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2008年6月号 新シリーズ幸せに満ちた生活提案最終回 移りゆく時代と変わりゆく「幸福観」精神科医香山リカさん

「幸福」に対する考え方や感じ方は、時代によって移ろいゆくものです。バブル時代、その後の長い不景気の時代、そして現在──。人々の「幸福観」はこれまでどう変化してきて、今後どう変わっていくのでしょうか。「幸せに満ちた生活の提案」最終回は、精神科医の香山リカさんにお話をうかがいました。精神科医、大学教授、文筆家、テレビ番組のコメンテーターとして幅広く活躍し、世相をつぶさに観察してきた香山さんが考える「幸福な生き方」とは?

「等身大の自分」として生きることの難しさ

精神医学では、「幸福」や「不幸」についてどのように捉えていますか?

 「幸福」に関する精神医学的な定義はとくにないと思います。医学全般で言えば、病気のない状態が健康であり、おそらくそれが幸福であるということですよね。その場合の病気というのは、一般に、問診や検査などで客観的に疾患と認定しうるものであり、治療の対象となるもののことです。

 精神医学でも事情は同じですが、精神医学の場合は患者さん本人の主観という要素も考慮されます。客観的に見て健康であっても、本人が苦痛を感じていたらそれは健康ではないということになります。精神医学では、客観と主観のバランスが非常に難しいんです。

 もっとも、どんな病気に罹っていても、それを受け入れて幸福に生きている人たちはたくさんいますよね。だから、医学や病気と幸福との関係を一概にどうこう言うことはできないと思います。

 

『〈じぶん〉を愛するということ』(講談社現代新書)という著書の中で、等身大の自己イメージを形成することが大切であるとお書きになっています。「等身大の自分」として生きられれば、幸福に暮らすことができると思われますか?

 マズローという心理学者が唱えた「欲求段階説」という有名な学説があります。社会が発展するにしたがって人間の欲求も変化していくという説ですが、それによると、人間の欲求の最終段階は「自己実現」なんです。つまり、自分らしさの達成ですね。その学説が正しいかどうかはさておき、自分らしく生きたいという欲求は確かに多くの人たちの中にあるし、自己実現こそが幸福への道であるという考え方も根強いですよね。

 しかし、「自己」とか「自分らしさ」の捉え方は、時代や文化と密接に関係しているものです。現代のように情報が氾濫している時代には、いろいろな情報を見て、ほかの人と自分を比較しながら、「このあたりが自分なんじゃないか」みたいに考えるのが普通ですよね。「自分だけをひたすら見つめて、真の自分らしさを手に入れる」といったことは、なかなかできません。

 膨大な情報を参照してある種のモデルとして設定した「自己」が等身大の自己であるはずはない。しかし、私たちは情報とまったく無縁で生活することもできない。そう考えると、現代社会において「等身大の自分」として生きるということは、とても難しいのだと思います。本当に等身大で生きられれば幸福なのかもしれないけれど、それを目指すのは、あまり現実的ではないのかもしれませんね。

「幸福」に繋がる新しい価値はあるか?

精神科医となられて20年ほどの間に、数多くの患者さんや学生に接してこられたと思います。この20年間で、幸福や不幸に関する人々の考え方に変化はありましたか?

 全体として、「物質的な豊かさよりも精神的な豊かさを大切にする」という方向に変わってきているようには思います。でも、決して直線的に変化しているわけではなくて、揺れ動きながら徐々に変わってきているという感じですね。

 幸福のイメージって、やはり時代の雰囲気に大きく左右されると思うんです。バブルの頃は多くの人が楽観的な夢を抱いて生きていましたが、その後大きな事件や災害が起きて、家族や健康こそが一番大切という風潮が生まれましたよね。しかし、2000年代になるとITブームがやって来て、今度はIT企業の社長などの新しい富裕層が幸福のイメージを振りまくようになった。でも、それもすぐに下火になりました。

 結局、「幸福観」は時代状況と密接に関連したもので、一種のムードなのだと思います。だから、どこに辿り着くということもなく、これからも変化し続けていくのではないでしょうか。

大きな流れから見て、日本は幸福な方向に向かっていると思われますか?

 実際に幸福に生きているかどうかは人それぞれだと思いますが、「幸福である」という感覚自体は全般に薄まっているように感じます。今の日本はおそらく、幸福に繋がるような新しい価値を見つけられていないのだと思います。

 高度成長からバブルの時代まで、日本は経済大国への道をまっすぐに歩んできたわけですよね。しかし、バブル崩壊以降、経済的には伸び悩み、少子高齢化で人口は減少に向かっています。これまでの「世界有数の経済大国」という座は、急成長を続けている中国などの国に早晩明け渡さなければならないかもしれない。

 そういう現状が誰の目にも明らかになってきた時、日本国内は思いのほか大きく動揺したように思います。そこで新しい価値を模索する方向に舵を切ればよかったのですが、実際に価値転換はうまくいきませんでした。これまで経済大国であったことの自負心に寄りかかり、成長幻想を捨てきれなかった。まだまだ勝てるんじゃないか、まだまだ成長できるんじゃないかと多くの人が考えてしまった。

 たとえ経済的には縮小傾向でも、心の成熟や落ち着いた幸福感のようなものを大切にしよう──そんな価値観の方にシフトすることができていれば、現状を不幸と感じる人は、もっと少なかったのかもしれません。

新しい価値ということについて、具体的に考えたことはありますか?

 例えば、引きこもりとかオタク、あるいはニートと呼ばれるような若者たちがいますね。彼らの多くは趣味の世界、自分の世界に生きることを喜びと感じているわけですが、そこにはある種の安定感があると思うんです。好きなことをやって、好きに生きているがゆえに自足している。

 もちろん、彼らも社会がどういうものかは知っているし、そこからのプレッシャーも感じています。また、一般世間に対するルサンチマンのようなものを抱いている人も少なからずいます。しかし、少なくとも彼らは、過当競争の中で身をすり減らすといった現象からは無縁に生きていますよね。

 ああいった生き方をみんなが目指す必要はないと思いますが、彼らの生き方が、もっとお金を稼ぎたいとか、ゴージャスな生活がしたいという価値観に対するある種の批評になっているのは確かです。競争に勝ったり負けたりすることに人生を賭けるのではなく、競争から半ば降りてしまう。そういう生き方は、これからの選択肢としてあり得るのではないかと私は思っています。

誰もが当たり前に自分のままで生きられる社会

香山さんご自身の「幸福」に関する考え方や感じ方は、どのように変化してきましたか?

 自分自身について言うと、何も変わっていません。学生の頃からずっと同じ(笑)。私は、自分に対する要求水準が低くて、自己実現欲求ともほとんど無縁な人間なので、日々、普通に食べて、普通に寝られればいいみたいなところがあるんです。まあ、長所とはとても言い難い性質ですけどね(笑)。

 だから私は、ニートとか引きこもりの人たちがマスコミに取り上げられた時、「社会の中で自己実現を目指さない」という点で、それなりのシンパシーを感じたわけです。私の本来のマインドは、彼らにすごく近いと思いますよ。もちろん、加齢とともに変わってきたところもあります。長時間ゲームが続けられなくなった、とかね(笑)。

幸福とか不幸ということについて、あまり考え込まないということでしょうか?

 そうかもしれませんね。これは明らかな欠点だと思うのですが、私って、遠い未来のことが想像できないんです(笑)。だから、不安になる要素を抱え込まずに済んでいるんだと思います。

 もちろん、昔の友達に会ってその人がすごく成長していたり、結婚して子供をつくったりしているのを見ると、「この人が発展してきた間、私はずっと同じような人生を歩んできたんだなあ」と考えて、劣等感を感じることはあります。でも、私はその友達のような生き方ができなかったわけですから、まあいいやと(笑)。

 子供の頃に「目標を立てて生活しなさい」とよく言われたんですが、私はそれがまったくできなかったんです。夏休みの目標なんか立てても、絶対実現しない。だからある時期に、「私には無理」と思ってしまったんですね。

 こういう人ばかりだったら、社会は確実に衰退すると思います(笑)。それに、私みたいな性格の人は、世の中の動きにそのまま流されてしまうという危険性もあると思う。だから、こういう生き方がいいとは全然思わないし、人に勧めようとも思いません。でも、私はどうしたってこういう生き方しかできない。もう、あきらめながら受け入れているという感じですね(笑)。

香山リカ(かやま・りか)


精神科医/立教大学現代心理学部映像身体学科教授。1960年北海道札幌市生まれ。東京医科大学卒。学生時代より雑誌などへの寄稿を始め、その後も臨床経験を生かして、様々なメディアで社会批評、文化批評、書評などを執筆する。テレビ番組のコメンテーターとしても活躍。『精神科医ですがわりと人間が苦手です』(大和書房)、『なぜ日本人は劣化したのか』(講談社現代新書)、『「悩み」の正体』(岩波新書)、『〈私〉の愛国心』(ちくま新書)ほか、著書多数。