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2008年11月号 21世紀を生きるための新しい価値観5回 「ロハス」その1 分子生物学者福岡伸一さん

雑誌や新聞などで「ロハス」という言葉を目にしたことがある人は多いと思います。しかし、この言葉の意味や背景を理解している人は、意外に少ないのではないでしょうか。1990年代になってからアメリカで生まれたこの「ロハス」という言葉。そこには、エコロジー、環境問題、「食」の問題、あるいは私たち一人ひとりの生き方など、様々な要素が含まれています。これまで狂牛病の研究などにも取り組まれてきた福岡伸一さんが、生物学者ならではの独自の視点で、「ロハス」を解説してくださいました。

サステナビリティと「棲み分け」の原理

「ロハス」という言葉を最初に耳にされたのはいつ頃でしたか?

福岡  2005年の秋頃だったと思います。「ロハス(LOHAS)」というのは、「Lifestyles of Health and Sustainability」の頭文字をとったもので、直訳すると「健康と持続可能性に配慮した生き方いろいろ」ということになります。元々は、アメリカの「カルチュラル・クリエイティブズ」という新しい社会階層の人たちが実践している生き方を示す言葉で、非常に率直に言うと、一種のマーケティング用語でした。その領域に新しい市場があり得るというわけです。

 しかし私は、ロハスを一種の思想運動を表す言葉として受け止めました。私がとりわけ重要だと考えたのは、ロハスの「S」、すなわち「サステナビリティ」です。

 『はらぺこあおむし』という絵本をご存知ですか? エリック・カールという人が書いたロングセラーで、内容は、お腹を空かせた青虫がいろいろなものを食べて、最後はきれいな蝶になるというたわいもないものです。しかし、昆虫少年だった私は、この話にはおかしなところがあると思っていました。この絵本の青虫はものすごい食欲をもっています。それ自体は事実なのですが、おかしいのは、青虫がアイスクリームやりんごやチョコレートを手当たり次第に食べるという点です。そういうことは実際にはあり得ません。例えば、アゲハチョウの幼虫はミカンかカラタチの葉しか食べません。キアゲハの幼虫はパセリの葉しか食べません。どんなにお腹が空いていても、ほかの葉っぱには見向きもしないんです。自分の食べるものをかたくなに決めているわけですね。

 ここに実はサステナビリティの重要なコンセプトが含まれています。地球上のほとんどの生物は、自分が食べるものを決めている。つまり生きる領域を守っている。それによって、地球の環境や資源は「持続可能」になっているわけです

 では、なぜ領域を守るのか? 食べ物をめぐってほかの種と無益な争いが生じるのを避けるためです。闘争を避けるために「棲み分け」をしているわけです。これを生態学用語では「ニッチ(niche)」と言います。競合相手の少ない産業を「隙間」という意味で「ニッチ産業」と言いますが、本来、ニッチとは「自分の分」という意味で、「巣」を意味する「ネスト(nest)」と語源を同じくしています。食べ物や住む場所に関して自分の領域を決め、ほかのところを荒らさないようにする。それが、生物学的に見たサステナビリティの基本的なあり方なんです。

なるほど。しかし、人間はそういった棲み分けをもはやしていないですね。

福岡   そうなんです。もうひとつ、棲み分けに関して興味深い事実があります。バーニー・クラウスという有名な音響学者がいるのですが、彼は、高性能の録音機材をボルネオのジャングルの中に持ち込んで、そこにあるあらゆる音を時間をかけて録音することを試みました。そしてその結果を、横軸を時間、縦軸を周波数にしたグラフにまとめたわけです。

 結果は驚くべきものでした。グラフ上にはいろいろな縞模様が現れたのですが、それぞれの縞模様はほとんど重ならないんです。これが何を意味しているかというと、音のレベルでも生物は棲み分けをしているということです。コオロギがジジジと集く(すだく)低周波の音、ヒヒが木々の間で鳴き交わす音、あるいは小鳥のさえずりのような高周波の音──。そのすべてがお互いのニッチを守り、干渉しないようにしているわけです。それをクラウスは、「サウンド・スケープ(音の風景)」と名づけました。

 食べ物、住む場所、そして互いのコミュニケーションに用いる周波数においてすら、生物たちは自分の領域を守っている。この地球の有限な空間を分け合うそのバランスこそが、自然の多様性なわけです。もし、弱肉強食や適者生存ということだけが自然界の原則であったなら、この地球にはこれほどに豊かな多様性は実現していないはずです。ごく限られた強者のみが生き残り、いずれ餌が足りなくなってその強者も滅んでしまうことになる。しかし、実際にはそうなってはいないですよね。

 つまり、棲み分けというのは、この地球に生物が生きるための本来的な原理ということです。しかし、現代の人間はその原理に基づいて生活していない。そのことについて、あらためて考えてみてはどうだろうか──。その問いかけがサステナビリティの出発点であり、ロハスの基礎をなす考え方である。そう私は捉えています。

ロハスの実践内容は一人ひとりに委ねられている

ロハスには、具体的な実践方法はあるのでしょうか?

福岡  先ほども触れたように、ロハスは一種の思想運動であると私は考えています。地球の環境やその成り立ちについてのイマジネーションを豊かにもちましょうという勧めのようなもの、それがロハスです。ですから、個々のコンテンツ(実践内容)は、それぞれの人が個々に考えていけばいいことだと思っています。ある種の環境運動のように、教条的に「こうしなければいけない」ということはありません。

 先ほどのサウンド・スケープの話に戻りますが、あのグラフの中に唯一、棲み分けを破って、グラフ上を斜めに横切っていく線がありました。それは、ボルネオの上空を横切っていくジェット機の音でした。繰り返しになりますが、人間だけがこの地球にあって棲み分けの原理を破っているわけです。『はらぺこあおむし』で描かれていた食欲旺盛な青虫。あれは実は人間の姿なわけです。そのことをまず反省しようとするのがロハスです。ロハスの基本にあるのは自己懐疑心であり、懐疑の先にどのような実践があるかは一人ひとりに委ねられている。私はそう考えています。

著書『ロハスの思考』では、とりわけ「食」について多く言及されています。ロハスの考え方の中心をなすのは「食」であるとお考えですか?

福岡  衣食住のそれぞれに関して、ロハス的なライフスタイルというものがあり得ると思います。私は、狂牛病の研究をしてきたこともあって、とくにその中の「食」を重視しているわけです。

 「食」におけるサステナビリティとは、ニッチを守るということであって、地産地消のようなスタイルを重視するということです。ノルウェーまで行って鯛に似た魚を獲ってきて、それを回転寿司のネタとして並べる。そういう行為は、決してロハス的ではありません。自分の周囲にある限られたものを食べて生活するというのが生物界の原則です。人間は雑食性ですから、青虫のように同じ食物だけを食べ続けるというわけにはいきませんが、できるだけ身近なものを食べようと心がけることはできるはずです。

「身近なもの」というのは、日本国内でつくられた食材ということですか?

福岡  別の言い方をすれば、私たちが口にするまでの「プロセス」が見えるものということです。以前、京都のある料亭の若主人とこんなやりとりをしたことがありました。私はその料亭で、つくねのような団子が入っているお汁をいただいたのですが、それがたいへん美味しかったんです。団子は、蓮根をすり下ろして、確かエビのすり身と合わせたものだったと記憶しています。握った時の手の形がついているようなとても素朴なもので、味は甘くて爽やかでした。「とても美味しいですね」とご主人に伝えたところ、ご主人は、「練りものというものは、実は料理としてはごまかしなのです」と言うわけです。なぜ「ごまかし」かというと、どんな食材が入っているか食べる人にはわからないから、つまり食べるまでのプロセスが見えないからなんです。

 今から何万年か前、人間が狩りと漁で暮らしていた頃は、自分たちで獲った獣や魚を自分たちで調理して食べていました。そこでは、プロセスはすべて可視化されていたわけです。しかし、グローバリゼーションが地球全体を覆ってしまった今日、あらゆる食材には目に見えない操作が加わっています。例えば、ハンバーガーに使用されているハンバーグ一枚の中に入っている牛の数は500頭にのぼると言われています。いろいろなところから牛肉を買ってきて、それを混ぜるという操作を行うことでハンバーグという製品ができる。そこではプロセスを可視化することは、もはや不可能です。

 もちろん、操作にはメリットもあります。品質が均質化するし、コストも安く抑えられます。逆に言えば、プロセスを明らかにしようとすれば、コストがかかるということです。例えば、プロセスが明らかではない牛乳が1リットル200円で買えるとします。一方、ある特定の農家が、植物性の飼料だけを食べさせて、抗生物質を一切与えずに育てた牛から牛乳を搾って販売したとします。その価格は、おそらく一般の牛乳より50円程度割高になるでしょう。その50円の割高分を「安全のコスト」と考え、200円の牛乳ではなく250円の牛乳を選ぶ。それがロハス的思考ということです。

ロハスは富裕層のファッションか?

ロハスの実践にはお金がかかるということでしょうか?

福岡  ある意味ではそうです。ですから、ロハスはしばしば、富裕層の趣味的な取り組みであり、一種のファッションであるという反感を買うこともあります。しかし、それはちょっと違うと私は思っています。なぜなら、そこにはお金に関するいわば「遠近感のズレ」があるからです。

 食材のプロセスを明らかにしようとすると、つまり食べ物をロハス的なものにしようとすると、おおむね10パーセントから25パーセントぐらい割高になると言われています。私は、狂牛病に関する調査でアメリカに行った時に、コールマンフーズという食品スーパーの社長にインタビューしました。そのスーパーは、有機食品、つまり無農薬、無人工肥料でつくった食品しか販売していない有名な店で、肉もすべて特定の契約農家から仕入れています。

 その社長によれば、コールマンフーズで販売している牛肉には3つの原則があるそうです。ひとつに、牛は草食であること。ひとつに、有機栽培された植物性飼料のみで育てること。そして、成長ホルモン剤や抗生物質などの薬を一切与えないこと──。牛が草食なのは当たり前じゃないかという人もいると思いますが、近代畜産業において、牛はもはや草食ではありません。肉骨粉という牛の死体をすりつぶして混ぜ合わせた飼料を食べているわけですから。

 では、そうして育てた牛の肉は、一般の牛肉よりどの程度高くなるか。コールマンフーズの牛肉は、単位グラムあたり10パーセントから15パーセント割高で販売されています。しかし、その割高の牛肉を多くの人が買っているわけです。販売者は、安心できる食材を消費者に提供する。消費者は、多少高くてもその食材を購入する。そこには、販売者と消費者の間のポジティブな関係が成立しています。一方、日本では、一円でも安くしないと消費者にそっぽを向かれてしまうと多くの販売者は考えています。その結果として、事故米混入などの偽装が発生し、消費者にそのしわ寄せが行く。消費者と販売者の関係は、非常にネガティブなものになってしまっているんですね。

 私は、プロセスを可視化するかわりに、そのコストを消費者が引き受けるというのがロハス的思考であると考えています。そのコストを引き受けられるのは、お金もちだけでしょうか。そんなことはありません。服や車に費やしているお金のいくらかを食に割り当てるだけで済むわけですから。しかし、多くの人は、「食の安心」への出費よりも、ブランドものの洋服や自動車への出費の方が価値があると考えています。その優先順位のつけ方が、私が言う「遠近感のズレ」なんです。その遠近感を正し、生きることにより直結する本質的なことを大切にすること。それが、ロハス的思考なのです。(次回に続く)

門脇仁(かどわき・ひとし)


1959年東京生まれ。京都大学卒業。米ロックフェラー、ハーバード両大学の研究員、京都大学助教授を経て、現在は青山学院大学理工学部化学・生命科学科教授。専門は分子生物学。『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)で第29回サントリー学芸賞を受賞。ほかに『もう牛を食べても安心か』(文春新書)、『生命と食』(岩波ブックレット)などの著書がある。

『できそこないの男たち』
(光文社新書)
福岡氏の最新著作。生物学の視点から男女の 「本当の関係」に迫るスリリングな一冊。
  『ロハスの思考』
(木楽舎ソトコト新書)
ロハスな考え方のために必要な様々なヒントを提示するサイエンス・エッセイ集。
坂本龍一、ヨーヨー・マらとの対談も収録。


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