わたしのふるさと What is FURUSATO for you? わたしのふるさと What is FURUSATO for you?

誰しも生まれた地、育った地があります。ずっとその地で過ごす人、進学や就職を機に離れる人、転々とする人。
縁ある土地とのつき合い方は人それぞれです。「第二のふるさと」「心のふるさと」という言葉があるように、「ふるさと」は、生まれ育った地とも限らず、もしかすると、物理的な土地とすら結びつかない、その人にとって大切ななにかがある場所とも定義できるかもしれません。
あなたにとって「ふるさと」は、どんなものでしょう。

1優恵さん

山口県山口市生まれ→福井県福井市・北海道札幌市・神奈川県川崎市育ち→東京都在住

優恵(ゆえ)

俳優・モデル

山口県生まれ。15歳からモデルをはじめ、雑誌 「Mc.Sister」「SO-EN」などのカバーをつとめる。「大人のおしゃれ手帖」レギュラー。映画『クロエ』『さよならドビュッシー』『花の名前』(利重剛監督)『トビラを開くのは誰?』(伊月肇監督)『再会』(近藤有希監督)『アイズ』(福田陽平監督)『午後の悪魔』(中村真夕監督)などに出演。
転居の多い人生、現在は東京の都心から離れたエリアで暮らし、そこでのリズムが気に入っている。趣味は散歩。ほかに、食べることと書くことも好き。
Webマガジン「カタヨリ荘」にてフォトエッセイ『昼寝の前に』連載中

“ふるさと”と思える場所はないけれど

転勤族だった父が赴任先の山口でそこに暮らす母と知り合い、結婚して私が生まれました。1歳になる前に福井に、4歳で札幌、9歳で川崎に越します。転勤のたび、行く先々の社宅が住まいでした。12歳のときに東京に移ってからは、転々としながらも、ずっと都内に暮らしています。ふるさとはどこかと問われると考えてしまうのですが、私にはそれがある気がしません。ふるさとはその人にとって、「帰る場所」なのかなぁって。だとするとやっぱり、私にはそうと思える場所がないんです。

帰る場所でこそありませんが、子ども時代の思い出の多くは札幌です。意識としても「札幌育ち」ですね。札幌に越したばかりのときは近所の子に福井弁を笑われて、しばらくは無口な子で通しました。でも社宅には、全国いろんなところから来た人がいて、方言もさまざまでしたね。社宅の子どもたちはみんな、社宅内のお宅をあっちへこっちへ行き来していて、学校から家に帰ると決まって友だちが待っている毎日でした。楽しかったですよ。冬には中綿入りのナイロンのオーバーオールと、“ヤッケ”という、同じ素材のフード付きの上着を着込んで登校します。札幌市の中心部近くの、いまはもう廃校になったプールもない小さな小学校に通っていました。冬の遊び場だった中島公園には凍った池のスケートリンクがあって、そこで体育の時間にスケートの授業もありました。スケートが大好きで、休みの日にもマイシューズを持って張り切って滑りに行ったものです。なつかしいなぁ。

札幌から首都圏へ。大人になっても引っ越しざんまい

札幌から越した先の川崎で通った小学校は、打って変わって日本一と言われるようなマンモス校。圧倒されました。転入して早々、男子にいじめられて、4年生の間中ずっと、「転校生」って呼ばれ続けたんですよ。あたらしい学校生活の滑り出しは散々でしたけど、近隣の雰囲気はどこか明るくて、気に入っていました。プールによく行きました。北海道という土地柄、泳ぐ機会が少なくて金づちだった私は、市の水道局が運営していた鷺沼プールにせっせと通って練習したんです。プールのほかにしょっちゅう遊びに行ったのは竹やぶ。竹やぶに囲まれた社宅だったんです。子どもにとっては飽きない遊び場ですよね。うちに来た最初の猫も、私が竹やぶを探検中に拾ったんです。あれ以来、ずっと猫と暮らしています。

散歩を覚えたのも川崎時代。母と買い物に行っては、昨日と違う道を通って帰る道すがら、よそのお宅のお庭を眺めるんです。これはいまに続く習慣です。父がマンションを買って移り住んだ東京の町田市の雰囲気がどうにも好きになれなかった私は、「川崎に帰りたい」って、毎日泣きました。いまではすっかりにぎやかな町田ですけど、あのころは駅からマンションまでの道さえ、まだ舗装されていなかったんですよ。そう考えるとずいぶんと時代を感じますよね(笑)。都内では、町田のあと、いろんな区や市に暮らしました。引っ越しざんまいの人生です。

東京は好きだけど、東京じゃなくてもいい

東京も、好きですよ。でも、東京じゃなくてもいいです。生まれただけの山口市に、後に母方の祖母を訪ねて行ったときには、こんなところで長く生活してみたかったなぁって思いました。山があって川があって、田んぼが広がっている、私の思う“ふるさと”に一番近い風景でした。いまの時代、職種によってはどこにいても生活を成り立たせることができるのでしょうが、私の場合はあまり想像がつきません。仕事のことを考えると、東京以外に生きる道を探せる自信がないので、この先もきっと東京なんでしょうね。

東京には、ふるさとという言葉が似合わないと思うんです。下町に生まれ育ったりしていたら違ったようにも思いますが、私のような関わり方だと、東京は常に、「いまを生きる場所」だと感じられます。地方出身の人たちが、東京での5年、10年でつくってきた人間関係や、ここでの仕事をリセットしてUターンするのを何度も見るうちに、帰るところがある人は、結局帰るんだなって思うようになりました。東京での時間って、そういうものなのかって、ちょっと置いていかれるような、淋しい気持ちになるんです。私には帰ろうと思うところがないけれど、もしも東京をあとにすることがあれば、そのときは、ふるさととして東京をなつかしむのかなぁ。どうだろう。

ここがふるさとと、思わせてくれる人のいるところ

ノスタルジーあふれる一枚は、お父様のご実家、「大好きだった西宮のおうち」で。抱っこされている赤ちゃんが優恵さんで、向かって左はお母様。

運命的とまでは言わなくても、深い縁に似たものを感じる場所は国外にもあります。初めての海外ロケで連れて行ってもらったパリ、とにかく紫禁城が好きでたまらない北京、それから、優恵という名前の由来になったベトナムのフエ。フエには数年前、私にこの名前をつけた父と一緒に行きました。「いつか行くんだ」と思っていたけど、父と行けたのは良かったです。帰る場所ではないにしろ、パリも北京もフエも、「あぁ、戻りたい!」って思う場所です。

あぁ、そうか。こうして話しながら気づいた気がします。ふるさとって、この人の元に戻りたいと思わせてくれる人のいるところなのかもしれない。父方の祖父は写真の翌年に亡くなりましたが、祖母のいた兵庫県の西宮の家がそうでした。十代のころ、父に「遺産とかいらないから、あのおうちをもらって!」だなんて、無理を言ったことがあるくらい(笑)、本当に好きだった家です。和洋混じった洒落たつくりの、古い大きな家でした。昭和の洋間、タイル張りの横に長い洗面台、桧のお風呂、広い庭…。ドアノブの果てまですべてが大好きだったあの家は、阪神淡路の地震で半壊して、建て替えになってしまいました。でも私にとってはなにより、祖母がいる家でなくてはならなかった。もう亡くなってしまったから、帰る場所ではなくなったんですよね。「おばあちゃまのおうち」は、確かに私の“ふるさと”でした。

ふるさとのお気に入り ふるさとのお気に入り

北海道&東京

by優恵さん

  • 「ばくりっこ」

    北海道弁で、交換すること、「取り替えっこ」の意味の言葉です。私も使ってました。そのころ流行った小さな折り紙を、お友だちと「ばくりっこしよう」って。音の感じがすごいですよね。口にすると楽しくなっちゃいます。

  • 東京の外食

    素材も大事だけど、おいしさを決めるのは料理人の腕だと思うんです。東京はお店がいっぱいある分、切磋琢磨がすごい。だから東京は、おいしいと思います。

  • 井の頭公園(井の頭恩賜公園)

    十代のころから慣れ親しんだ場所です。近隣に親しい人たちが住んでいたので、昔からしょっちゅう来てました。散歩にちょうど良い広さ。先日はスワンボートに乗りに来ました。春の桜は、それはそれは見事ですよ。

編集後記

子どものころの記憶の鮮明さに驚かされながら聞き入りました。まだ小さかった優恵さんが、どんな風に感受性を働かせていたかが伝わって、心象風景を共有させてもらった感じがしました。そして、第1回目にして、「ふるさと」が一様ではないことを思わされたお話でもありました。ご本人がお気に入りと語る井の頭公園での取材。慣れ親しんだ場所とのことでしたが、風景にしっくり馴染みながらもそこだけ浮かび上がるような存在感は、さすがのキャリアのモデルさんです。綴る文章も素敵な優恵さんですので、Webのフォトエッセイ、ぜひ開いてみてください。

(取材・文:小林奈穂子)


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