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- ふなはし・よしのぶ/大阪府出身。 (同)リグループ クラリー牧場 マネージャー。幼い頃、祖母に連れられて観た芝居の杉良太郎に憧れて、自分も舞台に立ちたいと子供歌舞伎に入塾、稽古三昧の子ども時代を送る。高校生のときに始めた乗馬に夢中になり、障害飛越競技でオリンピックをめざすまでに。愛馬との生活を成り立たせるため昼夜働いたり、馬について学ぶため拠点を点々としたり、生活の中心が馬。現在は岩手県八幡平市に落ち着き、引退競走馬や養老馬の余生を支えるために、馬ふん堆肥の販売・普及に奔走。
― 馬人生とお聞きしていましたが、子どもの頃は歌舞伎を?
船橋さん :はい。祖母に連れられて観た杉様(杉良太郎)の芝居に胸を射抜かれてしまいまして、自分も舞台に立ちたい!と。ちょうど松尾塾子供歌舞伎の立ち上げのときで、第一期生を募集していたので、それに申し込んでもらいました。
― ユニークなお子さんだったんですね(笑)。お稽古がきついイメージですが。
船橋さん :小学生の頃は遊んだ記憶がありませんね。稽古では基礎の基礎から叩き込まれ、大変ではありましたけど、芝居は本当に楽しかったです。日本舞踊、三味線、黒子役まで一通り学びました。結婚したときも、披露宴で鼓(つづみ)を叩いたんですよ。
― そんなに一生懸命だった歌舞伎から、乗馬にシフトしたんですね。
船橋さん :馬に乗ったのは、幼い頃に住んでいたことのある伊豆で連れて行ってもらったポニー園のポニーが初めてだったと記憶しています。ずいぶんあとになりますが、高校時代、オーストラリアに10ヶ月ほど留学しまして、そのとき、登校前に競走馬の厩舎に通い、馬の世話をしました。毎朝4時起きで、スケボーで1時間かけて行くのに全然苦にならなかった。目覚めたんですよね。「これが自分にとって一番おもしろいことなんだ」って。とにかく馬といたい、馬に乗りたいと思いました。最初は競馬の騎手になろうとしたので、今とはそこが違いますが、気持ちとしては少しも変わっていませんね。
― 高校生で、ご自分の馬を持っていたのですよね。
船橋さん :はい、那須トレーニングファームで自馬を。だから妻は僕と出会ったとき、「おぼっちゃまに違いない」と思ったそうです。今では「すっかりだまされた」と言われてます(笑)。実家は大阪ではちょっと知られた老舗のお好み焼き屋を営んでいまして、ありがたいことに、実際、不自由なく育ちました。馬も、中山大障害という重賞レースにも出場した実績のある馬を買ってもらい、最初の2年くらいは維持費も負担してもらっていました。だけど、いつまでもそういうわけにはいきません。
― そういうわけにはいかないといっても、その頃はまだ専門学生ですよね。馬を預けて管理してもらうだけで、相当お金がかかるかと。
船橋さん :すごくかかります。そのため、大阪の専門学校に通いながら、バイトをしまくっていました。朝はお惣菜屋さん、昼はパチンコ屋さん、夜は飲食店で。そして週末になると那須に行って馬に乗るという生活です。最初はそれでもただただ楽しかったのですが、自馬の「偉大歌舞伎(グレイトカブキ)」が本当にいい馬だったので、その力に見合うようになりたくて、真剣に打ち込むようになりました。
― そうやって、オリンピックをめざすまでに。
船橋さん :那須トレーニングファームで、師匠となる人に目をかけてもらえたのも大きかったです。広田龍馬さんという、障害飛越競技の日本の第一人者です。広田さんがワールドカップに出場する際は手伝いで海外に同行するなど、貴重な経験をさせてもらいましたし、僕自身も、特に十代の頃は大会にたくさん出場して、良い成績をおさめることができました。
― 馬と関わり続けていることに変わりはないにして、二十代はずいぶんとあちこち転々としてますね(笑)。
船橋さん :客観的に振り返ると、自分でもなんなのかと思いますけど、一番迷惑してるのは妻ですね(笑)。彼女は馬が好きで、牧場のお嫁さんになるのが夢だったという女性。そうでもなければ、こんな生活ありえないですよね。馬を持つ、試合に出る、これをやり始めると、お金が貯まることはありません(笑)。子どももふたりいますし、寝る時間を削ってバイトに励む覚悟はありますが、それをしなくていいのはすべて妻のおかげです。妻は理学療法士の資格を持っていて、経済的にも僕の稼ぎに頼らなくてもいい…本当に、いくら感謝してもし足りない存在です。栃木に大阪に北海道に岩手、あちこち転々とすることにも、「しかたがない」と言いつつ、いつも理解してくれます。
― はい。おっしゃるように、ふつうならありえないでしょうね(笑)。
船橋さん :自分としては、ただ落ち着かずにちょろちょろしているわけではもちろんなくて、逆に、腰を据えて打ち込める環境をつくりたい一心だったんですよ。「人馬一体」という言葉がありますが、その境地にたどり着くには、密な一対一の関係の中で、人馬相互の理解を深めていく必要があります。自馬といえど、どこかに預けて、トレーニングも誰かに任せ、週末だけ行って乗るというのでは限界があります。ですから、自馬を伴って馬の牧場で働いて、馬についての諸々もそこで学ぶ。僕のような身分では、それが選択しうるベストな形でした。とはいえ、それだって、自馬と一緒に迎えてもらえる職場あってのこと。馬が一頭増えると、場所も手間も余分に必要になりますから、快く受け入れてくれる人たちに恵まれたのは、決して当たり前のことではありません。
― 船橋さんご自身にもご苦労はあるのでしょうが、いやぁ、幸せ者ですね。
船橋さん :まったくです!僕にも、落馬したり、引きずられてケガをした経験はあります。そんなときでも、たとえ車いすになろうと乗馬を辞めたくないと思いました。ここまで夢中になれることに出会えてめちゃくちゃ幸せです。僕は「生涯馬乗り」。こんなありがたい人生、苦労だなんて言ったら罰が当たります。
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