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- ひろせ・きよはる/兵庫県出身。高校を卒業して間もなく、せまい地域での母親とのふたり暮らしから自由になりたくて家出。バイトをしながら友だちの家を転々とする。鳥山明に憧れ、地域新聞向けの四コマ漫画を描いていたことも。21歳のときに仲間とバイクで旅した北海道で、出会った自然や人に感動し、長く旅するように。旅人卒業後は好きな「絵」の仕事に携わるべく、パソコンを購入。インターネットの世界に可能性を見いだし、また、その頃ハマったクラブカルチャーに刺激を受け、グラフィックデザインや映像を学び習得する。後にウェブ制作会社「キネトスコープ」設立。その10年後、徳島県神山町にサテライトオフィスを置いて家族と移住。地域おこしに関わりながら、ヒマがなくてもバスフィッシングにいそしむ。キネトスコープ公式サイト
― だまされた!?
廣瀬さん:今ではサテライトオフィスのメッカのように言われ、Iターンも多い神山町ですが、僕が話を聞き始めた2012年の春には、まだそこまでではなくて、町としても、なんとかいい人に来てもらおうと探していたらしいんです。その“いい人”の条件というのが、「仕事を持って移って来ることのできる家族持ち」。町の小学校の存続もかかっていて…。僕はIT系の会社をやっていて、4人家族。…要は目をつけられた(笑)。
― 「白羽の矢を立てられた」というのが、適切な表現かと(笑)。
廣瀬さん:確かに光栄なんですよ。だけど、会社のサテライトオフィスをつくるつもりが、いつの間にか移住もセットになってたんです(笑)。ここが村だった時代の村長さんが住んでいたという素晴らしい物件を紹介されて、「母屋を自宅に、隣のはなれをオフィスに」と、トントン拍子で。あはは。
― 町としてはなんとしても、廣瀬さんをつかまえたかったんですね!
廣瀬さん:ありがたいことですよね。子育てをする上では、僕も妻も、近い将来大阪市内を離れて田舎に住みたいという思いは持っていました。神山の環境はイメージに合っていたし、この町が新しくなってゆくところに立ち会えたのも、結果的には幸運でした。
― 大阪市からここだと、環境は激変しましたね。
廣瀬さん:変わりましたねぇ。離れてつくづく思うのは、都会というのは、お金は確かに手に入れやすいけれど、お金がないと水も飲めないようなところ。少なくとも、生んだり育てたりするには向いてないですよね。東京の山手線2本分の乗客数が、神山町の全人口と同じという人の多さ。ときどき出張で行きますが、今は3泊もすればヘロヘロになってしまいます。
― はい。東京から地方に移住した人も、よくそうおっしゃいます…。
廣瀬さん:でも、ここがむずかしいところで、僕たちからすると、田舎の自然や手仕事の価値は、なににも増して素晴らしいものでも、田舎の人には割に当たり前で。都会的なピカピカしたもののほうへの憧れが根強いんですよね。豊かさに対するギャップと言うのでしょうか。
― 廣瀬さんとしては、そこに問題意識を持ちますか。
廣瀬さん:考えはしますね。ずっと無知だったなぁと思うのですが、こっちにくるまで日本の山の現状にも、水が山によって育まれることにも、関心を持ったことがなかった。こっちに来て、「さすが、山の緑はきれいだな~、自然っていいな~」なんて能天気に言ってたら、ほとんどが人工林で、荒廃しているというじゃないですか。知るほどに危機感が膨らんできて…。だけど地元の人に言っても、身近すぎるのと、今さらな感じなんでしょうね、同じテンションで共有することはむずかしかった。
― 確かに、主に、安価な外材に押されて国産材が使われなくなったことを原因として、山が利用されなくなって久しいですもんね。子孫のために先人が植えてくれた杉や檜の山も、必要な手入れをするにはお金がかかるし、手入れしたって経済的に元はとれないし、悲しいかな今ややっかいものですらあります。そうした山と隣り合わせで生きてきた人にとっては、「山は大事。自然は素晴らしい。これが豊かさだ!」などと突然言われても…なのかもしれません。
廣瀬さん:まさにそうなんです。だけど僕からすると、チビたちが大人になったとき、どんな仕事に就いて、どんな暮らしをして…などという以前に、もしも水に困るような世の中になっていたら、それこそ豊かさを語るどころじゃありません。山が健全でないなら、今は水資源に恵まれている神山だって、30年後にはどうなるか。危機感に賛同する人は多くても、アクションを起こそうという人はいないし、これは自分でやるしかないと思いました。
― それが、「神山しずくプロジェクト」になっていったのですね。
廣瀬さん:はい。日本中の山が荒れていることを思うと、焼け石に水かもしれません。プロジェクト名の「しずく」は、「最初の一滴」という意味。それでもやれることをしようと思いました。本業でずっとやってきた、“伝える”ことを、好きなものづくりを通してやってみようと。
― 始められて、いかがでしょうか。
廣瀬さん:なにも知らないところからのスタートだったので、最初は大変でした。それでも少しずつ形になってきています。杉の間伐材でつくる、高品質の器の開発に成功しました。杉はプロダクトとしての加工がむずかしい材料。地元徳島の素晴らしい木工職人さんがいてくれたおかげです。この器を通して、山に思いを寄せてくれる人を増やしたいんです。共感して、贈物に使ってくれたり、海外の方がお土産にしてくれたりと、手応えはあり、周囲の見る目も変わってきました。ここで成功例をつくって、同じような取り組みがいろんな地域で進めば一番うれしいです。
― 素晴らしいです。でも、大阪を本拠地としてウェブ制作を手がけるキネトスコープの社長業と、しずくプロジェクト、ほかにも地域のNPOの理事などを勤められていますよね。とっても忙しいですね。
廣瀬さん:これがめちゃくちゃ忙しいんですね(笑)。でもね、仕事を全力でしてカッコいいという時代は、自分の中では終わったんです。優先順位は、掛け値なしでやりたいことが先です。本気でやりたくてやったことが、いつか仕事につながる経験はこれまでもしてきていますしね。気づけばずっと、ウェブ制作を通して他人様のことを一生懸命考えてきたのに、自分自身のライフワークをきちんとデザインできてなかった。今力を注ぐべきはそこなんです。
― 理想として描いている姿はありますか。
廣瀬さん:田舎の人の、なんでも自らの手でつくってしまうマルチスキルを本当に尊敬しています。僕も器用なほうですが、そんなレベルじゃない。同じことをしても追いつけないけれど、“新しい百姓”のスタイルをつくってみたいですね。ITをからめて。
― いいですね、“新しい百姓”。飽きっぽいともおっしゃっていましたけど、舞台は神山に定めているのでしょうか。
廣瀬さん:そこはニュートラルなスタンスですね。よく「骨を埋めるか」を問われるのですが、僕は最初からそうゆう生き方をしてきてないし、そこに価値も求めていません。僕らのようによそからやって来た者が、本当に地元にとけ込むには時間がかかります。地元の人たちを戸惑わせないよう、今なにをしていて、これからなにをしようとしている人間なのかを丁寧に説明したり、地域での役回りをこなすなど、努力することも必要。「ちょっと場所を借りて住んでるだけ」とは思っていません。だからといって、藩の時代の脱藩じゃないんだから、自分の拠点は、誰だってもっと自由に選んでいいのではないですかね。
― 脱藩!…なるほど(笑)。そんな廣瀬さんの、目標や夢はどんなでしょう。
廣瀬さん:目標はしずくプロジェクトに込めた思いを広げてゆくこと。子どもたちに胸を張れる仕事にしたい。夢はですね、バスプロになることです。
― バスプロって、釣りのですか?
廣瀬さん: そうです。バスフィッシングの。好きでたまらないんです。
― 事務所の前に釣り道具がたくさんあったので、気になってはいたのですが、プロになりたいとまで思われていたとは…。
廣瀬さん:小さいボートも買ったんです。2個の魚群探知機をつけて、一応、ボートフィッシングの一通りを揃えました。近い将来、トーナメントに出たいんです。
― 本気ですね!お忙しいのにすごい。
廣瀬さん:どんなに忙しくても、その中でいかに可能にするかです。あきらめませんよ。実際、けっこう頻繁に行ってますしね。どうやったら、明日も釣りに行く時間を捻出できるか、常に考えてますから(笑)。
― ははは。廣瀬さんなら、いつかこれも仕事につなげてゆくのかもしれませんね。
廣瀬さん:神山でバスプロになって、3Dプリンターでつくったオリジナルルアーを販売したり、4K映像で番組をつくるの。すでに構想にありますよ。
― さすが!そしてやっぱりものづくり系なんですね。
廣瀬さん:はい。残る課題は僕の釣りの腕前だけです(笑)。
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