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誰しも生まれた地、育った地があります。ずっとその地で過ごす人、進学や就職を機に離れる人、転々とする人。
縁ある土地とのつき合い方は人それぞれです。「第二のふるさと」「心のふるさと」という言葉があるように、「ふるさと」は、生まれ育った地とも限らず、もしかすると、物理的な土地とすら結びつかない、その人にとって大切ななにかがある場所とも定義できるかもしれません。
あなたにとって「ふるさと」は、どんなものでしょう。
第10回佐竹静香さん
京都府京都市生まれ→京都市育ち→東京都在住
佐竹静香(さたけ・しずか)
ヘアメイクアーティスト
1990年京都府生まれ。京都市内の田園地帯で育つ。学校では美術や書道、音楽といった副教科以外に興味がなかった。洋服のデザイナーを夢見ていたが、だんだんとヘアメイクに興味が傾いていった。専門学校を卒業後、上京して3年の美容室勤務を経て、憧れのヘアメイクアーティスト・橘房図氏に師事する。2017年の独立後は、大手ウェディング雑誌や広告、テレビCMなどでヘアメイクを担当している。
ヴィンテージの洋服や車、それに生き物が好き。将来はたくさんの動物に囲まれて暮らしたい。
ふるさとは、京都の田舎。古民家で育った
京都市の西京区で生まれ育ちました。うちのあたりは、みなさんが思うような神社仏閣の京都ではなくて、割と日本中にありそうな、田舎の景色が広がるところです。実家は築100年くらいの、縁側もある古民家で、祖父母は農家です。米と野菜、果物もつくってました。田植えになると私も手伝いました。昔は牛も飼っていたそうで、住居と棟続きだった牛小屋も残ってます。子どものころ、牛小屋の扉は開かずの扉でした。初めて、そうっと開いたときのことはいまでも覚えています。藁がいっぱいで、ハイジの部屋みたいでした。
実家周辺の町並みはいまもほとんど変わってなくて、帰るたびになつかしい気持ちになります。通っていた保育園の保育士さんがいまも現役で、私を見かけると、「しずちゃん!」と声をかけてくれます。そんなところもほっとしますね。夏暑く冬寒いけど、土や緑がいっぱいだからでしょうか、うちが古民家だからかもしれません、過ごしやすくていいところです。ふるさととして愛着があるし、自慢もできます。
犬と仲良しだった。動物は全部好き
小さいころはわんぱくな子でした。ふたりの兄にはあまり相手をしてもらえなかったので、飼っていた犬とよく遊んでましたね。初代はポチという名前の大型の雑種で、なにをやっても怒らない、穏やかな子でした。一度、幼稚園児だった私の姿が見えなくなって、家族でちょっとした騒ぎになったらしいです。ポチの犬小屋で寝てるのを発見されました(笑)。二代目は柴犬でした。私が小学校の高学年だったころ、近所の、養鶏場を営むお宅で生まれた子犬をもらってきました。北島三郎のファンだったので、三郎と名づけました。好みが合わないのはわかっていたので、私の北島三郎好きは友だちに内緒にしてました。でも、「おばあちゃん」というあだ名で呼ばれることがあるくらい、どうも私は昔から、同年代の子たちと違う好みを持つことが多かったみたいです。
犬と仲良しでしたし、泥んこになって自然の中を遊び回るような子だったので、生き物全般、苦手なものがいません。いまの仕事を始めてから、撮影で大きなヘビを使うことがありました。スタンバイのとき、首に巻きつけている私を見てみんな驚いてました。私自身はまったく抵抗がなかったです。爬虫類を含め、動物は全部好きです。あと、とにかく古いもの…ヴィンテージものが大好き。これは父の影響ですね。父は近所で有名なワイルド父ちゃんで(笑)、車は、いまは70年代のフォルクスワーゲン・ビートル、バイクもずっと、60年代の、ハーレーダビッドソンやBMWに乗ってます。田舎道をバイクで走る父の姿も、私にとってのふるさとの光景です。
大阪でヘアメイクを学び、東京へ。憧れの師匠に弟子入り
学校の勉強はできませんでしたが、美術は得意で、子どものころからの夢は洋服のデザイナーでした。でも中学生になると、ヘアメイクアーティストに心変わりしまして。高校卒業後、ヘアメイクを学ぶため、大阪にある専門学校に進学しました。実家からの電車通学は、最初は憂鬱でした。お隣の大阪は、近くて遠い存在だったといいますか、通学時ですら、あの勢いに気後れしてしまって。そのころ、ひとりで絵を描いたりするのが好きで内にこもるタイプだった私は、コミュニケーションに苦手意識があったので、学校でも、大阪のノリについていけないと感じてました。私と反対に専門学校のみんなはコミュニケーション力がすごくて…。先生にも心配されていたみたいですけど、結局、3年間の在学中にすっかり鍛えられました。鍛えられたことが、卒業後に美容師をするにあたってとても役に立ちました。3年の学生生活で、大阪も大好きになりました。
ヘアメイクを志すならと思って上京しましたけど、東京への憧れはなかったですね。ただ、後に師匠となったヘアメイクアーティストの橘房図(たちばなふさえ)さんには、一度でいいから会ってみたかったです。雑誌などで見ては、ずっとずっと憧れの人でした。弟子入りできて本当に幸運でした。私はものづくりも好きなので、弟子入りが叶わなかったら、家具職人を目指そうと本気で思ってたんですよ。コワい人の話も聞く中、師匠がやさしい人だったのも幸運でした。
東京では、美容室に勤めた後、師匠のアシスタントを経て、いまはひとりでやっています。この仕事は不規則で、深夜までおよぶこともありまして、仕事上便利な場所を選んでは、都内で4回引っ越しました。東京には、計9年くらいになるのかな。でも正直、いまもそんなに思い入れはないですかね。帰れるものならすぐにでも京都に帰りたいです。二拠点にできると一番なのですけど、それで成り立たせるためには、まだ10年はかかりそうです。
あの景色の中でなければ育たなかったものもある
いまの仕事が好きです。でも、家具職人はもうないにしろ、実は、ずっとヘアメイクの仕事一筋と思っているわけではなくて、いずれ別のことにもチャレンジしてみたいんです。着物を学ぶ予定ですし、アートディレクターのように全体を考える仕事や、ウィンドーディスプレイにも興味があります。それとは別に、いつかたくさんの動物に囲まれて暮らしたいです。さすがに象やライオンは無理ですけど、羊や山羊、馬、牛、できればナマケモノとか、それに爬虫類も。勉強が苦手だったので建築士になるのはあきらめましたが、建築も好きなので、動物たちの世話をしながら、「こんな家に住んで…」と妄想しています。妄想は、大好きです(笑)。
思えば東京のマンションで育っていたら、いまのようにはなってなかったかもしれないですね。ふつうのOLになってたかも。田植えしたり、おたまじゃくしつかまえたり、縁側でぼーっとしたりした体験が、いまの自分をつくったんじゃないかと思います。「この木の形が好きだ」とか、小さいころからありましたし、やっぱり、あの景色の中でなければ育たなかったものもあるでしょうね。やりたいことに出会えたので、いい環境で、いい育ち方をしたんだと思っています。
京都市編
by佐竹静香さん
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家から駅までの景色
実家から最寄り駅まで歩いて30分かかります。その時間に目にする景色が好きなんです。ありふれた、どこにでもある風景ではあるんですけど、いつもそこにあって、しっくりとくると言いますか…。うまく言えませんが、古すぎず新しすぎずが京都らしい、私にとっては落ち着く風景です。
編集後記
見た目の印象と変わらぬ、おっとりとやわらかな口調。笑顔を絶やさない佐竹さんは、まるで角を感じさせない、実にふんわりとした方でした。田んぼや畑に囲まれた築100年の古民家で、犬と遊び回ったり、縁側でぼーっとする幼い日を目に浮かべると、こちらまでしあわせな心持ちになります。気負いのようなものとは無縁に見えますが、夢を追いかけ、ハードな仕事に取り組み、チャレンジを恐れない。ご本人がおっしゃるように、生まれ育った環境がいまの佐竹さんをつくったのなら、この上ないふるさとをお持ちの方だと思いました。
(取材・文:小林奈穂子)
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