わたしのふるさと What is FURUSATO for you? わたしのふるさと What is FURUSATO for you?

誰しも生まれた地、育った地があります。ずっとその地で過ごす人、進学や就職を機に離れる人、転々とする人。
縁ある土地とのつき合い方は人それぞれです。「第二のふるさと」「心のふるさと」という言葉があるように、「ふるさと」は、生まれ育った地とも限らず、もしかすると、物理的な土地とすら結びつかない、その人にとって大切ななにかがある場所とも定義できるかもしれません。
あなたにとって「ふるさと」は、どんなものでしょう。

9高橋彬さん

福島県相馬市生まれ、相馬市育ち→東京都→
福島県相馬市→宮城県岩沼市在住

福島県相馬市生まれ、相馬市育ち→東京都→福島県相馬市→宮城県岩沼市在住

高橋彬(たかはし・あきら)

会社員

1985年福島県生まれ。高校卒業まで福島県内で過ごし、就職で上京する。就職先は足立区にあり、金属加工を主とする従業員30名ほどの製造業で、いわゆる町工場。自分でも「意外なほど長続きして」いまに至る。東日本大震災をきっかけに地元が気にかかるようになり、希望を出してUターン。福島工場に籍を置き、生産現場でものづくりに携わりながら、趣味のクライミングや登山に打ち込む。Uターン後に結婚して一児の父になった。

今野製作所公式サイト

地元を好きとか嫌いとか考えたことはなかった

子どものころは、福島県の相馬のあたり、いくつかの地域で暮らしました。相馬にはいまも両親と二人の姉がいます。現在は山派ですが、子ども時代の思い出は、釣りをしたり泳いだり、海が多いですね。地元を好きとか嫌いとか考えたことは、ずっとなかったです。

昔から上下関係が苦手で、部活動などはしませんでした。それより早く働きたかったです。中学ではバイトができなかったので、高校に入るとすぐにラーメン屋でバイトを始めて、卒業まで続けました。忙しい中で回すような仕事が好きみたいです。高卒で入ったいまの会社も続いていますけど、本来は長続きしないタイプですね。飽きっぽいんですよ。

なんとなく憧れていた東京に、軽い気持ちで出て行きました。会社から自転車で2分のところでの一人暮らし。足立区です。都会で遊んだりはしませんでした。毎日ほとんど仕事だけで、淡々と8年間過ごしました。派手に遊ぶお金もなかったけど、性格的に、六本木で遊びたいとか思うことがなくて。ものづくりは好きです。だからといって、仕事としてやるのは別に楽しくないし、好きではないですよ(笑)。でも、自分の考えを拾ってくれる職場で、ある程度自由にやらせてもらっているから続けられるのかな。

ふるさとを変えた震災をきっかけに、東京からUターン

福島工場での仲間、インドネシアからの技能実習生・スルヤさんと。現場では頼れる先輩!

ずっと東京にいるものだと思っていたのですが、東日本大震災をきっかけに、戻りたくなりました。僕の実家は海から離れていたので、直後は楽観的でしたし、いまいち実感もなかったんです。でも、隣町の新地町(しんちまち)にあった母親の実家は津波で流されてしまいました。話には聞いていて、ある程度想像してたんですけど、目の当たりにすると想像を超えてました。人的被害がなかったのは幸いでしたが、がれきの山を目の前にすると、やっぱりショックでした。流された祖父母の家は兼業農家だったので、ゴールデンウィークになると田植えを手伝いに来たりしてたんで。僕が生まれた相馬の原釜(はらがま)という地域も、原形をとどめてないんです。最初見たときは、ちょっと言葉にならない感じがしました。自分の知ってる風景はもうなくて、ふるさとであってふるさとではなくなっちゃったような…、もう、頭の中にだけある風景になってしまいました。でもまぁ、もっとひどい被害に遭った人もいっぱいいたので…。

勤務先の今野製作所は、主力製品を、いま僕も働いている新地町の福島工場でつくっています。震災のとき、津波は来なかったものの、揺れで相当被害が出ていました。正直、この会社も「大丈夫か?」と思いましたね。結果的に会社は危機を乗り越えましたが、僕もこっちに戻れば、家族や福島工場に少しは貢献できるんじゃないかと、具体的になにができると考えたわけではないのですけど、だんだん思うようになったんです。それで希望を出して、2年後くらいに、Uターンすることが決まりました。親も、「帰って来い」とは言わなかったですし、うちの会社に福島工場がなかったとしたら、仕事を辞めてまでは戻って来なかったかな。

震災や復興のことは、あまり話題にしない

帰っては来たものの、復興のために役立てた実感はありません。なにをしていいかわからなかったです。復興は少しずつ進んでいるけど、ちょっと遠出して(宮城県の)気仙沼あたりに行くと、止まっているように感じる場所もあります。やっぱり、進み具合はなんとなく気になっていて、ときどき出かけては、妻と話しています。こういうことを話題にするのは、妻とだけですね。僕の人づきあいの仕方が、付かず離れずだからというのもあるのかもしれませんが、このあたりの人って、それが東北人気質なんでしょうかね、あまり気持ちを表に出さないんです。うちの親も、内に秘めるというか、口下手というか、震災の苦労やなんかも、ほとんど口にすることはありませんね。

Uターンしてから知り合った、会津出身の人と結婚して、2017年に子どもが生まれました。こっちで家族を持てたのは良かったです。僕はもともとロッククライミングが趣味だったのですが、妻の影響で山登りも始めました。休みの日は、ちょこちょこ登りに行ったり、家族でアウトドアが多いですかね。いままでしてきたことの中で一番打ち込んでいるのがクライミングかもしれません。大会に出ることもあります。クライミングの魅力ですか?うーん、達成感でしょうか。自分との勝負で、ギリギリを生きてる感じっていうんですかね、引くところは引かないと怪我をするので、自分で見極めながらやるところもいいかな。

自分は内向きだった。子どもには視野を広げてもらいたい

ロッククライマーとして、かなりの本格派であることがうかがい知れる勇姿。人がおおらかで気に入ったニュージーランドには、いつか登りに再訪したい。

新婚旅行はニュージーランドに行きました。新婚旅行だったので、ひとりで勝手に登りに行くわけにもいきませんでしたけど、登りたい岩がいっぱいあって(笑)。できることならまた行きたいです。振り返ると、ずっと内向きだったんですよね。いまになって、ニュージーランドのほかにも、タイとか、バリ島、オーストラリアとか、全部登りたい岩のあるところなんですけど(笑)、行きたいところがいっぱいあります。もう少し若いころ、外に目を向けることに気づいて、行動に移せていたら良かったなぁと思います。

結婚して、妻の職場との中間地点を選んで、宮城県の岩沼市に引っ越しました。通勤は車で40分弱です。子どもが育つ環境が、ただ都会であればいいとは思わないですけど、僕自身が、田舎では出会えなかったものがあったと思ってるんです。適度な規模の街で、視野を広げてもらいたいという思いもありました。僕も、家族を大事にしながらも、旅行に出かけたり、もう少し外に向けて行動力をつけたいなと、いまは思っています。

ふるさとのお気に入り

相馬

by高橋彬さん

  • 山から見える海

    クライミングの合間に感じる山は、どの季節に行ってもいいなぁと思います。山から見える海が好きです。四季折々の山の風景と見下ろす水平線。都会の景色も別物として好きなんですけど、これは、ここならではだと思います。

編集後記

「しゃべりはぜんぜんダメ」と、実際、決して饒舌ではない高橋さんですが、飾らない言葉も、お話しのされ方も、どこか知的で、心に残るものがありました。復興の役に立っていないとおっしゃいますが、戻っていらしたのがなによりの貢献ではないでしょうか。勤務先の今野製作所では、生産現場でマルチに活躍する頼れる人材であると同時に、「(イケメンだから)ビジュアル担当」と言われています(笑)。これまで多くの人物を撮影してきたフォトグラファーさんも、「工場での立ち姿がかっこいい」とポツリ。引かれる雰囲気の持ち主でした。

(取材・文:小林奈穂子)


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