こくみん共済 coop の公式ホームページお問い合わせ全国の窓口関東統括本部 公式ストーリー苦難を乗り越えて自然と芽生えた、「社会に貢献したい」という気持ち

苦難を乗り越えて自然と芽生えた、
「社会に貢献したい」という気持ち

高林 俊樹さん

埼玉県在住
高林 俊樹
さん [53歳]

PROFILE
写真・カメラを扱う大手企業のグループ会社(IT関連)で人事部門のマネージャーを務める。家族は奥さんと3人の子ども。趣味はサッカー観戦や写真撮影、散策など。

会社の倒産と2回もの手術。まさか自分が……。なぜ……

 2000年に、勤めていた百貨店が民事再生を行い、事実上の倒産となりました。とても不安でしたよ。その前年(1999年)に埼玉に引越してきて、購入したマンションのローンがありましたし、子どもが3人いますからね。その後、写真関連企業のグループ会社に転職できたときはどんなにホッとしたか。ただ2005年に、長女の大学受験と、長男の高校受験が重なってしまいましてね。掛金が手頃だったこくみん共済に加入したのはこの頃です。

 思いがけず2回もお世話になったので、こくみん共済に入っていて本当によかったと感じています。安い掛金なのに手厚い保障で、対応もスムーズで助かりました。1回目に入院したのは2010年の夏。アレルギー性鼻炎で耳鼻科を訪れたある日、「鼻中隔湾曲症」と診断されたのです。鼻の中の骨が曲がっているため鼻腔が狭く、少しでも鼻炎の症状が出ると鼻の通りが悪くなってつまる、ということでした。そこで鼻の軟骨を削る手術を行いました。
 術後、麻酔が切れてから約3日間は鼻がズキズキと痛みました。目に近いので、涙に血が混じって「血の涙」が流れるんですよ。出血もひどくて驚いたのですが、担当の女医さんに、「男の人って大げさよね」と言われてしまいました(笑)。つらかったんですけどね。女性は強いです。ただ2回目の手術の痛みは、こんなものではありませんでした……。

“悶絶”とはまさにこのこと。そんなとき「天使」が現れた

 2011年12月に大掃除で腰に痛みを感じ、年明けに病院でレントゲンを撮ったら、「椎間板ヘルニア」でした。さまざまな治療法を試しましたが症状はよくならず、痛み止めも強いものでないと効かなくなりました。そこで友達の医師に大学の高名な先生を紹介してもらったところ、その先生は「手術したらどうか」とおっしゃいました。
 悩みました。入院すればまた会社や家族に迷惑をかけてしまうし、椎間板ヘルニアで手術をするケースは全体の約1割で、手術をしない対処療法という選択肢もありましたから。ただ、「また子どもとサッカーをやりたい、ボールを蹴りたい」と医師に相談したところ、「それなら手術しかない」というので決断しました。
 正直、こくみん共済に加入していなかったら手術に踏み切っていなかったかもしれません。保障という備えの大切さを、身をもって実感しました。
 手術は、「腰椎L4/5PLIF手術」という、腰椎椎間板をすべて除去して、背骨の一部を削って生体適合プラスチックの箱に入れて移植し、腰椎を4本のボルトで固定するというもの。地獄だったのは術後、麻酔が切れたときです。腰に術後の出血を体外に出すための管が挿入されていたのですが、その管が刺さっている間中、うめき声をあげて悶絶していました。妻があまりに苦しんでいる私を心配し、子どもや友人のお見舞いを断っていたほど。約2日間は痛み止めも効かず、とても不安でした。「なぜ痛み止めが効かないんだ」「いつおさまるのだろうか」と。

 そんな状況で、ある新米看護師さんが夜にしばらく背中をさすってくれたんです。管が取れるまでの2日間は痛みがおさまらなかったのに、背中をさすってもらっているときだけは、痛みがやわらいだ気がしました。「白衣の天使って、本当にいるのだな」「息子の奥さんに迎えたいな(笑)」なんて思ったほど、とても感謝しています。妻や子どもにも、もちろん感謝しています。病院は家から遠かったのですが交代で見舞いに来てくれて、心の支えとなりました。

震災があって、手術を乗り越えて、改めてのめり込むようになった「写真」

 魔の2日間を乗り切った私は、管も取れてリハビリの歩行訓練を開始し、計40日で会社に復帰できました。
 会社のメンバーには多大な迷惑をかけました。しかし今思うと、みんな文句も言わず業務をこなしてくれたおかげで、療養に専念できました。無事に退院できて改めて、家族や医師、看護師、会社のみんなに感謝したい気持ちでいっぱいです。直接気持ちを伝えても伝え足りないくらいなので、この場でも言っておきたいです。
 今、なによりうれしいことは「薬に頼らなくていい」ということ。地獄から天国に舞い戻ったような気分です。そんなとき、ふと「自分のことだけを考えて日々過ごすのではなく、誰かの役に立ちたい」という気持ちが芽生えました。まだ具体的に行動できていませんが、プランはあります。
 以前、東日本大震災が起きたとき、弊社は写真関連の会社なので、「写真救済プロジェクト」を行いました。それは被災地から預かった、土砂や油で汚れてしまった写真をできるだけキレイに復元してお返しするというものだったのですが、このプロジェクトに参加して改めて、“写真のパワー”に魅せられました。写真は真実を写すと書きますが、観ているだけで心にしみるんですよね。「写真は思い出や歴史を後世に伝えてくれる」「きっと被災地の人たちの励みになる」、そう確信しました。
 実は私の亡き父も、写真が好きでした。「この会社に転職できたのは父親のおかげ」、「今も見ていてくれているのよ」なんて妻も言うんです。
 それから本気で写真に向き合うようになり、術後のリハビリも兼ねて写真を撮りながら近所を散策し始めました。2014年4月から、友人が入っている写真クラブに入れてもらうことに。月に一度、新宿御苑で撮影会を行うんですよ。同じ趣味を持った仲間が集まると思いますので、そういった人たちとの語らい、交友関係の広がりも含め、非常に楽しみですね。
 実は今まで、特に前職では非常に忙しくて母子家庭のような状態でしたので、妻や子どもに寂しい思いをさせていました。手術のこともあったし、なんだか迷惑や心配をかけてばかりだな……と。だからこれからは家族に恩返しをしたい。そして写真を撮ることや、ほかにもなにかできることがあれば、それを通じて社会貢献をしていきたいと考えています。

高林さんが以前、近所の土手から撮影した江戸川花火大会の花火

編集後記

 腰の大手術をされたとは思えないほど“しゃん”と歩いていらっしゃった高林さん。「痛みや苦しみを乗り越えた高林さんにしか撮れない写真があるのではないか」と感じました。写真で勇気や元気を与えられることもあると思います。これから高林さんが撮られる写真がとても楽しみです。