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- かとう・だいき/埼玉県出身。自然環境に恵まれた地域に生まれ育ったが、都会に憧れ、地元を離れたい一心で、高校卒業後は東京の美容学校に通う。美容学校を選んだのは、母親が自宅で美容院を経営していたため。サロンで働いたのち、幼なじみと共同で出店も果たし、美容師として7~8年頑張るも、一生の仕事とは思えず、都会暮らしにも違和感を覚える。田舎に目覚めて地域おこしに関心を持ったことから、やはり一次産業が重要と思い至り、農業法人で農業にかかわるイロハを習得。35歳で東京都の離島・人口300人余りの利島(としま)村に家族3人で移住。日本一の椿油の産地をいかに持続可能にするかで奮闘中。
― 加藤さんは、美容師から農業に転じていますね。ちょっと珍しいケースだと思いました。
加藤さん:そうかもしれません。もともと、母親が美容院をやっていたというだけのことで選んだ道でしたからね。都会に出たくてたまらなくて、その手段だったんですよ。
― ご実家は秩父の長瀞(ながとろ)町。自然豊かなイメージですが、若い頃はやはり、都会に憧れましたか。
加藤さん:当時はとにかく地元を出たくて仕方なかったですね。高校卒業後の選択肢を考えたとき、地元で就職を目指す同級生もけっこういたのですけど、僕には考えられなかった。そんな気持ちは1ミリも起こりませんでした。たいした頭もないからと大学進学も考えず、安易に美容学校を選択しました。
― 美容師として働き始めてからはどうでしたか。
加藤さん:長時間で、特に夜が遅い仕事できつかったけれど、お客さんとのやり取りは面白かったです。
― 20代半ばで、サロンの共同経営者にまでなってますものね。
加藤さん:20歳のときから美容師として働いていたのですが、4年半後にはヘルニアで続けられなくなり、10ヶ月くらい療養生活を送っていたんですね。そのときに、地元の幼なじみの、床屋のせがれから誘われたんです。
― 美容院の息子と、床屋の息子で東京進出!
加藤さん:そうそう。東京の板橋区に共同で出店したんです。2年ほどはがむしゃらに働いて借金も返してゆきました。経営は順調で、お客さんが増えるのが楽しかった。お店も増やしたんですよ。だけど3年目くらいから、楽しくなくなってきちゃったんですね。目標が見えなくなって。結局、美容師という仕事にはそこまでの思い入れを持てなかったみたいです。
― 経営がうまくいっていたにもかかわらず、辞める決断をする。
加藤さん:はい。その頃にはすっかり、都会への憧れも失せてましたし、それどころか、あれだけ出たかった地元が、大好きになっていました。
― 都会の生活が合わなかったのですかね。
加藤さん:そうらしいです。たいして面白くなかった(笑)。地元の、自然豊かな周辺環境や、気の置けない仲間との関係が、ひどく愛おしいものだとわかりました。都会の生活のリズムも、自分には合ってなかったように思います。
― そうしたことがわかってきて、地方に目を向けるようになったんですね。
加藤さん:田舎に目を向けてみたら、衰退してゆく姿が見えてきて、どうにか活性化できないものだろうかと考えるようになりました。田舎の資源を活かすにはどうするべきかと思案してみると、耕作放棄地も増えているし、やはり農業ではないかという思いを抱いたんです。
― それで、農業を志すのですね。
加藤さん:結婚して、埼玉県幸手市で農業を営む妻の実家に移り住んだことで、農家の厳しさも知りました。それでも自分もチャレンジしてみると決めて、29歳で農業生産法人に就職しました。
― 実際に足を踏み入れてみていかがでしたか。
加藤さん:向いていると思いました。
― そうですか。美容師時代より良かったですか。
加藤さん:そうなんですよ。そこでの仕事は、現場8割、事務2割。現場は、繁忙期にはめちゃくちゃ大変になります。だけどつらいとは思いませんでした。あれだけ悩まされたヘルニアも再発することなく、心も身体もすごく健康だったんです。農業のほうが合ってましたね。自分はとことん田舎向きの人間なんだとわかりました。それに、振り返ると、人生の舵を自ら取るようになったのは、この頃からでした。
― あぁ、それは感慨深いですね。農業のどんなところが楽しかったですか。
加藤さん:純粋に、育成ゲームみたいで面白いと感じました。米をはじめ、いろんな野菜、それにイチゴやブルーベリーも育てたのですが、それぞれ個性があるでしょ。その年の天候など、条件によっても変化がある。一番のお気に入りはアスパラ。一日見逃すとびっくりするほど伸びていたり、水のあげ方ひとつで生育がガラリと変わったり、とりわけ目が離せないんです。3年で株を大きくして、収穫はそこからが本番という、手のかかる作物でもありました。
― なるほど、美容師時代のお話をされているときより楽しそうです(笑)。5年余り農業に携わられて、現在も関連するお仕事をされていますが、移住先については、なぜ離島の利島村だったのでしょう。
加藤さん:次のステップにと、求人のあった二ヶ所にエントリーしたら、受かったのが利島のJAで(笑)。
― それでは、この島に惚れ込んだというわけではなく…。
加藤さん:仕事ありきですね。江戸時代から続く椿油の生産地で、長く日本一を守ってきたというところにはすごく惹かれました。でもそれ以外には、ほとんどなにも知りませんでしたから。
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