震災で気づいた日常の大切さ。
すべての当たり前に感謝。

齊藤 優子(さいとう ゆうこ)さん

茨城県在住
齊藤 優子
(さいとう ゆうこ) [39歳]

PROFILE
現在ご主人が単身赴任中のため、娘さんと2人暮らし。平日は会社で事務の仕事をしている。趣味は神社仏閣めぐりと、毎日の晩酌。

突然の大地震。避難所で感じた絶望感

 私は夫と娘の3人家族。2011年まで、ある企業の労働組合に勤めていて、その労働組合経由で全労済の団体生命共済に加入していたので、全労済の存在はいつも身近に感じていました。
 主人と「家を建てよう!」という話になったのは2008年頃。土地は、実家や職場が近かったこともあって今の地域に決めたのですが、付近は海抜0mで、大雨が降ると床下浸水が起きやすい場所でした。そこで、「何かあった時のために」と、全労済の自然災害共済に加入しました。ただ加入した時には、この共済が、まさか5年も経たないうちに実際に家族の大きな助けになってくれるとは夢にも思わなかったです。
 東日本大震災が起きた時、私は労働組合の事務所の建物の中にいました。ものすごい揺れで机の引き出しが「ガシャンガシャン」と開いたり閉じたり……。強い音を立てて騒ぎ出しました。事務所にいたのは7人くらいで、みんなで外に出ました。恐怖のせいか、自然と輪になって、全員で手をつないで震えていたのを覚えています。
 すると、実家の両親と、当時実家にいた兄が、私と娘の安否を心配して職場まで訪ねてきたので、すぐに娘が通っていた小学校まで車を走らせたところ、学童保育所にいて無事でした。その後、父と兄が私の家の付近の様子を見に行ってくれたのですが、津波で浸水していたので、地域の避難所に指定されていた近隣の中学校までみんなで向かいました。

 主人は当時東京へ出張中で、電話で話せたのは19時頃だったでしょうか。なかなかつながらずやきもきしましたし、向こうも心配だったと思います。でも声が聞けて少しホッとしました。
 中学校の体育館で配られた毛布は1人1枚で、館内は地域の住民たちでごった返し状態。寒くて寝ることができませんでしたし、「一体この先、どうなってしまうんだろう……」と、頭の中は不安でいっぱいでした。

気がかりなのは自宅の状態。帰宅すると、変わり果てた我が家がそこに…

 体育館で一夜を過ごし、翌朝に気になっていた自宅の様子を見に行くことに。見ると床上浸水しており、15〜20cmくらいの泥に覆われた、まるで田んぼのような状態でした。
 「これが我が家なの?」と、目を疑いたくなるような光景が広がっていたのです。私はもうパニックを通り越して脱力してしまい、何もする気になれませんでした。そんな時に兄が、「泥が固まる前にかき出さないと大変だぞ」と、ちりとりを使って泥をかき出そうとしてくれたんです。私は一緒になってその作業を行いました。
 周りを見渡すと、当然ながらどのお宅も同じような被害状況ですので、他にも外に出て、泥をかき出している方がいました。ただ、地震と津波の影響で断水していましたので、泥をかき出しても、洗い流すことができません。
 するとお隣のお宅の方が、「うちの井戸水を使って」とおっしゃってくださり、バケツで井戸水を汲ませてもらい、両親も加わって3人でバケツリレーしながら自宅の泥を一生懸命洗い流しました。おかげで、1日がかりでしたが、表面的な泥はひと通り洗い流すことができ、とりあえず安堵しました。同時に、「辛くてどうしようもない状況でも、みんながいればなんとかなるんだ」、そう思えた瞬間でした。特に主人が不在だったので、両親や兄、お隣さんの存在は本当に心強かったです。

金銭面はもちろん、精神的にも助けられた全労済のバックアップ

 余震が続いていた数日間は体育館で寝泊まりし、余震が落ち着いてからは、津波の被害を免れた実家でしばらく暮らすことにしました。
 震災後、すぐに全労済に連絡を入れました。正確な期間は定かではないのですが、「ずいぶん早く来てくれるものなのだな」と、驚いた記憶があります。また、担当だった全労済の方からは、「市役所の方にも届けを出した方がいい」とアドバイスをいただき、とても助かりました。罹災証明書の申請方法などを教えていただき、役所の方に調査に来てもらったところ、「大規模半壊」で、国からも給付金をいただくことができました。
 自宅のクリーニングだけでも莫大な金額がかかることがわかりましたので、全労済と国からの保障が受けられて、どれだけ心強かったことか計り知れません。家財の費用、家の修理費用も共済金のおかげで、元の生活を取り戻すまでになりました。

日々を大切にして生きる!大切な家族や友人と支え合いながら

 震災が起きてからはやはり災害に対する警戒心が強くなりましたし、家族の中では、「大災害が起きた場合に避難する場所」や「離れ離れの時は、連絡を取り合う手段としてインターネットを活用すること」などの決め事をするようになりました。
 震災の約3ヵ月後、ようやく自宅に戻れましたが、本当に全労済や国の保障、家族や周りの方のおかげだと感じています。今は、震災当時に勤めていた労働組合を辞めましたが、平日は事務仕事をしながら過ごしています。
 趣味は神社仏閣めぐり。神聖な場所というか、空気がピリッとしていて思わず姿勢が正される雰囲気が好きです。昨年から「御朱印帳」の存在を知って、さまざまな神社仏閣を訪れては、御朱印を集めています。主人も歴史が好きなので一緒に回ることも多いんですよ。

 あとは毎日の晩酌が楽しみですね。お酒が好きな“ママ友”たちと呑む時は、よく「娘たちが大きくなったら、みんなで一緒に呑みたいね」と話しています。
 津波の爪痕に打ちひしがれて自宅の掃除をしていた時は、普通に生活ができている人のことを心底うらやましいと思ったものですが、本当に「“当たり前”って実はすごく幸せなことなんだな」と、改めて感じています。だからいつもの日常に感謝しつつ、今を大事にしながらこれからも強く生きていきます。

編集後記

 齊藤さんは現在ご主人が単身赴任中ですが、なんと毎日「30分〜1時間の電話」を欠かさないとのこと。周囲のご友人にも驚かれるほどの仲の良さで、うらやましい限りです。どんな困難でも乗り越えられそうな夫婦の絆、家族の絆を見せていただきました。