火が完全に消えたころには外はすっかり明るくなっていて、時計を見ると目を覚ましてから3、4時間が過ぎていました。
家は全焼で見る影もありませんでした。持ち出せたものはほとんどなく、家族のアルバム、趣味で描いた油絵、先祖の位牌など、大切なものは全部灰になってしまって・・・。
悲しさや戸惑いはありましたが、それよりも「これからどうしよう・・・」という気持ちで頭の中がいっぱいだったのを覚えています。
火災で失った生活を再建したい。
目標に向かって自分なりの努力で前進を!
山梨県在住
清水 浩行さん(仮名)[88歳]
PROFILE
所属していた労働組合を通じて全労済に加入する。現在は新居で妻とふたり暮らし。離れて暮らす子どもや孫たちが遊びに来てくれることが楽しみ。趣味は油絵。
朝起きると外が真っ赤に燃えていた・・・。真冬に家族を襲った火災
あの早朝のことは、いまも忘れられません。
真冬の午前4時を過ぎたころでした。突然、妻に大きな声で起こされました。目をあけると、寝室の障子越しに見える外の様子がおかしい。まだ暗いはずなのに異様に明るいのです。ザーザーという音も聞こえ、最初は雨が降っていると思いました。
その直後「火事だ!」と叫びながら妻が廊下に飛び出していく姿が見えて、びっくりして布団から飛び起きました。外を見ると、離れにある物置の屋根が真っ赤に燃えていました。雨だと思った音の正体は、燃えさかる炎の音だったのです。
腰が抜けて逃げられなくなり、オロオロしているうちに、妻が戻ってきました。2階で寝ていた息子を連れてきてくれたのです。
2人に助けられながら、裸足で家の外に逃げました。大急ぎで近くの空き地に避難して、消防隊が到着するのを待ちました。その間にもどんどん火は燃え広がっていきます。
ようやく6台の消防車がサイレンを鳴らしながらやってきました。ところが、自宅の近くに消火栓がなかったらしく、あちこち探して、通りのずっと奥の方からホースを引っ張って本格的な消火作業を始めたころには、家の半分以上が炎に包まれている状態でした。「早く消してくれ!」と祈るような気持ちで消火作業を見守ることしかできませんでした。
すぐに振り込んでもらえた共済金。全労済からのアドバイスにも救われた
全労済に連絡したのは、それから3日ほど経ってからです。
近所に住む娘の家でしばらく寝泊りすることが決まって一息ついた後、息子から「保障に加入していないの?」と聞かれて全労済のことを思い出しました。
公務員として勤務していた現役時代に、職場の労働組合の紹介で全労済を知り、すすめられるまま火災共済に加入していました。
さっそく連絡すると、あわただしい時期にもかかわらず「すぐにうかがいます」という返事をもらい、数日後に全労済の職員が訪ねてきてくれました。
話し合いは息子にまかせていましたが、とても丁寧な対応をしてくれたと聞いています。手続き後の共済金もすぐに振り込んでくれました。正直、この年齢で新しく家を建て替えるのには迷いがありました。出費も大きいし、今後の生活のことも考えないといけない。でも共済金はそんな迷いを断ち切って、私の背中を押してくれる心強い存在になってくれました。
また、このとき対応してくれた全労済の職員には、ご近所の対応方法を中心に、さまざまなアドバイスをいただきました。なにもかも初めてのことだったので、専門家にサポートしてもらえたのは本当にありがたいことでした。
近所のアパートで妻と暮らしながら、新しい家を建て直す手続きを進めて1年後、完成した自分の家に帰って来られたときは「やっぱり自分の家がいちばんだ」と心の底から思いました。
保障は「家族の命綱」。少しずつでも、元の生活を取り戻したい
もちろん、新しい家が建って、すべてが丸くおさまったわけではありません。それでも、私にとって全労済の保障は、家族のがけっぷちをぎりぎりで支えてくれた命綱のようなものだったとしみじみ思います。
いいこともありました。親戚が私の若いころの写真を持っていて、プレゼントしてくれました。アルバム類は焼失してしまっていたので、うれしかったです。この年になって新しい宝物ができるとは思っていませんでした。
今後の目標は、やはり生活再建です。そして、できることなら困っている誰かの助けになれるような活動に参加していくこと。今回のできごとは、やはり自分が助けられたという気持ちがあるので、自分も誰かの助けになれたらと・・・。
自分なりのペースで、少しずつ努力していきます。
編集後記
今回は、奥さまと息子さんにもご協力いただきながら当時の状況や思いを語っていただきました。人生なにが起こるかわからない、そして起こってからでは遅い・・・。当たり前のことなのに忘れてしまいがちな事実を、あらためて突きつけられるようなインタビューでした。