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今月の「生きるヒント」
その人の価値観をはかるモノサシにされることも多い“お金”。人生に、深くかかわりがある割に、真正面から語られることが少ないのも“お金”です。
誰かのお金観の背景にある経験やエピソードは、いつか自分のそれと重なるかもしれないし、現在の向き合い方を考え直すきっかけになるかもしれません。専門家による経済の話でなく、人それぞれの、お金にまつわるストーリーをお届けします。
第
5
回
夫婦二人三脚で、お金に飲み込まれない豊かさに挑戦夫婦二人三脚で、
お金に飲み込まれない
豊かさに挑戦
渡邉 格さん
わたなべ・いたる
タルマーリー オーナーシェフ
1971年東京都生まれ。25歳で千葉大学園芸学部に入学、卒論のテーマは「有機農業と地域通貨」。地に足が着ききらない時代を経て、結婚を機に31歳でパン職人を志す。独立以降、製法や理念が徐々に注目され、全国にファンを有するパン屋さんとなる。千葉、岡山、鳥取と移り住み、現在の鳥取県智頭町の店舗はカフェを併設し、クラフトビールも醸造。「利益を出さない」「つくるほどに地域や環境が良くなる」事業を目指す。
妻で女将の麻里子さんと小学生の長女長男と4人暮らし。趣味はDIY。2013年に上梓した著書『田舎のパン屋が見つけた「腐る」経済』(講談社)は韓国でもベストセラーに。
お下がりのパンツを履きながら、「金持ち」と信じて育った
哲学的な意味では若い時分から、“資本主義社会におけるお金”をよく考えていました。お金を稼ぐために自分の時間を売ることは最小限にしたい。どうしたら飲み込まれず自分たちの信じる生き方ができるか、結婚後は実践のしかたを妻と繰り返し話し、2013年に出版した『田舎のパン屋が見つけた「腐る」経済』(講談社)にまとめました。いまにして思えば、父親の影響が大きいです。子どものころから、合理主義はいけないと言い聞かされて、わからないながらも、なにかを感じ取って育ったんでしょうね。
お金はいつも持ってなかったし、それで困ったこともありませんでした。洗面所のシンクで体を洗うような生活を送っていたときも、辛いとは思わなかった。実家が、たぶん貧乏だったんです。たぶん、と言ったのは、僕はそのことにずっと気づかなかったからです。「うちはすっごい金持ちだから」という父の怪しい言葉を信じきっていて、だから当然、コンプレックスもありませんでした。でも、小学生のころは父のお下がりのパンツを履いてました。下着のパンツ。サイズも合わないし、くたびれてヨレヨレだし、上にズボンを履くのでずり落ちるのは防げましたけど、半ズボンのときはそのパンツが必ずはみ出てました。小学4年生のとき、当時はまだ男子も女子も同じ教室で着替えてまして、クラスの女子に「それシミーズ(現在は一般にスリップと呼ばれる女性用の下着)じゃない!」と指差された事件もありました。そっちは姉のお下がりで、女の子しか着ない肌着だと僕は知らなかったんです。
実家では、着るもの同様食卓も質素で、ごはんと焼き魚、ごはんとおひたし、のような、おかず一品の夕食が当たり前でした。それしか知らないから苦にもなりません。一方、おかず三品のお育ちの妻は、結婚後も三品を食卓に上げてくれました。僕にはそれが身体に重かったのか、結婚当初はむしろ体調が悪くなり、妻に驚かれるやら怒られるやら。変なことでケンカになってましたね。
お金の使い方は、妻から学んだ
父は政治学の学者です。46歳でやっと大学に教員として迎えられた人。ずっと研究者になりたくて、そこにある本を読めるからと大学で警備員をしていましたが、警備システムの高度化に伴いクビになり、塾の講師をしながら僕らを育ててくれました。すごい努力家です。ところが同時に無計画を絵に描いたような人でもありまして、バブル時代の勢いで分不相応なマンションを買っちゃったり。……あとでまんまと人手に渡りました。お金の使い方を知らないのでしょうね。いやぁ、すごい受け継いでます。
そうです。僕も典型的な、お金の使い方を知らない人間でした。またパンツの話で恐縮ですけど、アメ横に売ってる、10枚1,000円のパンツのペラペラな履き心地を気に入ってました。それがいまはオーガニックコットンの高品質パンツです。いいものには理由があり、その逆もしかりだと、正しいお金の使い方として妻が教えてくれたんです。僕たち夫婦はもともとぜんぜん違うのに、僕はお金の使い方を知らないから、妻は極端なほどに無駄遣いを嫌うから、結果両方ともお金を使わないの。奇跡の合致だと思います(笑)。
「あなたにはなんの期待もしてない」の言葉に奮起
妻は本当に堅実で、結婚前からしっかりとした人生設計を持っていました。彼女とは、新卒で就職して、じきに嫌になって辞めた農産物流通会社で出会ったのですが、そんな女性がなんで僕のような男と結婚したのかと思いますよね?僕はといえば、とかく中途半端でなににもなりきれず、しかも31歳で結婚するときの全財産は5,000円でしたから。妻に言わせると、彼女は自分が働いて生活してゆく自信があったそうなんです。さすが、高校まで一番しかとったことのないという筋金入りの優等生。ところがですね、彼女に「あなたにはなんの期待もしてないから。ゆっくりしてれば」と言われたのがかつてなく悔しくて、その日のうちにハローワークに飛び込みました。胸にあったパン職人への道を進むべく働き口を探し、猛勉強の修行時代に突入です。
そうそう、夫婦ふたりともお金を使わないと言いましたね。パン屋で修行中の僕の月給は15万円くらいでした。7歳下の妻はそれより少し多いくらい。それでも渡邉家は、年間100万円貯められたんです。おかげで2008年には千葉で「タルマーリー」を開業できました。材料、製法、売り方、どれも妥協できないふたりなので、起業後急に稼ぎが増えたわけじゃないですよ。「利益を出さない経営」を掲げるタルマーリーとはいえ、本が売れて知られるようになるまではそれ以前の問題というか、長く大変でした。それでもお金を優先させたことがないのは、ずっと変わりません。
お金は使い合ってこそ
現在タルマーリーでは、クラフトビールの醸造もしています。パンで培った発酵技術を活かせるというのは半ば結果論で、「ビールが大好き」が出発点です。同じくビール好きの妻は、僕が「ビール工場をつくる」と言い出したとき、「絶対ありえない。私は出て行く」と大反対。それから数年、いろんな縁が味方してくれて実現し、いまは妻も喜んでいます。直感だけで前のめりに動く僕は、妻がいなかったらどの道事業なんて無理でした。適宜手綱を締めてくれる、しっかり者の彼女と結婚できて良かった。
タルマーリーは社会実験の場。僕らがパンやビールをつくるほど地域や環境が良くなることを、この里山の有機的なつながりの中で、実践、実証したいんです。修行時代に働いたパン屋では、毎日決まった時間に冷凍生地を焼く仕事の繰り返しでした。父の嫌った“合理的”なやり方です。全体を見る東洋的な世界観に対して、一部を抽出する西洋的なやり方ともいえます。楽だけどつまらなかった。長く広い視点では効率が良いのかも疑問でした。自らのパンづくりを通して天然菌とつき合うようになり、自分の世界が自然界とつながり出すと、仕事は劇的に、深く、面白くなりました。そして、自我が邪魔なものになりました。
店で後進を育てる立場になると、知識や技術のみを欲する人は、最初は効率良く覚えても、無欲な知的好奇心で走りきる人に追い越されてゆくのが見えてきます。自我よりも利他の心を持つ人のほうが、周囲を働きやすくさせることで自分の働く環境も向上させ、より能力を伸ばせるのかなとも思います。お金だって、囲い込まず良い方向に使い合えば、みんなを豊かにする機能を発揮するはず。だから子どもには、「ただ貯めるんじゃなく、分配するんだ。使い合うんだぞ」って言い聞かせています。「父ちゃん、また言ってる」って反応ですけどね(笑)。
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- Q1.
- お金のことには詳しいほうだ。
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- Q2.
- 「趣味は貯金」に共感する。
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- Q3.
- 「趣味は投資」に共感する。
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- Q4.
- 先のことはわからないからこそ「使う」。
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- Q5.
- どんぶり勘定の人よりお金に細かい人のほうが信用できる。
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- Q6.
- 100万円と10億円、もらえるなら10億円。
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- Q7.
- お金の稼ぎ方と使い方、こだわるなら稼ぎ方。
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- Q8.
- 「金は天下の回りもの」に賛同する。
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- Q9.
- アリとキリギリスならアリタイプ。
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- Q10.
- お金にまつわる経験から得た教訓や信条をお聞かせください。
このQ&Aの6番目は迷いますね。100万円を選ぶとウソっぽい感じがして10億円にしたけど、10億円なんて怖いですよね。なにかついてきそう(笑)。
お金は世の中を最も良くもするし、最も悪くもすると思います。僕は、お金を稼ぐのではなく、お金というものを通して信用を売ると肝に命じてやってきました。(「売り手よし、買い手よし、世間よし」の三方よしを是とした)近江商人のように商売したい。ひいては夢を売れたらいいなぁ。商品の背景に人間像とか夢を。意味ある事業であり続けたいし、それを生活に根ざしたところでやってゆきたいです。
編集後記
お金がなくても困らなかったという渡邉さん。それはいいとして、若き日は、「欲しいものがあれば親にたかる、なにごともものになる前に飽きて投げ出す、世間にいうダメ人間」でもあったそうです。器用がゆえに大概のことはすぐにできてしまう渡邉さんの気持ちを変えたのは、「努力する人が成すことのすごさ」だったといいます。小手先の自分は、いつしか追い越され、惨めだったと。以来努力を惜しまずやってこられた方だから、理想を語る言葉もふわふわしていません。苦労もされたそう。長く暗いトンネルを抜ける努力を支えたのは、妻の麻里子さんの努力でした。
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