こくみん共済 coop の公式ホームページお問い合わせ全国の窓口関東統括本部 公式ストーリー備えのおかげで乗り越えられた東日本大震災。今は子育てに全力を注ぎたい。

備えのおかげで乗り越えられた東日本大震災。
今は子育てに全力を注ぎたい。

茨城県在住
T.S
さん [56歳]

PROFILE
奥様と3人の娘さんをもつ。平日は単身赴任で東京に暮らし、土日祝日は実家に帰って家族と過ごすという生活を送っている。

単身赴任中に茨城の実家が被災。家族は無事だったものの屋根瓦に大打撃

ご主人のTさん(以下、Tさん)
 我が家は茨城県の北部にあります。私は単身赴任で約20年、平日は東京で暮らし、土日になると自宅に戻ってくるという生活を続けています。
 東日本大震災が起きたのは金曜日でしたから、いつものように東京にいました。
 当時は会社の経理部門を担当していました。机がたまたま金庫の前だったので、激しい揺れが起きた時、会社の金庫を必死に押さえていたのを覚えています。ニュースなどで震源地がわかった時は、「我が家の方面だ」と驚き、慌てて携帯電話を取りましたが妻にはつながらず、会社の1階にあった公衆電話を目指して駆け下りました。会社のみんなが同じことを考えていたので、かなり並びましたが、公衆電話でかけるとすぐに妻が出て、家族の無事を確認することができました。

奥様のMさん(以下、Mさん)
 それはもう、すごく揺れました。
 私は当時中学校に通っていた三女を病院に連れていく用事があり、車を運転して学校に迎えに行く途中でした。
 急にハンドルがぶれて「あれ、パンクしたかな?」と思いました。実は震災の少し前に、家にある軽トラックがパンクしたんです。その時の状況に似ていたものですから、「こっちもパンクしちゃったのかな」って。
 でも、「いや、パンクじゃない! 地震だ」と気がついて、車を止めました。ちょうど学校に着いたところだったので、降りて車にしがみつき、揺れが収まるまではしばらく校庭でしゃがんでいました。
 そして、一緒に住んでいる義母や我が家の状況が心配だったので、学校の先生に理由を言って娘は学校に預かってもらい、すぐに家に帰りました。
 家に戻ると義母は無事でした。家は、壁にひびが入っていたり、風呂のタイルがはがれ落ちたりしていました。一番被害が大きかったのは、「屋根瓦」。数え切れないほどの瓦が屋根から庭に落ちていて、屋根の「ぐし」(棟瓦)は蛇のようにぐにゃぐにゃに曲がっていました。
 主人は地震の影響ですぐには帰って来ることができず、他に頼れる人もいなかったので、「この屋根の修理代、一体いくらかかるんだろう……」と考えながら、とにかく屋根瓦の片付けに追われました。

地元の消防団の人が助けに!涙が出るほど嬉しかった

Mさん
 落ちた瓦の片付けはできても、問題は、「屋根に雨漏りを防ぐためのビニールシートを被せなくてはいけないこと」でした。
 一人では大変なので先送りにしていましたが、震災が起きて数日後、「いよいよ明日、雨が降りそう」という日が来ました。パート勤務をしていたので、「今日こそ仕事のあと、屋根の上に登ろう」と、意を決して家を出ました。
 すると仕事中に、娘が自転車で職場までやってきたのです。娘が私に向かって「お母さん、地元の消防団の人がうちに寄ってくれて、屋根にビニールシートをかぶせてくれたんだよ!」と叫んでいました。

 「えっ??」と、最初は状況がうまくのみ込めませんでしたが、当時主人が在籍していた地元の消防団の方が、うちの主人が単身赴任中であることを知って、駆けつけてくれました。家に帰ると、大きなビニールシートが雨漏りしそうな箇所に被せてあって……。もう、涙が出るほど嬉しかったです。「周囲の人の支えがありがたいこと」を、身をもって実感しました。
Tさん
 支えといえば、全労済の火災共済・自然災害共済も、大きな支えになりましたね。
 元々うちが全労済の火災共済・自然災害共済に加入したのは、阪神・淡路大震災がきっかけでした。当時関西であんな大規模な地震が起きると思っていませんでしたから、妻とも「それなら茨城で大地震が起きてもおかしくないよね」という話になって、地震に対する備えを考えるようになりました。いくつか見積もりを依頼して、結果月々の掛金がお手頃だった全労済に決めました。
 全労済には東京から労働組合経由で被害の連絡をしました。大災害でしたので、調査だけでもかなり時間がかかるのではないかなと思っていましたが、1カ月くらいで来てくださり、調査の結果「半壊」の認定で、すぐに共済金を振り込んでいただけたのがうれしかったです。あわせて市の給付金がおりて、本当に助けになりました。

Mさん
 自然災害共済に加入していて、つくづく良かったと思いますね。家に帰ってきて最初に、庭に落ちた屋根瓦を見た時はどうしようかと思いましたけど、「あ、共済に加入していたっけ」と思い出してからは、不思議と安心感が湧いてきました。家計はもちろんのこと、本当に心の支えになってくれました。
 ご近所や周囲には、共済などに加入していなくて、自費で自宅の修繕をせざるを得ないという方もいたので、まだ地震の備えがない方には、共済などへの加入をおすすめしたいですね。

娘3人を無事に社会へ送り出すことが先決。自分たちの老後は、その後考えたい

Mさん
 うちは、主人の実家が農家なので、家族が食べていく分や少し売る分を賄えるくらいのお米や野菜をつくる田畑があります。主人は外に勤めているので私が継いでいる形になりますが、日頃は農作業とパート勤務、そして子育ての毎日です。今、長女と次女は実家を離れ、一緒に暮らすのは三女だけ。農作業は、5月に田植えを済ませたので、これからはジャガイモとか季節の野菜を栽培するところです。
 実家を離れた娘たちには、私が収穫したお米や野菜を送っているのですが、外食のごはんなどと比べたのでしょうか、「うちのお米って美味しいんだね!」と言ってくれます。
 娘たちが喜んでくれるから、農作業は楽しいですよ。

Tさん
 ずっと単身赴任で、平日は仕事で東京、土日は茨城に帰ってきて娘たちの面倒を見る、という生活でした。 もうそれが当たり前になっていますので、あまり趣味と呼べるものはないんですよね。自分のことよりもやはり、3人の娘を一人前に育てることが今の生きがいというか目標ですね。
 この先また何が起こるかはわかりませんし、そうなってしまった時のために、病気にならずにきちんと家計を支えること、そして災害への備えも含め、家族や家を支えること、生きていくためにはそういう当たり前のことが大切と思います。

編集後記

 非常に娘さん思いのSさんご夫婦。東日本大震災以降、「電気がついたり、蛇口から水が出たり、当たり前の大切さに気づいた」とおっしゃっていました。毎日健康に過ごせることのありがたさを噛みしめていらっしゃるからでしょうか、とても穏やかで優しい話し方が印象的でした。