- おおにし・まき/1983年、愛知県生まれ。2006年、京都大学工学部建築学科卒業。2008年、東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程終了。2008年、同大学博士課程在籍中に、百田有希との共同主宰で大西麻貴+百田有希/o+h設立。主な作品に、福岡市の公園内につくった休憩施設「地層のフォリー」、「千ヶ滝の別荘」、「二重螺旋の家」など。東日本大震災の被災者支援活動として、世界的建築家の伊東豊雄氏とともに設計した、東松島「こどものみんなの家」が2013年1月に竣工。物語性のある作品をつくる若手建築家として、注目を集めている。
中学生の時に、スペインにあるアントニオ・ガウディのサグラダ・ファミリアを見に行ったんです。サグラダ・ファミリアはガウディの死後も建築が進められている巨大な教会です。彼の思いを引き継いで、たくさんの人が何十年という歳月をかけて完成させようとしていることに感動しました。最終的にできあがるサグラダ・ファミリアは、もしかするとガウディが描いていたかたちとは少し違うかもしれない。でも、そんなことはどうでもいいと思えるくらい、そこで起こっている営み自体がすばらしいと思ったんです。これが、建築家を目指したきっかけでした。
でも、大学生になって建築学科に進学したものの、私は全然優秀な学生ではありませんでした。建築学科を卒業しても、建築家になれるとは限りません。もともと絵がうまい方でもないし、設計に没頭して毎日徹夜できるストイックさもない。自分は本当に建築家になれるのかしら、という不安が常にありました。大学の授業では、「美術館を設計する」などの課題が出ます。そして毎回、最後の講評会で優秀作品が選ばれるんです。私は大学3年の終わりまで一つも選んでもらえなくて、最後の方は「私、向いていないのかもしれない」と思っていました。いま事務所を共同で主宰している百田有希は大学の同級生なのですが、彼は絵も模型もすごくうまくて、いつも講評会で発表していたんです。くやしくて、でも追いつけなくて、歯がゆい思いをしていましたね。
いろいろな出会いが私を建築家の道へ導いてくれました。そのなかでも一番大きかったのが、大学の非常勤講師だった建築家の伊東豊雄さんとの出会いです。私は大学に入るまで、カテドラル(聖堂)やお寺など古い建築ばかりに心を揺り動かされていました。そして、現代の建築家には、こんなすばらしい建築をつくることは出来ないのではないか、という漠然とした疑念をもっていたんです。そこでその気持ちを、生意気にも伊東さんにぶつけてみました。すると、伊東さんは「今の時代だからこそできる建築というものが必ずある」と力強く答えてくださった。建築家というのは、こんな風に人を巻き込んで、共に未来に向かうことができる人なんだと、たいへん驚きました。私もこんな人になりたい。それからずっと、伊東さんは私の憧れの人です。
もちろん、怒られたこともあります。伊東さんが開いている、建築学生のためのワークショップで学んでいた時のことです。そこには30人くらいの参加者がいて、5人1組のチームで提案するという課題に取り組みました。伊東さんは最初の説明で、「最後に選ばれた案を、30人全員が『私の建築だ』と思うようなものになっているのが理想だ」とおっしゃったんです。大学ではずっと一人で設計をしていた私は「そんなの無理じゃない?」と、ピンとこなかったんですね(笑)。それはおそらくみんなも同じで、チームで話し合っていても、全員が自分の案を通そうとケンカ状態。それを見て、伊東さんがすごく怒ったんです。そこでやっと、チームで設計するということの意味がわかりました。チームがより創造的であるためには、自分が果たすべき役割は何かと考える必要があるのだ、ということを。それは全体を引っ張っていくリーダーかもしれないし、ムードメーカーかもしれない。そうして、それぞれが別の役割を発揮すれば、一人でつくるより良い作品ができる。建築は、決して一人で完結するものではありません。それは現場でも同じなんです。こうして、一歩ずつ、建築家になるとはどういうことなのか、教えて頂いているような気がします。
独立して、初めて住宅として設計した「千ヶ滝の別荘」には、すごく思い入れがあります。鉄板でできた四角錐の屋根をピロティで持ち上げるような構造になっていて、鉄板は自分の重さでゆるやかにたわんでいる。森に調和する自然な造形でありたい、というコンセプトがその屋根に表れています。
鉄板屋根の施工は、気仙沼の鉄骨業者である髙橋工業さんにお願いしました。彼らは、もともと造船を手がけていた業者さんで、ものづくりの魂に溢れた素晴らしい職人集団です。彼らも、その自重でたわむ屋根のアイデアをおもしろいと思ってくれました。でも、建築確認申請をしたところ、構造的に問題がなくても、法律的に鉄板1枚の屋根は認められなかったんです。私は初めての申請だったこともあり、そんなものかと納得して帰りました。後日、申請を通すための梁をつけた図面を髙橋工業さんに持って行ったら、一目見てたいへん怒られました。「下品だ」と。ぐさっときましたね。「申請が一度通らなかっただけで、大事なコンセプトまで捨てるのか。そんなことであれば、もう手伝わない」と言われ、大泣きしながら帰りました。
でも、その言葉で目がさめました。そこから、いくつも確認申請機関をまわって、理解してもらうために説明を重ね、検討を繰り返すことで、もともとの設計に近い形で通すことができたんです。自分がやるべきだと思ったことは諦めず、意志を通すことの大切さを知りました。そして、この一件で、髙橋工業の皆さんのことが、もっと好きになりました。本当にいつも、まわりの方に育てていただいていると感じます。
建築が完成したときって、すごく複雑な気持ちなんです。「やったー!」と手放しで喜ぶ感じでは、ありません。一つの建築をつくるのに、設計だけでも1年、ときには2~3年かかります。その過程で、いろいろな可能性を考えて、捨てて、話し合っていく。その期間が長い分、気がつくと人生の一部を占める存在になっている。かけてきた年月に誇りを持ち、誠実にやってきたという自信はあるんですけど、同時にもっといいものにできたんじゃないかという思いもあって…。両方がない混ぜになったような気持ちがします。
幸せって、おしゃべりしたり、仕事したり、散歩したり、そういうことが毎日ずっと続くことなんじゃないかと思います。建築について考えるのも大好きで、いつも考えていますが、かといって、毎日徹夜して…というタイプではありません。どうしても眠いときは眠いですし(笑)、みんなでごはんをつくって食べたりする時間も好き。だから、研ぎ澄まされた美しい建築に憧れはありますが、、そういう建築を自分でつくることは出来ない気がするんです。じゃあ、どういう建築をつくればいいのか。それは、もっと大らかだったり、みんなが楽しくなったりと、人間に近く、あたたかくて力強い建築を目指したいな、と。例えば吉阪隆正さんという、ル・コルビュジエに師事されていた建築家の作品はとても好きです。荒々しいコンクリートでできているのですが、風が通り抜け、土の匂いが感じられて。建築自体が、すごく愛情深いんです。おじいちゃんも子どもも、おしゃれな若者も、どんな人も受け入れるような、懐の深い建築。そういう建築をつくることのできる建築家になりたいです。