こくみん共済 coop の公式ホームページ組合員の皆さま全国の皆さまから届いたたすけあいエピソード

組合員のたすけあいエピソード 全国の皆さまから届いたたすけあいエピソードをご紹介いたします。 2018年2月に実施した組合員ありがとうキャンペーンでは、組合員の皆さまから「たすけあいにまつわる体験エピソード」を募集いたしました。お寄せいただいたエピソードは37,399件。ここでは心あたたまるたくさんのエピソードの中から、一部をご紹介させていただきます。

  • 地域の方々とのたすけあい
  • 育児・介護におけるたすけあい
  • 日常生活でのたすけあい
数年前、福岡がものすごい豪雨のときに、マンション住まいでしたが、駐車場まで浸かりそうになり、不安になって、立体側のほうへ車をまわそうとしていたら、思ったより雨の勢いがすごく、一時的に車が動かない状態になりました。 親も入院中でわたしと妹だけだったので、家族に携帯でやりとりしながらでしたが、パニックになり半泣き状態でいたところ、同じマンションの住人の方が、声をかけて下さり、わたしの車を運転し、安全そうな駐車地まで移動してくれたのです。普段面識もない方でしたが、手を差し伸べてくれたことが、すごく有難かったこと、今でも心に残っており、わたしも、誰かが困ったときに、自分にできることはないか?という思いをもち行動するようになりました。たすけあいの気持ちも皆が持つようになれば、もっともっとよりよい地域、社会になっていくのではと思います。
(福岡県/M.K. 様 43歳)
20才の頃、車で山道を走行中、夜の集中豪雨で視界がとても悪かったため、側溝に脱輪して動けなくなり途方に暮れていると、しばらくして1台の配送車が通りかかり、引き上げてたすけてくれました。そのときの感謝の気持ちは今でも忘れません。それから15年後の35才のときに、仕事で山道を走行していると、車が側溝に脱輪して動けなくなっていました。あのときを思い出し、たすけてあげました。恩返しができたようで、とても気分がいい1日でした。(山形県/S.K. 様 59歳)
以前、鬼怒川の大洪水の際、茨城に勤めていた為、被害のものすごさをまのあたりにしました。職場のみんなでお金を集め被害の大きかった方へカンパをしました。1人1人の力は小さいけれどみんなで合わせれば大きな力になると痛感した事を思い出します。いつまでもたすけあいの心を大切にしていきたいです。
(埼玉県/Y.K. 様 49歳)
私の住む集落は過疎化が進み、学校も数年前に閉校して子どもたちの姿を見るのは、盆、正月ぐらいになっています。年寄りばかりの限界集落ですが、朝5時すぎに集まり、モーニングコーヒーを飲みながら、会話がはずみます。いつも来ている人が来ていないと、心配して、電話をかけたり、訪問したり、安否確認の場にもなっています。農作業が大変なときはお互いたすけあったり、体調の悪い人が出ると、心配して何かとたすけあいます。人と人のつながりはとても大切ですね。
(香川県/K.T. 様 64歳)
近くの公園に毎日のようにシルバーカーを押して草とりをしている90才すぎの男の方がおります。近所では顔をみかけない方なので声をかけ、「いつもありがとうございます」とお礼を言ったところ、近くのアパートに一人で住んでいる方とわかりました。この年で、このくらいのボランティアしかないと笑っていました。何才になっても出来ること、ボランティアと生き生きとした表情にこれからの私の生き方を考えるチャンスになりました。
(山形県/M.K. 様 69歳)
阪神淡路大震災のとき、淡路島の祖母と連絡が取れず、心配していたところ、偶然テレビの中継で、ヘリから撮影した映像に祖母の家が写り、救急隊員に手招きしながら、祖母の家に近所の方が運び込まれる様子が写っていました。 周りの家はすべて壊れている中、祖母の家だけがしっかりと残っているのを見ました。 そして、東日本大震災。何ができるのかまったくわからない中、現地に入り、非力でも、一つ一つガレキを撤去させていただきました。それは、あの日にみた、祖母の姿があったからこそ。 本当に困ったときに手を差し伸べてくれる誰かの温かい手、それが「たすけあい」だと思っています。
(兵庫県/C.N. 様 46歳)
震災で、みなし仮設で再出発したとき、町からの支援が全くなかった。携帯1つの所持品から関西の友達が町内会で生活用品を集めてくれて、たくさん支援していただき人並みの生活ができるようになりました。必要なものから順番に次々と送られてくる支援物資にありがたさで涙が出ました。 1人の友達からの声がけで見知らぬ人達からの支援、これぞ、たすけあいの力と思いました。 私も何かあったときには震災のときの感謝を忘れずに、たすけあいの心を持っていたいです。
(宮城県/K.M. 様 55歳)
私が昼間働いていて子ども2人だけで留守番をさせていたときのこと、まさかの緊急地震速報のサイレンが鳴りひびきました。幼かった子ども達は、こわかっただろうし、心細かっただろうと思いますが、近所の方々が声をかけて、いっしょに広場で見守っていて下さいました。そのサイレンは誤報だったのですが、とてもたすかりました。近所の方々のおかげで安心できたことでしょう。感謝の気持ちでいっぱいです。私もたすけあいや声かけを大切にしたいです。(岐阜県/M.T. 様 43歳)
私の住んでいる地域は時々雪が積もる程度ですが、数年前1m近く積もったことがありました。そのときに、普段は挨拶程度しかしない疎遠気味のご近所さんが誰が言うでもなく家から出て来て、協力して雪かきが始まりました。スコップがない家も多く、色々な道具を貸し合いながら、自分の家の前が終わったら、隣の家を手伝うなど、普段の生活からは想像できない「たすけあい」の光景に心が温かくなりました。災害は決していいものではないけれど、このときばかりは大切なことを教えてくれる出来事となりました。(東京都/R.H. 様 35歳)
ご近所付き合いって大切なものです。そう最近感じます。 地域の公園や町内などの清掃活動で、今まで元気にご参加なされていた高齢の方。
いつしか、お見受けしなくなり…お向かいのお宅で、いつもきれいに道路を掃除していたのにお姿を見なくなり…荒れていく前の道路が切なく…落ち葉拾い、側溝の清掃、たったの1時間ほど。何事もない作業。しかし、「家の前が綺麗になりました。ありがとう」って嬉しい言葉!やれる人間がやる! たったそれだけのことで、笑顔が増えますよね。 (福岡県/A.Y. 様 46歳)
東日本大震災のとき、水が出ず何日も大変でした。同じく震災にあったのに井戸水だった方が自由に使って!と声をかけてくれました。子どもがまだ小さかった私はとてもたすかり、今でもその方と交流が続いてます!(福島県/Y.W. 様 39歳)
災害は起きてほしくありません。でも、どこかで大きな災害が起きたとき、災害を経験された方々は皆さんおっしゃってます。「あのときたくさんの方にたすけてもらった。今度は恩返しがしたい」と。災害を経験すると、人間はひとりでは生きていけないことに気づきます。私も阪神淡路大震災を経験し、人生観が変わりました。まだまだ、たすけあうことに消極的な現社会。もっとスッとたすけあえる社会になってほしいです。 (兵庫県/M.O. 様 52歳)
東日本大震災のとき、ライフラインが寸断され1週間水もガスも使えませんでした。そのとき、夫と協力して近くの小学校へ行き、外の水飲み場の水をいただくことができました。協力して水汲みをし、まだ寒さの厳しい毎日を工夫して過ごした1週間。そばに誰かが居てくれる心強さとともに、家族のありがたさを身にしみて感じた日々でした。アパート住まいで、それまでご近所の方と挨拶を交わす程度の関係でしたが、震災時は顔を合わせる度に「××スーパーに野菜が入り始めましたよ」とか「昨夜30分くらい水が出ましたよ」など、情報交換をしあいました。皮肉ですが震災を通じてご近所とのコミュニケーションが深まりました。また、水が使える近所の美容院の入り口に「お水が必要な方、差し上げます」という看板が出ていました。すごく温かい気持ちになりました。それ以降その美容院を使っています。いい町に住むことができました。(茨城県/M.O. 様 41歳)
今年の冬の福井県の記録的な豪雪が国道8号線に千数百台の車を3日間に渡り閉じ込めてしまいました。自衛隊などが除雪に注力する中で地域の食堂や住民が閉じ込められた車の運転手に食料や飲み物を提供して「皆でたすけあう」ことを実践していました。厳しい環境の中で沿線の地域の人々のたすけあう気持ちが日本人の心とほっこりとさせてくれました。 (神奈川県/K.M. 様 72歳)
※お寄せいただいた原文での掲載を基本としていますが、一部、漢字表記など、当会で修正させていただきました。
子どもが小さい頃、主人の母、実家の両親には、ずい分とお世話になりました。子どもの面倒から食事のおかずまで…ほんとありがたかったです。「できる人ができるときにできることをやればいいんだよ」そんな風に言われてたことを思い出します。孫が生まれた今、私は当時を思い返し、できることをやっています。(栃木県/M.H. 様 54歳)
もう40年程も昔。小4の息子が入院したとき、同級生のお母さんがお見舞いに来てくれ、「お疲れでしょう、どうぞ食べて下さい」と手渡された手作りのお弁当。何よりも嬉しく有難く、感謝の涙、また涙でご馳走になった。以来私は、自分と関わりを持つ方が、突然“非日常”になり大変な目に遭われたときには、先ず、「ごはんのおかず」を用意して駆けつける事にしている。お弁当の差し入れをして下さった彼女の優しさに対する大きな感謝の念を今も持ち続けながら、ご近所範囲の小さな、ささやかなたすけあいだが、体が動ける間は続けて行くと決めている。
(北海道/T.O. 様 80歳)
障がいのある娘と生きていると「○○で困ります」「××していましたよ」などと言われることがたくさんあります。本人は良かれと思ってしていたり迷惑とわからずやってしまったりすることがあるようです。親もいつもいつも、となりにいるわけではないのでそれだけ聞かされ、いつも「すみません」と頭を下げるしかない。障がいを理解しようと「たすけあい」をもっと障がい者とその家族にも言葉だけでなく、寄り添ってもらえたらと願っています。(長野県/N.C. 様 48歳)
うちには、5才と3才の男の子がいます。私が沢山の荷物を持っていると、「手つだってあげるね」と小さな体で荷物を持ってくれました。こんな小さな子でもたすけあう気持ちを持っているんだと我身を振り返るおもいです。まわりの大人が進んで優しい態度をみせていけば子どもに伝わりますね。
(長野県/A.S. 様 39歳)
妻の介護を始めて7年目、年々、病は進行し、要介護5レベルまで、来てしまいました。すでに言葉を失い、記憶も定かではなくなりましたが、何とか在宅介護で、がんばろうと日々奮闘しております。いわゆる老々介護ですので、たいへん厳しいですが、周囲の皆さまのたすけをかりながら、過ごしております。特に近所の方の声かけは、心がなごみます、ありがたいです。限界は近付いていると思ってますが、1日でも長く在宅介護をがんばります。(広島県/T.G. 様 73歳)
私は、直接震災、水害などを経験した事はありません。しかし、私の家族に脳性麻痺の姉がおり、産まれたときから姉は人のたすけなしでは、生きていけませんでした。食事、お風呂、歯みがき、トイレ、すべて家族で介護し、たすけあうというより、その行動が生活の一部でした。私はたすけあうというより、自然と人の役に立つ事をこれからもしていきたいです。たすけあう=優しさです、笑顔です。(兵庫県/W.M. 様 45歳)
私は、視覚障がい者の方の外出をお手伝いするガイドヘルパーというお仕事をさせていただいています。最近、歩道の点字ブロック、駅のホームドア、信号の音声ガイド、テレビの副音声、街で「何かお手伝いしましょうか?」のひとことを掛けてくれる人々。子どもはろう者です。テレビ映画の字幕、手話を習ってくれて、ひとことふたこと会話して、コミュニケーションをとれること。やさしい気持ちの方々にあうたび、私の心も、やさしくなります!!(東京都/M.S. 様 59歳)
昨年子どもが産まれ、育児・家事など生活の全てにおいて「たすけあい」が必要不可欠であると実感しました。これまでは、自分自身のことしか考えずに過ごしてきましたが、自分一人では絶対に生きていけないし、人と人がたすけあうことで初めて幸せな日々を送れるのだと感じました。当たり前のようで、なかなか意識できずにいる「たすけあい」の心をこれからも大切にしていきたいと思います。(京都府/S.K. 様 24歳)
子どもが小さかった頃、核家族ばかりの人達の集まりでした。マンションの中で、友人同志のコミュニティを作りました。お母さんが病気のときは、料理を届けたり、子どもをあずかり、バス停までの送迎等、自然に広がり家族ぐるみで、つき合いが始まり、20年たった今でも、つき合いは続いています。遠くの家族より近くの友人、たすけあって今があります。
(千葉県/T.M. 様 55歳)
我が家の次女が車椅子を使うようになってもうすぐ5年。街に出ると凝視されたり、二度見されたりすることに まだまだ抵抗があります。そんな中で、車椅子が乗り越えられない段差やスロープのない階段で四苦八苦しているときに 手伝ってくださる方がいらっしゃいます。ほんのちょっとしたことですが、本当に感謝の気持ちでいっぱいになります。 まだまだ日本も捨てたもんじゃない。私も行動で人をたすける人になりたい!それが今年の目標です。
(静岡県/E.I. 様 40歳)
小学2年生になる息子のエピソードです。私が仕事から帰ると、テーブルの上に消毒薬と絆創膏が出ていました。学校の帰りにまた転んだかな…とそっと膝小僧を見てもけがはしていない様子です。息子に聞くと、転んで泣いていた友達がいたから、家に消毒薬と絆創膏を取りに帰って治してあげたと…。息子がとても大きく見えました。子どものまっすぐなたすけあいに心が温かくなりました。(香川県/T.Y. 様 38歳)
末っ子がまだ赤ちゃんだったときのことです。周りに迷惑になるため避けていた電車に乗らねばならないことがありました。車内は混んでいるのに、荷物がたくさんあり、ベビーカーを折り畳んで乗れず、挙げ句に未就園児を2人連れ、20分の乗車が1時間にも2時間にも感じました。冷たい視線やこんな時間に乗車させるなんて…と話す声。肩身が狭くて仕方なかったです。こんなときに限って赤ちゃんは泣き始め、周りに迷惑を掛けないように、上の子2人と一生懸命にあやしたのを覚えています。そこに現れた年配の女性が、突然周りに聞こえる声で、事情があって乗ってるんだから気にしなくて良い。赤ちゃんは泣くもの。お姉ちゃん2人も頑張って偉いと話し始め、一緒にあやしてくれました。この女性の言葉に、私はどれだけ救われたか。今でもずっと感謝しています。今度は私がやる番と、同じような境遇の方がいると、席を譲ったり、赤ちゃんをあやしたりしています。 (東京都/N.M. 様 35歳)
私は、数年前に大病を患い、車イス生活になりました。車イスで外出しているとたくさんの方が、通路を譲ってくれたり、段差昇降を手伝ってくれたりして大変感謝しております。 ただ、稀に「邪魔だ!」とか、舌打ちをされたりすることもありました。みなさんもいつか将来、車イスのお世話になるかもしれません。「たすけあう力」で、思いやりのある行動をしましょう。(北海道/T.K. 様 55歳)
妻は生まれつきの股関節脱臼による身体障がい者です。夫婦なので協力するのは当たり前ですが、私たち夫婦はどちらかというと「たすけあい」の生活をしています。重たい買い物やゴミ出しなど脚に負担が掛かることは私が担当し、朝が弱い私に対して妻が頑張ってくれています。お互いにいつも「ありがとう」を言うようにして、感謝を表すようにして38年経ちました。これからも協力ではなく「たすけあい」で末永く過ごしていきたいと思っています。(東京都/I.H. 様 68歳)
小さな子どもを育てているのですが、いつも周りの方々にたすけられています。それは、子育ての相談に乗っていただいたり、様々なアドバイスをいただいたりと色々ですが、私にとって一番たすけられていると感じるのは、周りの方々がいつも笑顔で接していただいてくれることです。人の笑顔は他人を幸せにするというごくありきたりなことですが、それが一番難しい時代だからこそ、私にとって一番のたすけあいだと思います。 (香川県/H.K. 様 35歳)
※お寄せいただいた原文での掲載を基本としていますが、一部、漢字表記など、当会で修正させていただきました。
叔母を最後までよくみていた85歳になる母が、今、叔母の息子から良くしてもらっています。病院に連れていってもらったり、買い物に一緒に行ってもらったり。叔母の息子は、「僕の母はよく看てもらったからあたりまえだよ」といいます。よく恩返しという言葉がありますが、恩は返すだけのことではなく、恩は回すことも必要だと本で読んだことがあります。叔母は、母に恩を返すことはできないけれども、母には恩が回ってきているのだと思いました。(神奈川県/C.S. 様 51歳)
近所で火事があった際、たくさんの人が声をかけ合い警察や消防に情報提供したり、交通整理や子どもたちの避難誘導など、それぞれにたすけあう姿を間近で感じる体験をしました。自分の1人の力って、とても小さくて頼りないかもしれないけど1人1人の力が集まって「たすけあい」になると本当に大きな力になるんだ、と思います。小さなことでも見て見ぬふりをせず声をかける勇気をもとう、と思ったきっかけになる出来事でした。
(大分県/T.K. 様 50歳)
妊婦になるまで肩で風を切って歩くような颯爽とした姿を理想としていたが、早く歩くことも、ヒールの高い靴でカッコよく歩くことも難しくなった。ある日、乗り合わせた電車はいつもより車両が短く、乗ったときから混雑気味。まだ残り30分もあるのに、ずっと立っていられるか心配だった。そんなとき、座席で本を読んでいた、私と同年代と思われる男性が、妊婦であることを察知してくれたようで、スッと席を立ち譲ってくれた。もちろん、その男性には、譲ってもらったときと私が電車から下車するときに再度お礼の気持ちを伝えたが、そのとき、たった3駅分立っていただけでお腹の張りを感じていたので、人生で初めて席を譲られたことに感謝し、感激した。 ちょっとした行いでも誰かにとっては大きなたすけとなることを、身をもって実感した出来事であった。私も、さわやかに誰かの役に立つことができたらと思っている。(東京都/M.I. 様 40歳)
私は以前、大勢の職員の中で働いていました。そこで一番下っ端だった私はみんなの補助的な仕事や困っている事などを率先してやっていました。職場が変わり、何もかもわからない中、ひとつひとつとても丁寧に親切に教えてくれる同僚がいたので「こんなによくしてもらって…」とお礼を言ったら、「それはあなたが今まで周りの人に同じように親切にしてきたからなんじゃないの」と言ってもらえました。「たすけあい」は2人称ではなく、誰かからもらい、誰かに返すことなんだと感じました。
(北海道/N.K. 様 53歳)
実家から遠く、知人や友人もまだ少ない土地でのひとり暮らしの最中、突然入院することになってしまいました。しかし、職場の人たちが毎日交代でお見舞いに来て世話をしてくださり、無事に退院することができました。本当にありがたかったです。なんでも自分だけでなんとかしようとせずに、困ったときは「たすけあい」で、周囲に頼ることも大事なんだな、と実感しました。
(大阪府/E.R. 様 39歳)
腰が曲がり杖をついて歩いている母84歳。行き交う人やいろんな場所で出会う人が笑顔で母を見つめ「大丈夫ですか?」と声をかけてくださる。娘として本当にありがたいし、うれしく思う。そして、私もたすけを必要としている方々に優しい笑顔で声をかけていきたい。“たすけあう”事で皆が楽しく幸せに感じられる日々になるように願う。(広島県/N.Y. 様 55歳)
娘が電車の中で体調を崩したときに高齢の男性の方に席を譲って頂いたそうです。1度は、お断りしたのですが、「僕より君の方がしんどそうやで、困ったときはお互い様やから、遠慮せんと座って」と言って頂き、大変嬉しかったそうです。自分もまた、周囲の状況を見極めて、自然に声を掛けられる人になりたいと思ったそうです。(大阪府/S.E. 様 58歳)
朝、駅のホームで行列してたときのことです。目の前の人のリュックがパカッと全開!中身がまる見えで、このまま満員電車に乗りこんだら大変と思い、思いきって「あいてますよ!」と教えてあげました。すると、私の肩を後ろからたたく人が…「バッグ、あいてるわよ!」ちょっと恥ずかしかったけど、すごくうれしい“たすけあい”でした!(神奈川県/F.K. 様 20歳)
今年62歳になる男性です。若いときは電車やエレベーターに乗るときなどお年寄りの方に席を譲ったり、エレベーターに乗るのに並んでる順番を変わって先に乗って貰うようにしていましたが最近では、立場が逆になって、よく若い人から譲ってもらうようになりました。まだまだ若い人も見捨てたものじゃないと思います。いつまでもこのような風景が見られるようにと願います。(大阪府/T.I. 様 61歳)
たすけあいという言葉を聞いて、以前、私に声をかけてくれた男子高校生を思い出しました。 当時、私は20代でした。自転車で買い物に行った際に、一列に並んでいる自転車を何台も倒してしまいました。恥ずかしい気持ちで周りの人と目を合わせられなかった私に「大変そうじゃね?」と制服を着た男子高校生2人が話しているのが聞こえました。するとその2人が「手伝います」と言って一緒に直してくれました。こんな素敵な高校生がいることに感動しました。いつかこの2人が受験するときは合格させてあげてくださいと神様にお願いしたのを覚えています(笑) 私には5歳の息子がいます。いつか彼もこんな素敵な男性に育ってくれるといいなと思います。 (北海道/N.K. 様 34歳)
ある日、横断歩道で白い杖を持った視覚障がいの方が立ちすくんでいました。右折車が多いので危険だと感じた私は思わず「自分の腕をつかんで」と言って、2人で並んで無事に横断しました。私のとっては初めての経験で胸がドキドキしましたが、その方にお礼を言われたときは嬉しかったです。此方こそありがとう。私は声掛けする勇気を貰いました。 (茨城県/Y.T. 様 71歳)
私が乳ガンになり、2人いる息子たちは遠くで生活していました。心配はしてても思うように世話も出来ず、私も大丈夫と口では言っても心細いことでした。近くに住む、妹、姪が女しか気がつかない世話等をしてくれました。子どもだったと思っていた姪が大人になったとつくづく感じました。「おばちゃんまかせて!!」どんなに嬉しかったか…おばちゃん手術後5年元気です。 (三重県/T.Y. 様 68歳)
姪が夏に熱中症で駅のホームで倒れ、救急車を待っているときに、見ず知らずの人が飲み物を手渡してくれた。お金を払おうとしたら、「お金はいらないから、今度誰かが困っていたら、その人をたすけてあげてください」と、言ってくれたそうで、とても感激しました。みんながそんな人なら、きっと世界はもっと平和なんだろうな(笑)(千葉県/K.I. 様 54歳)
※お寄せいただいた原文での掲載を基本としていますが、一部、漢字表記など、当会で修正させていただきました。

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