こくみん共済 coop の公式ホームページお問い合わせ全国の窓口関東統括本部 公式ストーリー保障は“ムダ”になるのが一番。震災を乗り越えて得た今を大切に

保障は“ムダ”になるのが一番。
震災を乗り越えて得た今を大切に

柿﨑 唯一(かきざき ただいち)さん

茨城県在住
柿﨑 唯一
(かきざき ただいち)さん [61歳]

PROFILE
燃料製造会社でシステム関連の業務を担当。趣味は会社の交友関係がきっかけで始めたバドミントンと献血。休日は親から引き継いだ田畑で奥さまと一緒に農作業にいそしむ。

息子が新潟県中越地震で被災。まさか、次は自分の番とは……

 全労済は会社に入社した当時、労働組合を通して知りました。掛金は給料引き落としだったので、手続きが簡単だと思いマイカー共済に加入したのが始まりです。
 自然災害共済には、2006年頃に加入しました。会社の先輩が阪神淡路大震災で被災していたし、新潟県で働いている息子が新潟県中越地震を体験していたので、災害に対して漠然とした不安があったためです。でも、まさか本当に被災することになるとは思ってもみませんでした……。

 東日本大震災が起きた2011年3月11日は、会社で仕事をしていました。最初にゆっくりとした揺れがきて、すぐに静まるだろうと思っていたら、どんどん激しくなっていきました。
 パソコンのディスプレイが倒れ、デスクの書類が崩れ、いっせいに照明が消えました。「地震が起きたら机の下に隠れろ」と言いますが、激しい揺れのために誰も身動きできませんでした。  揺れが収まり、社員全員で建物の外に避難しました。寒い日でしたから、着の身着のままで逃げた女性社員が、寒さを訴えて社用のマイクロバスに避難していたのを覚えています。
 それから1時間ほどして、会社から帰宅指示が出て、車で自宅に帰りました。

半壊の自宅からガレージに避難。車内で不安の一夜を明かす

 自宅で最初に目にしたのは、瓦の落ちた屋根でした。避難していた妻や母が駆け寄ってきて「家の中はダメかも」と言うので靴を履いたまま中に入ると、倒れた本棚や割れた食器類で足の踏み場がない状態。瞬間的に「片付けなくては」と思いました。しかし、余震が続いている危険な状況です。「そんなことをやっている場合じゃない。避難場所の確保が最優先だ」と考え直しました。
 すぐに庭のガレージに向かいました。鉄骨造の丈夫な建物で今の自宅よりは安全だと思い、生活用品を運び入れて、当面の避難場所に決めました。停電が続いていたので、懐中電灯などの電池で使える照明を集めました。倉庫から引っ張り出した灯油ストーブなどは、寒さをしのぐだけでなく、明かり代わりになったので助かりました。
 夜は、2台ある車の中に毛布を持ち込んで、1台に私と妻が、もう1台に母が寝ました。車中のテレビで各地の被害状況を目の当たりにしながら、不安なまま夜を明かしました。

 それから電気が復旧するまで4~5日くらいかかりました。照明がついたときは、元の生活に戻れそうな兆しを感じることができたせいか、心底ほっとしましたね。
 余震も収まってきたので、それからは自宅に戻って生活することにしました。

保障はもしものために加入して、結果として“ムダ”になるのが一番

 1ヵ月後、市役所でり災証明書を発行するとの案内があり、全労済の保障に加入していたのを思い出しました。全労済に電話をすると「り災証明書のコピーを用意しておいてください」とのことだったので、すぐに手続きして証明書を用意しました。
 それから2、3日くらい後に全労済の担当者が被害状況の調査に来てくれました。私は会社にいたので、妻が立ち会ったのですが、り災証明書があったおかげか、テキパキと済ませてくれたそうです。その後、共済金を振り込んでいただき、屋根や天井の修理に充てることができたので助かりました。
 今回の出来事で、「保障はもしものために加入しておき、結果として“ムダ”になるのが一番良い」と考えるようになりました。保障が必要になるということは、身近なところで不幸が起きているということです。それなら、保障のお世話にならないほうが良いに決まっています。でも自然災害だけは、自分が注意するだけでは防ぎようがありません。だからこそ、保障などで備えておく必要があるのだと思います
 私にとって保障は“安心して生活するための基盤”と言えるでしょうね。

還暦を過ぎて楽しくなった農業。趣味の「献血」は自己流の健康法

 屋根、壁、天井と壊れた部分を少しずつ補修したので、元の生活に戻るまで3年くらいかかりましたが、現在は無事に暮らしています
 平日は会社で仕事をして休日は農作業をする、いわゆる兼業農家です。親から引き継いだ田畑があり、私と妻で好きな作物を育てています。昔は仕事の忙しさもあり、嫌々やっていたのですが、60歳を過ぎてから楽しくなってきました(笑)。
 退職の時期が近づき「これからどうやって過ごそう」と迷っている同世代がいる中で、「自分には、続けられることがあるじゃないか」と思えることが、なんだか幸せなんです。それに、手塩にかけて育てた作物が、きちんと実ってくれると「かわいいな」とうれしい気持ちにもなれます。
 趣味は30年くらい前から続けている「献血」です。職場の先輩から「血を抜くことは健康に良いらしい」と聞き、本当か嘘かわかりませんが「それならやってみようかな」と軽い気持ちで始めたのがきっかけです。会社に年2回ほど集団献血のバスが来るので、必ず協力するようにしています。今までに58回やっていて、赤十字社から記念の楯と感謝状をいただきました。

 この年になると血圧が高くて困っているとか、病気で薬を飲んでいるとか、仲間同士の“健康談義”には事欠かないのですが、私だけは今日まで大病もなく過ごせています。もしかしたら、本当に献血のおかげかもしれません(笑)。無理をせず、今の健康な暮らしを続けられたら満足です。強いて言えば、休日に家族で旅行ができればうれしいですね。実は、妻がスペインに行きたがっているんです。理由は聞いていませんよ。聞いても聞かなくても、私は「イエス」か「はい」と答えて連れていくしかないので(笑)。

編集後記

 お仕事終わりに、会社のロビーで取材を受けてくださった柿﨑さん。「家族と一緒に今の暮らしを続けられたら満足」とお話されるその姿に、震災を乗り越えて得られた平穏な日々を大切にされている様子が伝わってきました。