見舞いに来てくれた会社の社長からも「たとえ後遺症が残ったとしても、仕事のできる環境を整えておくから、絶対に会社を辞めるような気持ちは起こさないでほしい」と励ましの言葉をもらいました。
こうした言葉には本当に救われました。他にも会社の同僚や労働組合の仲間など、たくさんの人に元気付けられました。
多くの声援がパワーになったのだと思います。2ヵ月の入院と2ヵ月の自宅療養を経て、9月には何とか仕事に復帰できるようになりました。
支えてくれた家族と多くの仲間のためにも、
早く元の生活に戻ることが目標!
栃木県在住
籾山 健一(もみやまけんいち)さん [46歳]
PROFILE
妻、高校生の長男、中学生の次男の4人家族。高校卒業後から勤務している会社の労働組合で執行委員長を務める一方、地元の中学校のPTAをはじめ、地域の活動にも積極的に参加している。
視界が真っ暗になったと思ったら・・・。「くも膜下出血」で病院へ搬送される
「なんだか視界が暗いな・・・」
そう思ったときには、意識を失っていました。
2019年5月初旬、知人同士で集まって食事会をしていたときです。ビールを中ジョッキで2杯飲んだ後にトイレへ行き、自分の座席に戻った直後でした。突然目の前が真っ暗になって、そのまま床に倒れ込んでしまったのです。
意識が戻ったときは、病院に向かう救急車の中でした。担架に寝かされている私の耳元で救急隊員の話し声が聞こえ、その内容から「もしかしたら、くも膜下出血かもしれない」と思いました。
というのも、私は6年前に受診した脳ドックで脳動脈瘤が見つかっていました。そのときは1~2mmと小さかったので、手術はせずに経過観察となりました。その後の検査でも悪化する様子は見られませんでした。「これなら大丈夫だろう」と勝手に判断してしまい、2年くらい前からは検査を受けずにいたのです。
搬入先の病院で脳の検査を受けた結果、破裂したのは6年前の脳ドックで見つかった動脈瘤だとわかりました。当初小さかったはずの瘤(こぶ)は、7mmくらいの大きな塊になっていたそうで、すぐに手術を受けることになりました。
入院中は、たくさんの人に励まされた
目を覚ましたのは手術が無事に済んだ翌日です。目を開けてすぐ、病室が不自然に薄暗く見えたのを覚えています。
術後の検査で視力を測ると、1.5以上あったはずの視力は0.1まで下がっており、それまで見えていた視界の右側だけが、片目を閉じたときのような感じで見えにくくなっていました。また、片方の視力が極端に落ちたせいか、遠近感がつかめなくなっていました。
目の神経に障害が残ったと知ったときはショックでした。入院中は「この状態が一生続くようなら、仕事に復帰できないのではないか」「家族をどうやって養っていけばいいのか」と、不安な日が続きました。
そんな中で私を支えてくれた家族には、感謝の気持ちしかありません。とくに妻は毎日のように病院に来て、献身的に私を支えてくれました。また、中学1年生の次男は、学校の七夕の行事で「お父さんの目が早く治りますように」と書いた短冊を飾ってくれていたそうで、その話を妻から聞いたときは思わず涙ぐんでしまいました。そのときの写真は、自分のスマートフォンに保存して宝物にしています。
もう一度ハンドルが握れるように―。家族と保障を支えにリハビリを頑張る
こくみん共済 coop の保障にも助けてもらいました。問い合わせや手続きはすべて妻がやってくれたのですが、担当者のレスポンスがスムーズで、不便を感じるようなことはひとつもなかったと聞いています。こくみん共済 coop が頼りになる団体なのは、日ごろの労働組合の活動を通じて知っていましたから、安心して対応をお願いできました。
その後、受け取った共済金も充分に満足できる額で、手術や入院費用などはおおむねまかなうことができました。
今回の出来事で、保障に対する認識が変わりました。それまでは掛金を支払うことの負担感だけが強かったのですが、長い人生何が起きるかわからないと実感した今では、家族の保障を少しでも手厚くしておきたいと思うようになりました。家計を見直して、ムダなお金があれば保障に回すことができないか、妻と相談しながら今後の備え方を決めたいと考えています。
当面の目標は通院とリハビリを頑張ることです。今は、会社に行くときは、近所に住む同僚の車に乗せてもらっています。私が車の運転ができないのを知って、手助けを名乗り出てくれました。彼には頭が上がりません。
家庭では、以前は野球をしている息子のために野球場までの送り迎えをしていたのですが、今は妻に運転を代わってもらっている状態です。妻ばかりにお願いするのは悪いので、早く自分の運転で息子を野球場に連れて行けるようになりたいです。
編集後記
家族や会社の仲間、周囲の励ましを受けながら、元の生活に戻るためにリハビリを頑張っている籾山さん。インタビューでは奥さまに対する感謝とご家族をとても愛していらっしゃる様子がうかがえて、たくさんの人がエールを送りたくなる、その理由がわかるような気がしました。