今月の「生きるヒント」

シリーズ 人生のチャレンジ 移住を選んだ人たち 第16回《前編》クリエイティブディレクター・雑誌編集長 岩佐十良さん

挫折も苦難も糧にして、前に、前に。雪国から、プライスレスな豊かさを発信

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プロフィール
いわさ・とおる/東京都出身。武蔵野美術大学在学中にグラフィックデザインの会社を設立するも、早々に編集者に転向。じゃらん(リクルートホールディングス)や東京ウォーカー(角川マガジンズ)など人気雑誌の特集記事制作を任されるように。2000年に自社で「自遊人」を創刊して人気雑誌に育て、業界を驚かせる。その後食品販売事業を立ち上げ、2004年に会社の一部機能を新潟県南魚沼に移転、同時に米づくりに着手する。2006年には全面移転を果たし、以降現在までに農業生産法人自遊人ファームのほか、温泉旅館「里山十帖」も経営。食にまつわる地域の商品開発を手がけるなど、クリエイティブディレクターとしても活躍している。 自遊人公式サイト
岩佐十良さんのじぶん年表

目的は米づくり。住まいも会社も魚沼へ

― 2006年に、お住まいも会社も、現在の新潟県南魚沼市に移していますね。東京で生まれ育った岩佐さんが、積雪3メートルの雪国に。どんな覚悟で決断されたのでしょう。

岩佐さん :よく聞かれるのですが、実は自分では、覚悟や決意などというほどのこともなく、都心から郊外に引っ越すのと変わらないノリでしたね。IT化によって仕事上のバリアが解消されてゆくのは目に見えていましたし、物理的にも、ここから一番近い新幹線の駅の越後湯沢までは、東京から1時間15分ほどで着いてしまう距離。その越後湯沢から車で20分くらいの場所ですから、そんなに勇気は要らないですよ。

― なるほど…。社員の皆さんも同じ受け止め方でしたか?

岩佐さん :人によって、ですかね。それまでも軽井沢にサテライトオフィスを置くなど、試験走行的な動きはしていましたが、「南魚沼に移って米づくりをする」というのは、やはり突飛に感じられたかもしれません。移住組、残留組、半々くらいでしたね。一部機能の移転を経て全面移転していますし、東京に残りたい社員は、そうしていいと言いました。

2010年の田植え。耕作放棄地を田んぼとして復活させた。

― 目的は、会社をあげての米づくり。

岩佐さん :第一の目的としてはそうです。僕らは、雑誌「自遊人」での特集を通して素晴らしくおいしい米と出会ったのをきっかけに、当時としては珍しい、米の通販を手がけていました。次第に、日本の食文化の基本である米のことを、もっと知らなくてはと考えるようになっていったんです。取材はたくさんしましたし、知識としてはそこそこ語れるくらいありましたよ。だけど、やってみないとわからないことって、必ずありますよね。いくら取材を重ねても、本当に自分のこととして捉えるには足りないんです。そこに暮らして、自分たちの手でやるのとではわかることの種類が違う。

― はい、それはよく理解できます。

岩佐さん :その、「暮らしてわかる」ことは、自分にとっても社員にとっても、必ずメリットになる確信がありました。だから、編集者として、食品のディレクターとして、将来的に得こそあれ損はないぞと、皆に言いましたね。当初は2~3年のつもりでした。人生のある時間をそうやって過ごすことは、個人としてもとても有意義だと思いました。

再移転のつもりが、17年ローンで温泉旅館を経営することに

内外の名作家具が馴染む、「里山十帖」の宿泊者専用ラウンジ。

― 期間限定で考えていらしたんですね。社員の方にとっては、地方への転勤みたいな感じ。

岩佐さん :はい。結果10年以上いることになるわけですが、あの頃も今も、僕らのスタンスは変わりません。まず、骨を埋めるつもりはないですね。最初から、ダメなら戻ればいいと思っていましたし、いつまでいるかを決めたこともありません。現に、2012年頃には再移転を検討していました。

― 再移転を?そうだったんですか。今度はどちらに?

岩佐さん :首都圏に戻ろうと。ただし都心ではなく郊外です。東京の青梅とか、神奈川県の相模湖のあたりとか、いくつか候補がありました。デイユースのリゾートをやりたくて、青写真を描いていました。そんなときに、ここで温泉旅館をやらないかというお話をいただいて。

― 現在の「 里山十帖 」ですね。

岩佐さん :そうです。地元の方が僕らのような移住者に声を掛けてくれるのは、とてもありがたいことなんです。だってヘタな人間に任せると怖いじゃないですか。地元の意向と商売とに乖離があると大変です。悪い人の集まるところになるとか、温泉旅館の価格破壊をするとか、ラブホテルにするとか、リスクはいろいろ考えられますから、慎重になりますよね。ましてやここは地域の結束が固い地域です。10年いて、少しは信頼してくれているのかなと嬉しかった。実際にいい物件でしたし、気持ちが大きく動きましたね。

― 確かに、素晴らしい建物ですものね。ただ、ずいぶんお金をかけて、手を入れられたのではないかと…。首都圏で新たにつくることを思えば費用的に軽くなったかもしれないですけれど、「里山十帖」はラグジュアリーな施設です。相当思い切られたような…。

岩佐さん :そうそう、17年ローンなんですよ!会社としてあとがないタイミングだったので、怖いものなしの「思い切り」だったわけ。

原発事故後、生きるか死ぬかの苦境に立たされた

― あとがない?

岩佐さん :まさに。震災後、会社は窮地でした。原発事故の影響で、食にこだわる方々に支持されていた通販「オーガニック・エクスプレス」の売り上げが激減。本当にひどい状態で、抜け出そうと、もがいてももがいても、先が見えてこなかったんです。八方ふさがりで、生きるか死ぬかの、死ぬほうに近いところにいました。社員には言わないようにはしていましたけれど、売れていない状況は誰もが知るところでしたし、2011年から2012年は、社内が常にピリピリした空気でしたね。

― それは大変でしたね…。会社としては、まさに想定外のことが起きたわけですものね。もともとこだわりの強い層がお客さんだったことが裏目に出た形で…。

岩佐さん :うちは早い段階で、かつ、知る限りどこよりも厳しい基準で、すべての商品の放射性物質の検査を行いました。一般には白とされている1ベクレル未満の微量でも、検出されればすべて取り扱いを中止しました。「そこまでやるか」というくらいです。それでも、新潟県に商品を置いているだけでダメだとおっしゃるお客様も少なくなかった。一方で、お客様の安心のために基準を厳しくするほど、情報公開を徹底するほど、生産者さんにとって僕らは、風評被害に加担した当事者のようになってしまう。それまで築き上げてきた信頼関係が崩れることも、本当につらかった。おまけに主力商品の米などは、文字通り青田買いしていて、返品もできない。売るあてもない大量の在庫は先の分まで抱えているし、途中、物流拠点をやむなく兵庫県に移したことによる費用が追い打ちをかけ、支払いだけが膨らんでゆきました。

― そんな緊迫した中で、温泉旅館の経営を決断されたとは。岩佐さんはもともと性格的に大胆なのでしょうか。あるいは、楽観的というか…。

こだわりの野菜ジュースは「オーガニック・エクスプレス」の人気商品。

岩佐さん :いえいえ、逆ですよ。ストレス耐性は人並み以下だし、誰に聞いても細かくて神経質だと言いますよ。ノミの心臓と言ってもいい(笑)。ただ、当時はもう、にっちもさっちもいかず落ちまくっていた分、前述したように怖いものなしだった。もともと、石橋を5回は叩くけど、渡ると決めたらあとには引かず、なんとしても渡り切るタイプ。あとは、いわゆる火事場の馬鹿力ですよ。生き残るための本能とでもいうのでしょうか。持てる能力を最大限発揮できたのかもしれません。

― 窮地にありながら、守りに入るのではなくて挑戦したのですものね。結果、始めた「里山十帖」は、ずいぶんな高稼働率だとお聞きしました。

岩佐さん :お陰さまで。旅館として初めてのグッドデザイン賞BEST100にも選ばれて、弾みがつきました。我慢のときが続いた食品の通販も、徐々に回復しました。


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