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- いわさ・とおる/東京都出身。武蔵野美術大学在学中にグラフィックデザインの会社を設立するも、早々に編集者に転向。じゃらん(リクルートホールディングス)や東京ウォーカー(角川マガジンズ)など人気雑誌の特集記事制作を任されるように。2000年に自社で「自遊人」を創刊して人気雑誌に育て、業界を驚かせる。その後食品販売事業を立ち上げ、2004年に会社の一部機能を新潟県南魚沼に移転、同時に米づくりに着手する。2006年には全面移転を果たし、以降現在までに農業生産法人自遊人ファームのほか、温泉旅館「里山十帖」も経営。食にまつわる地域の商品開発を手がけるなど、クリエイティブディレクターとしても活躍している。 自遊人公式サイト
― 崖っぷちに立たされたことで、また、そこを脱してから、見えたものはありますか。
岩佐さん :八方ふさがりだった当時、繰り返し考えたことがあります。原発事故で日本人の三分の一くらいが難民になり、海外に流出を余儀なくされたとしたらどうなるのかと。自分もそのひとりだったなら、どんな運命が待ち受けているだろうかと。人権が尊重される国で、経済的な糧も得て、すんなりいい暮らしができる人は、恐らくわずかですよね。今よりうんと困難になるのがふつうでしょう。そんなことを考えるほどに、国というものが当たり前に永続するなんてことはないと思えてきたんです。国も、個人も、生き延びなくてはならないのだと思いました。僕は政治家でもなければ、大企業の経営者でもありません。暗いトンネルを抜けてからは、そんな自分の立場で、国や地域にいかに貢献できるか、より真剣に考えるようになりました。
― そのようなことを考えていらしたのですか。今振り返って、そのときのご経験をどのように感じていますか。
岩佐さん :それはやはり、財産、ですよね。なんでもそうだと思います。人生は、自分との戦いですから。僕は社員にいつも「自分に負荷をかけることが大事」「ひとの二倍やるための知恵を絞れ」と繰り返している人間です。じゃなきゃ会社としても、クリエイターとしても大成しないぞって。「ふざけんな、ひとりでやれ」って言う者もいますけどね(笑)。
― あはは。ご自身のことを、神経質で小心者とおっしゃっていましたが、すごくハングリーでもあるんですね。
岩佐さん :まぁ、実際、後ろ盾もなくやってきましたからね。
― そうした人生の哲学みたいなものがいつ形成されたのか、具体的に思い当たることはありますか。
岩佐さん :この話はちょっと恥ずかしいのですけれど…。僕は中学まですごく勉強ができて、それも人一倍努力をしたとかではなくできて、東大に行こうと思っていたんですよ。結果的になんてことはない、その頃が僕のピークで、あとは落ちるばっかりだったんですけどね(笑)。まぁ、とにかく、中学生の頃はそうだったものですから、鼻高々で、何者かになるには東大に行かないと、と思ってた。
― 一般に、日本で一番の大学といえば、まずは東大ですものね。そんなに勉強ができれば、だいたいの子が意識するのではないでしょうか。
岩佐さん :政治家にしても有名な経営者にしても、東大ばかりが目についてましたし、なんといってもまだ子どもでしたから。
― はい。
岩佐さん :高校に進学するとき、学区内で一番の学校を志望せずに、二、三番手くらいの学校にしたんです。なぜかというと、指定校の成績上位者は、早稲田か慶応に学校推薦で入学できたんです。学区内で三番目くらいの高校でも、指定校に入っていた。だから、一番の学校に入って争うより、それより下の進学校に行って、ぶっちぎりでトップになるほうが得策だと思ったんです。中学生の浅知恵ですよね。東大に行くつもりだけど、最悪でも早慶だと。
― 最悪でも早慶…。岩佐少年はきっと、「神童」と呼ばれていたんでしょうね。
岩佐さん :そう呼ばれたかはわかりませんけど、まぁ、周囲に期待はされていたでしょうね。結果、その先はとんでもなかったので、本当に恥ずかしい話ですよ。でね、自分なんか余裕でトップだという気持ちなもので、入学してから遊んだんです。ちゃんと努力する生徒が相応に学力を伸ばしてゆく中で、遊びほうけた僕は、トップどころか、気づけば落ちこぼれの道をまっしぐら。先生には、「入学時と比べてこんなに成績が下がった生徒は見たことがない」と言われました。実力は伴わないし、よほど鼻持ちならない生徒だと思われてたんでしょうね。「お前なんかに学校推薦などやるか!」みたいな感じ(笑)。それは時代もあったのでしょうが、さんざんに言われました。「(努力もしないで)お前は人間のクズだ!」という具合に、ほとんど罵倒です。
― あらら…。優等生だった少年にとっては特にきつそうです。
岩佐さん :自尊心は打ち砕かれました(笑)。具体的に進路を考える頃にはすでに、難関大学を志望するような成績でもなかったので、王道はあきらめました。いっそ別の土俵でやろうと、美大に進学したんです。
― それで美大に?
岩佐さん :別の土俵でという意味では、美大のほか体育大も浮かんだんですけどね、体育一本というのも自分にはちょっと向いてないなと思いまして。子どもの頃からアートが好きだったこともあり、美大にしたんです。専攻はインテリアデザインでした。今はそういうジャンルのディレクションも少なくないので、はからずも役に立ってますけどね。
― 人生万事塞翁が馬、でしょうか。
岩佐さん :いやいや、ずっとコンプレックスだったんですよ。大学は幸いにして最高に面白かったけれど、学業はやっぱりダメでした。そもそも、美大ですから経営のイロハを教えてくれるわけじゃないし、「慶応だったらなぁ」なんて、何度思ったかわかりません。
― その、十代からの一連のご経験が、「自分に負荷をかけることが大事」という、人生哲学を形成するうえの教訓になっている。
岩佐さん :さすがにね、自分に厳しくないとダメだと学んだんですよ。なめたらすぐに落ちるって。
― 25年ですからベテラン経営者と言っていいと思いますが、人生においては、高校生のときの挫折が大きかったんですね。
岩佐さん :僕の場合、すべてのピークが中学生ですから!
― だとしたら、ある意味早熟です(笑)。
岩佐さん :あはは。学生時代にデザインの会社を起こすのですが、それだって大成する力はなさそうだと、編集者のほうが向いていると、業界の先輩から言われてしまったくらいで、高校以降も、挫折は大小ありますよ。まぁ、「あのときあぁしてたら」と言ってもしかたがないことは明らかですし、振り返るより前を見ることに集中していますね。
― それは実際になさってきたことから伝わります。守らず攻めるというか、前を向いてらっしゃる。
岩佐さん :いつでも、やりたいことがありますしね。前を、新しいところを見ています。やはり人間は、考えてこそだと思うのです。中でも新しいことを考えるのは非常に大事ですよね。正しいかどうかはあとにならないとわからない場合もあるけれど、世の中の新しい仕組みをデザインすること、「social line design」と僕らは呼んでいるのですが、それ自体が大事なんだというのが僕の意見です。
― なるほど。岩佐さんはこれまで、ご自身のお仕事を通して、日本人に新しい価値を提案をされていらした。地方への移住も、そのひとつですよね。
岩佐さん :そうですね。僕はいわば、ライフスタイルの提案をしてきたわけですが、その中で常に、豊かさについての問いかけを込めてきたつもりです。僕らのように地方に移ると、生活の豊かさは格段に上がりますよね。住環境しかり、食しかり。そんな優位性がわかっていても踏み切れない人の最大の理由は、収入面であろうかと思います。でもそれは、額面に載らない価値をどうとるかではないでしょうか。少なくとも僕は、常に移ろう自然の景色をリアルタイムで目にすることができる環境を、プライスレスだと思っています。紅葉は少しずつ山から下りてきて、新緑は反対に上ってゆく。自然の織りなすドラマが日常の中にあること。旬の短い山菜を追いかけて山に入り、昨日と今日とで異なる雪の感触を踏みしめて知る。これらは圧倒的に代え難い豊かさなんですよ。ただの情緒ではありません。だってそういう生命力にあふれた環境で育まれる感性によって、クリエイティブな仕事ができるのです。
― とても、説得力があります。
岩佐さん :モノを増やし、消費を増やし続ける豊かさの時代を経て、社会構造も環境も変化した今、日本人がこれからの豊かさを手にするためには、考えなくてはならない。知恵を使わなければならない。それは引き続き、僕のテーマでもあります。
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