今月の「生きるヒント」

シリーズ 人生のチャレンジ 移住を選んだ人たち 第17回《前編》岡田 良太さん

めんどくさい自分とつき合って30年。農機具小屋をDIYで店にして、ジビエを供する

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プロフィール
おかだ・りょうた/奈良県出身。大人が手を焼く子どもだったが、国立の中高一貫校に進み、中学から続けた水泳によりスポーツ推薦枠で大学に進学。大学卒業後は証券会社に就職するも、上司からの理不尽な扱いや現金至上主義への疑問が膨らむばかりであったため、7ヶ月でサラリーマン生活に見切りをつける。農業を志し農家を巡るが、向いていないと感じて放浪の旅に。いつしか飲食店の魅力に取りつかれ、自分の店を持とうと決意。京都市の有名イタリア料理店で働いて努力とセンスが認められる。香川県の離島で出会った現在の妻と共に京都府南山城村に移住し、2014年に小さなカフェを開店。地元の食材を使った料理が評判に。 front Facebookページ
岡田良太さんのじぶん年表

子どもの頃からずっと、自分を表現するのが難しかった

― ご経歴を見ると、悩める若者だった印象を持ちました。

岡田さん :どうですかね、23歳までは順風満帆だったと思っているのですけれど。人生について、生きる意味について、すごく考えるようになったのは就職してからですね。

― ある種のものごころがついたというか。

岡田さん :そうそう。それまではあまりなにも考えずにきたというか、なんとなくやってたんですね。今振り返ると、意味なくオシャレして、意味なくモテたくて。

― そこの意味はいるんですかね(笑)。モテましたか?

岡田さん :モテませんでした(笑)。

― あはは。でも、なんとなくとおっしゃいますが、中高と、水泳をずいぶん頑張ったんですよね。

岡田さん :それも今思うと中途半端だったんですよ。ちょっとばかし才能があったのかもしれませんが、それだけ。もっとやれたはずなのにやらなかった。続けたのも、やめたいと思ってもやめさせてもらえなかっただけです。

― ご両親が熱心でいらした。

岡田さん :そうですね。僕は小学校から国立の学校で、中学受験して、やはり国立の中高一貫校に通ってます。両親は教育熱心でしたね。

岡田さんのお店frontの看板メニュー「富士雄さんの仕留めたシカの赤ワイン煮込み スパゲティ」。こくがあり味わい深い。

― 反発されましたか?

岡田さん :あまり自分を主張するものではないと思ってたんです。そういうのは衝突のもとだと。自分を表現するバランスがわかってなかったんでしょうね。でも、それなりに楽しくやってましたよ。深く考えていなかったからかもしれません。ただ、小学生のときは大変だったみたいです。

― 大変というと?

岡田さん :教室にいなかったらしいです。自分ではあまり覚えていないのですが、保健室に行ったり、売店のおばちゃんと話し込んだりしてたとか。窓ガラスもいっぱい割ったみたいです。

― えぇっ!どうして窓ガラスをいっぱい?

岡田さん :ストレスだったんでしょうね。それでも自分を抑えているつもりでしたけど、両親や先生には迷惑かけました。

半年あまりで会社を辞める→農業を志す→放浪の旅に

― 23歳までは順風満帆とのことでしたが、なかなか激しい子ども時代のようです…。

岡田さん :中高でも、自分の部屋の壁は穴だらけでしたしね。パンチしてあけていた。

― ストレスで、ですか?

岡田さん :たぶん。同級生はデキのいいのばかりで、自分なんか底辺でしたけど、ふつうに友だちもいたし、生徒会なんかもやって、けっこう満喫してたんですよ。だけど、自分が求めてるものと親が求めてくるものの乖離はありましたね。わかって欲しいけど、表現できない状態だったのではないかと。

― うーん…、つらそうです。話を戻しますね。そんな岡田さんは成長して、大学を卒業し就職してから、人生と生きる意味を考えるようになったと。就職先の会社は半年あまりでお辞めになっている。

岡田さん :7ヶ月で辞めました。就職した証券会社は、あからさまに、手数料さえ稼げたらそれでいいというところで。新入社員はまず飛び込み営業を命じられるのですが、「君に投資したと思って」と言ってお金を出してくれるお客さんもいたんです。ところが、僕がつかまえたお客さんを上司が引き継いで、手数料上げて、引き出せるだけお金を出させて…。ぜんぜんお客さん本意じゃなく、信頼関係なんてない。こんな世界は絶対に嫌だと思いました。

― そうした体験から、生きることを考えさせられたということですかね。

岡田さん :そうですね。それまでも、ちゃんと思考していなかっただけで、思い悩むタイプではあったんですよ。常日頃から細かいことにもいちいち悩んでて、悩むばかりで好きな子にも一生告白できないタイプ?

― あはは。なるほど。

ネパールを旅したとき、ヒマラヤのアンナプルナベースキャンプ場にて。こう見えて標高4,130メートル!

岡田さん :社会に出て、資本主義の権化みたいな会社で働いてみて、逆に資本主義の限界を考えるようになりました。同時に、サラリーマンとして日本円の獲得に必死になったところで、この先もしかしたら食べられなくなる時代が来るかもしれないという危機感を持ったんです。だから農家になろうと思いました。農家に住み込んで、農作業を手伝いながら宿と食事を提供してもらう仕組みを利用して、何軒かの農家さんにお世話になりました。

― でも、やってみて向いていないと思ったんですね。

岡田さん :農業は自然相手ですし、自分ですべてをコントロールできませんよね。それに、対策をとってから結果が出るまでに時間がかかるところが、自分には合わないと思いました。

― それで、農家をめざすのもやめて、旅に出る。

岡田さん :ネパールとインドを3ヶ月旅して、いろんな考え方があるんだと身に染みて理解しました。自分の常識がすべてじゃないし、自分は自分、他人は他人の価値観がある。当たり前のことのようですが、本当に腹に落ちたんです。

飲食店の魅力に目覚め、頑張る!

京都市内のイタリア料理店に勤務していた頃。真ん中で、ひとりだけ変顔で写るのが岡田さん。

― そうですか。飲食店がいいと思ったのはその頃なんですよね。

岡田さん :はい。自分の好きなものを空間ごと表現できるっていいなと思って、その手段としての飲食店に夢を抱きました。「そうだ、カフェをやろう」と。日本に戻って、香川県の直島で、知人が経営する店を手伝っているときに妻と出会い、一緒に京都に移って来ました。カフェをやろうと決めたものの、雰囲気だけの店はやりたくなかった。きちんと旨いものをつくれるようになりたくて、京都市内の有名イタリア料理店に就職しました。

― おいしいものをつくるための、いわば修行だと思うのですが、未経験者ですよね?よくそんな有名店に入れましたね。

岡田さん :そうなんですよ。高級と言われる類いのお店だったのですが、気に入ってもらえたらしく、すごくラッキーでした。とはいえ、最初に与えられた仕事はイス磨きです。毎日、誰よりも早く職場に行ってホールの準備を終わらせ、仕込みなども手伝わせてもらいました。まずはホールスタッフとしてサービスを学んで、そうこうしているうちに、半年ほどでキッチンスタッフとしても働けるようになって、その半年後くらいには、前菜、デザート、パンの担当として、メニューの開発まで任せてもらえるようになったんです。

― 1年でですか?そんな高級店で、すごいですね。

岡田さん :確かに、あまりないことみたいです。幸運なことに、センスがあったと言ってもらえます。

― そうでしょうね。それに吸収力もすごかったんでしょうね。

岡田さん :とにかく忙しくて目の前のことをこなすのに精一杯でしたけど、結果、料理以外にもたくさんのことを学びました。

― 証券会社も農家も合わなかったけど、今度は合っていた。

岡田さん :そう。自分の存在が、ちょっとでも誰かにとってポジティブな影響を与えられたら、命をもらって生きさせてもらっているひとりとして、使命にもかなうし、自分自身も幸せです。料理を含めた全体の演出みたいなものを提供して、お客さんに喜んでもらえると、それを実感できるんです。ましてや自分の店なら、全部自分のやり方で好きな世界観を表現できるから。


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