わたしのふるさと What is FURUSATO for you? わたしのふるさと What is FURUSATO for you?

誰しも生まれた地、育った地があります。ずっとその地で過ごす人、進学や就職を機に離れる人、転々とする人。
縁ある土地とのつき合い方は人それぞれです。「第二のふるさと」「心のふるさと」という言葉があるように、「ふるさと」は、生まれ育った地とも限らず、もしかすると、物理的な土地とすら結びつかない、その人にとって大切ななにかがある場所とも定義できるかもしれません。
あなたにとって「ふるさと」は、どんなものでしょう。

4永沢碧衣さん

秋田県平鹿郡山内村(現横手市)生まれ山内村育ち→秋田県と東京都との二拠点居住

秋田県平鹿郡山内村(現横手市)生まれ山内村育ち→秋田県と東京都との二拠点居住

永沢碧衣(ながさわ・あおい)

絵画作家

1994年秋田県生まれ。横手市山内(旧山内村)で育つ。県内の美大に入学、自然のつながりや魚をテーマにした作品制作を開始。卒業後は水産市場へ就職するも、自然と共にある暮らしや働き方を考え、転職したり拠点を移すなど模索する。2018年夏より東京と秋田の二拠点生活を開始。絵画作家として活動しながら、都内でギャラリー有する飲食店のスタッフを務める。趣味は沢登りや釣り、ドライブ、映画鑑賞。自然や食との向き合い方を考える中で、狩猟免許も所持した。

永沢碧衣公式サイト「sky, blue」

両親共に村民。「お母さんはずっと東京に憧れてたけど」

岩手との県境、奥羽山脈に囲まれた山あいの村で生まれ育ちました。市町村合併で、いまは横手市になっていますが、私の子ども時代はまだ「山内(さんない)村」という村だったんです。カモシカはその辺を歩いてるし、キツネもムジナもいる環境でした。うちは農家ではなかったんですけど、自分たちが食べる分と、ときどき直売所に持って行く分くらいの野菜はつくってました。時間はゆっくり、自然が豊か、そんな村です。とにかく水がきれいで、人があたたかくて、私は地元が大好きです。帰るならここ、という場所です。

お父さんもお母さんも山内村出身です。お母さんは東京に出たくてたまらなかったらしいです。二十代のとき、とうとう上京のための切符まで買ったのに、おじいちゃんに許してもらえなくて、その切符をJRの駅に返しに行ったそうなんです。返した切符を受け取った駅員さんがお父さんでした。後にふたりが偶然再会したときお父さんが、「あのとき泣きながら返しに来た子だ!」と言ったと聞いています(笑)。結婚してからもお母さんの東京への憧れは続いてたんですけど、お父さんは遠くになんて行きたくなくて。お父さん、東京に転勤を言い渡されたことがあったんですよ。お母さんにとってはやっとめぐってきたチャンスだったけど、お父さんは「転勤するくらいなら辞める」と、会社を辞めてしまったんです。お母さんの夢は二度砕かれました。

美大で、自分のネガティブさと折り合えるように

水面に映り込んだ緑まで美しいこの場所は、永沢さんが小さいころからよくお父様と釣りに来ている奥羽山脈沿いの山奥。サンショウウオの卵を見たり、山菜やキノコ採りをしたり、クマと出会ったりと、思い出の地でもあるそう。写っているのはお父様。

お母さんと違って私は東京に憧れたことがありません。そのお母さんは現実的すぎて夢がなく、お父さんは現実感がないくらいのんびりマイペースの両極端。自分は間をとってバランスのいい人に育とうと思ってました。うまくいったかは微妙なところですけれど…。絵を描くことは、小さいころから好きでした。好きなだけで得意だと思ったことはなかったです。高校では美術部だったけど、卒業したら看護学校に行くものだと思ってました。現実的なお母さんからずっと言われていて。でも高2の冬くらいから、進路としての美大とか、創作を仕事にするとか、そっちの道も目に入るようになったんです。看護学校よりいいなぁって。両親に言っても絶対無理だから間接的に耳に入れるようにして、周囲から切り崩そうと、まずはおじいちゃん、おばあちゃん、それから親戚、美術短大を出た近所のおねえさんに、「本当は美大に行きたい」と話してまわりました。反対した両親には、「学費は奨学金でなんとかする」「卒業後はデザインとか仕事につなげることもできる」と、頑張ってプレゼンしました。

晴れて進学した秋田市内の美大は、自分のしたいことをはっきり言える人が集まっているところでした。おもしろい人にたくさん出会って刺激を受けて、視野が広がりました。それまでの私は、引っ込み思案で人と話すのが苦手、ネクラな性格がコンプレックスでした。それが、入学後の自己紹介のとき、「私は人間が嫌いです。誰とも仲良くする気はありませんのでよろしくお願いします」と挨拶する同級生はいるし、「いつか別れたいから、いま結婚していい?」とプロポーズしたと話す先生はいるし、こんなふうでもいいんだ、と思わされる人たちでいっぱい!特に先生には、「こんな大人でも生きてゆける。しかも大学教授だ」と勇気をもらったというか(笑)。創作面でも、コンプレックスや悩みがあるほど、つき上がり、わき上がるものがあって、制作意欲になるんだと、みんなの姿を見て思いました。自分のネガティブさも、そうやってものづくりのエネルギーに転換できるんだと考えられるようになって、楽になりました。

水と魚の絵は、村で育った自分の中から出てきたもの

永沢さんが店舗内の黒板にチョークで描いた絵。絵柄が、まるでこのインタビューのために描かれたよう。

住んでいた地域の人たちにもかわいがってもらって、大学の4年間を送った秋田市も、思い出深い場所です。楽しかったです。でも、危機もありました。大学生活半ばでお父さんが倒れて、3年、4年と続けるのは無理かなと、退学も考えました。バイトを頑張って、奨学金を増やして、なんとか乗り越えましたけど、あのときはすごく落ち込みましたね。無理言って美大に進学して苦労をかけた、お父さんへの負い目もあって…。初めて、絵が描けなくなりました。ただ、結果それが転機になって、描くものががらっと変わったんです。

それまで、自分の性格とは逆の、ハッピーな感じの空想画を描いて、見る人を幸せな気持ちにしたいと思ってました。「ありそうな絵」と評価されることが多かったです。私という描き手の“個”を問われると、どこにあるのか自分でもよくわからなくて。描けなくなったとき、悩んで自己探求した末に行き着いたのが自然物でした。生まれ育ったあの村がなければ、自分は成り立ってなかったと思うんです。よく描く水と魚の絵は、自分の中から出てきてたんだと気づきました。小さいときお父さんに渓流釣りに連れて行ってもらってたからなんです。自分だけが持ってる本物の景色があるんですよね。問われていた“個”はこれなんだって、それからは迷わなくなりました。軸ができたんです。

魚の中でもサケは、描く対象として姿も、食べるのも好きなんですけど、その生涯に憧れてもいます。遠い海を回遊して、命がけで、ボロボロになってまで生まれた川に戻ってきて、命が尽きてからは山の植物の栄養となって、別の命をつなげてゆく。全部、本能に従ってのこと。すごいと思うんです。私も、そんなものづくりや生き方がしたいです。「こうだからできない」って、理由をつけないで、本能的であれたらいいなと思います。

つくり手でい続けるため、つくる以外のことも学ぶ

東京での職場は神田にある「風土はFoodから」。食べられるミュージアムを標榜する個性的なお店で、永沢さんは2Fのギャラリーで絵画教室を開くことも。

大学卒業後、ちょっと紆余曲折を経て県外に出ることにしました。地元が好きすぎて、こもりきってしまいそうだったから、俯瞰して見られるようになりたくて。酒蔵で働く職人・蔵人(くらびと)だったおじいちゃんは若いころ、旅するように出稼ぎに出て、いろんな酒蔵で働いてたそうです。おじいちゃんはほかにも、炭焼きもしたし、畑もつくってました。何足かのわらじ、いまでいうパラレルワークです。昔はいっぱいいましたよね。かっこいいと思います。私はつくり手でいたいんです。でも、つくり手でい続けるためには、つくるだけじゃダメなんです。マーケットのことも、デザインも、営業的な部分も、だから学びたいんです。結局東京に来て、それを学び中。いまは、三分の一が秋田で、三分の二が東京という生活です。このペースは悪くないですけど、東京にい続けたいとは思いません。ありふれたものは欲しくないので、東京にはあまり欲しいものがないんです。

私の地元には、仕事もですが娯楽も少ないです。気質的にみんな、遊ぶことに罪悪感がある感じ。娯楽についてはそもそも良いことと見なされないとこがあります。芸術とかものづくりも似てて、理解してもらいにくいですね。そうした、足りないものを持ち込んで、根付かせる一端を担えたらと思ってます。ないならつくらないと。帰る場所だと強く思える、大好きなふるさとですから。

ふるさとのお気に入り

山内村

by永沢碧衣さん

  • 心地いい光

    秋田は晴れが少ない分、晴れたときは「今日はいい日だ!」と思えるくらいきれいなんです。雲の間から光が差して、山や田んぼが照らされると、きらめくような感じ。光の当たった大地を目にすると、全部いとおしいです。

  • 村民歌

    山内村には村民歌があって、その中に、「奥羽の山に抱かれて 里を拓いた先人の 幸を求めた理想郷」という歌詞があります。小さいころからかっこいいと思ってました。“先人”ってかっこいい!“拓く”ってかっこいい!“理想郷”ってかっこいい!って。私の村はそういう場所なんだな、私は、そういう場所で生まれたんだなって、誇らしい気持ちになるんです。100人とかの大コーラスでこの村民歌を歌うと、山が歌っているような圧があって、すごいんですよ。

編集後記

「あぁ、表現者だなぁ」と思いながら、お聞きしました。(集団で狩猟する技術を持ち、古くから生業とする)マタギの方に出会い、触発されて狩猟免許を取ったという永沢さん。取材の前日は「クマ追いに行ってきたんです」と、スマホで、雪の上に残る大きな足跡の写真を見せてくれました。クマは彼女の絵のモチーフにもなっています。豊かで迫力ある絵です。永沢さんが「かっこいい」と語る、クマ、サケ、蔵人だったおじいちゃん、猟師さん、山内村の村民歌。そのかっこよさ、共感できました。それらにかっこよさを見出す永沢さんも、かっこいいなと思いました。

(取材・文:小林奈穂子)


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