど、要するにみんな、そういう対象がほしいだけだったんだと思います。行くしかないと思って通っていた学校はつらいところでした。夏休みや冬休み明けは地獄です。中学3年のときに限界がきて、自殺しようと考えたことも。「いじめ」なんて曖昧な言葉はもう、やめたらいいと思ってます。「暴力」や「恐喝」と言い換えるべき。「戦争」もそう。どなたかが言ってましたけど、「大量殺人」にすべきだと私も思います。ただ、いじめ経験をしたほかの子には絶対に、そんなふうに考えるようになんて言いませんけど、結果として私は、あのつらさを通して、人の痛みも、生きることの大切さも知ることができました。それらがいまの私をつくったんですね。母に言われた、「許すことができる人間になりなさい。相手が悔しがる人間になりなさい」という言葉は正しかったと思います。

人も家族もふるさとも、型どおりじゃなくていい

平和のこと、アイデンティティのことに話が及ぶと力強く、育ててくれたお母さまのことになるとやさしく。

高校1年生のときから、生活のためにエキストラを始めました。私の容姿だと、死体かテロリストの役ばかりでした。殺されるのと殺す役はすっかりうまくなりましたよ(笑)。イランや中東の人へのそうしたイメージはもちろん悲しいですけど、そのころは何千円かもらえることのほうが重要でした。いまも、報道だけだとイランが怖い国のように見えていて、とても残念です。素晴らしい文化遺産を持つ美しい国なんです。いまの仕事をするようになってから、イランには何度か訪れています。私にとって「ただいま」と帰る国は日本ですし、イランをふるさととは思えないですけれど、母にとっては確かにふるさとなんですね。イランに帰ってペルシャ語で話す母はいきいきとして見えます。私にも、「忘れないで、あなたを生んだ国はイランだから」と言います。祖国のために、私にもなにかしてもらいたいという気持ちが強いみたいです。イランの人は、たとえ平和でなくても、壊れても、自分の国を愛しているんですね。

アイデンティティってなんでしょうね。私は、何人(なにじん)かと聞かれれば、「地球人」と答えます。無国籍でいい。どこにも所属していない、ただの人間でいいです。誰かのつくったカテゴリーにはまる必要はないと思う。小さいころはイランでイスラム教一色だったので、日本に来て最初は戸惑った、岩にも木にも神様がいるという宗教観を、次第に平和の秘訣のひとつだと考えるようになりました。母も、心の中に感謝があれば、見える形でお祈りしなくてもいいんだよと言ってくれる人で、いまの私は、モスクにも行きますが、お寺も神社も、教会にも行きます。家族というものも、型通りにこうあるべきというのはないですよね。私と血のつながりのない母は肉親以上の存在ですし、血縁がすべてでないことは確かだと思います。ふるさとも同じ。私にも、憧れてふるさと探しをしたころがありました。だけど結局、自分でつくるのでいいなって。ふるさとは形でも名前でもなく、自分の中に生まれてくる居場所なんじゃないかって。

私は小さいころから、他人の敷いたそれではなく自分で切り開いたレールの上を走ってきました。いまは演じるという表現を通して、社会で起きていることを伝えられればと思っています。このやり方が一番、自分の経験が生かしやすかったんですね。まだまだ、やりたいことの半分もできているかどうかですが、母からもらった人生を、一日一日真剣に生きてきたことは、誇りに思うんです。何もないところから這い上がってきた人間として、同じような境遇の人のロールモデルにはなりたいと思っています。

ふるさとのお気に入り

「自分の中」

byサヘル・ローズさん

  • こころ

    「ふるさとのお気に入り」って、風景も味も覚えていない私には想像するのもむずかしいのですけれど、そうですね、自分の、こころ、なのかな。みなさんが思うようなふるさとは持たない私ですけれど、自分の中にいるもうひとりの自分はきっと、ふるさとを知っていると思います。

編集後記

サヘルさん、生まれ変わったなら「星になりたい」と。小さいときから空を見上げるのが好きで、でも夜空の星はいつしかミサイルに変わって、見上げるのが怖くなったそうです。空爆が思い出されて、花火はいまも怖い。子どものころは、遊園地も、みんなの「キャー」の歓声が、逃げ惑う声と重なり怖かったそうです。だから、人が見上げて安心できる、平和な星になりたいのだと。「私のことは美化してほしくない」とおっしゃられたのですが、そうではなく、「なんて魂の美しい人なんだろう」という思いが、何度も自然とわいてきました。いま「地球人」を名乗るサヘルさんを、引き取って育てた偉大なお母さまに、同じ地球に住む者としてお礼を言いたいです。

(取材・文:小林奈穂子)

『わたしのふるさと』第19回は、早川青果代表の早川侑さんのストーリーをお届けします。4月15日公開予定です。お楽しみに!


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