こくみん共済 coop の公式ホームページお問い合わせ全国の窓口関東統括本部 公式ストーリー日々健康、保持増進!好きだった仕事を辞め、これからは体のために生きる。

日々健康、保持増進!
好きだった仕事を辞め、これからは体のために生きる。

埼玉県在住
T.Y
さん [73歳]

PROFILE
60歳まで印刷会社に勤務。その後71歳まで別の会社で勤め上げ、今はリタイア後の暮らしを満喫している。「健康の保持増進」を目標に、適度な運動や読書を楽しむ毎日。

仕事中に震災を体験。埼玉県の自宅周辺も「停電」という事態に

 「家は若いうちに建てておけ」。60歳まで勤めていた印刷会社で、ずっと昔に上司から言われた言葉です。その上司は労働組合の役員の方で、私はその方の勧めに従って、結婚してまもなく家を建てました。そのときに、火災共済に加入しました。その後、地震の保障は、2000年に、自然災害共済の案内が届いたときに加入しました。月々の掛金が手頃で、さほど負担にならないのが魅力的だったので、「一応加入しておこうか」くらいの気持ちだったと思います。

 印刷会社では包装パッケージの生産管理の仕事をしていました。複数のメーカーのさまざまな商品パッケージを、限られた工場の生産ラインの中で納期通りに造るよう、工場のスタッフの動きや製造スケジュールを管理します。営業から予期せぬ注文が入れば、製造スタッフと相談して難しいスケジュール調整をすることもありますが、やりがいがありました。その後、パッケージを成形する専門の会社に籍を移し、そこで工場長を任されました。
 東日本大震災が起きたのは、まさにこの工場で機械を動かしているときでした。急に今まで経験したことのない揺れが襲い、慌てて機械を停止するよう指示を出し、皆を避難させたのです。
 日頃、職場で避難訓練をきちんと行っていたのが役立ちましたね。皆、慌てず行動することができました。そこで職員に帰宅するよう指示を出して、自分もタクシーで帰宅しました。
 家は埼玉県北東部にあり、東京よりも少し揺れが大きかったようで、辺り一帯は停電していました。家の中に入ると、ゴルフバッグが倒れていて、壁に亀裂やひびが入っているところや、壁紙が“ぐわん”と見たこともないようなねじれ方をしている箇所があり、被害が大きかったことに驚きました。

立ち止まっていた自分をそっと後押し。共済が「次のステップ」になった

 震災後、少し経ってから火災共済に加入していたことを思い出して、「何か保障してもらえるのかな」と思って“念のため”程度に電話しました。すると、後日すぐに担当の方による家の破損具合の調査が行われ、すぐに共済金の手続きが始まりました。共済金はすぐに振り込んでいただけましたし、調査も、手続きも、共済金をいただくときもすべてが親切でした。やはり共済のコンセプトである「助け合いの精神」が、そうした対応の根幹にあると感心しました。
 住宅メーカーの調査の結果、我が家は「耐震性が弱い」ことがわかりました。昭和52(1977)年にこの家を建てた後、子どもが3人生まれたので、9年後に増築して、玄関と和室を広くしました。そうした増築を行うと、必然的に耐震性が弱くなってしまうとのことでした。実は市役所の方からも耐震性を見直すようにと通達がありましたので、「せっかく火災共済の保障もいただけたし、耐震性が弱いままでは不安だから」と、耐震性を強化する工事を行うことにしました。
 一度壁一面を取り払い、壁に建物の構造を補強する「筋かい」という部材を入れました。結構な金額がかかったのですが、工事をしたことで、これまで感じていた地震と同じ震度の揺れでも、軽く感じました。不安だったことが安心に変わったわけですから、耐震工事をして良かったと思いましたし、それもこれも保障のおかげで得られたもの。「一応加入しておくか」くらいの気持ちで加入した火災・自然災害共済でしたが、万一のためにも必要なものだと感じました。そして、保障があれば、“次へ進むためのステップ”になると痛感したものです。

何かを得るために、何かを捨てる。続けたかった仕事を、辞めた理由

 震災の少し後だったでしょうか。ある日の会社帰りに電車の中で突然、腰にビリビリと電気ショックのような衝撃が走り、立っていられないほどの痛みに襲われたんです。
 整形外科に行くと「腰部脊柱管狭窄症(※)」と診断されました。そこで、インターネットで自分なりに調べて、“腰にいい”という体操を行うようにしてケアをしていました。
 ところが、夏にまた同じ症状が出てしまい、今度は90度腰を曲げないと歩くこともできないくらいになってしまいました。そこで、家の近くの総合病院に入院しました。医師からは、「脊柱管狭窄症の手術は、背骨近くの中枢神経をさわるから、リスクもある。それでも手術しますか」と聞かれました。でも、このままでは、まともに歩けなくなる可能性があったので、難しい手術だったと思うのですが、医師も「手術ができなければ外科医ではない」と力強い言葉をかけてくれたことから、手術に踏み切りました。無事成功して良かったですが、好きだったゴルフはすっぱり諦め、退院してすぐに道具一式を売ることになりました。入院時は妻が毎日お見舞いに来てくれて、身の周りのサポートをしてくれたので非常に助かりました。
  我が家は妻と3人の子どもがいます。おかげさまで皆とても健康で、これまで病気やけがで入院などはしたことがありませんでした。それが突然こんなことになるのですから「災害にしろ、体のことにしろ、いつ何時なにが起こるわからない、そのために保障があるのだな」と実感しました。
 元気なうちは何もわからないもので、病気をして初めて健康のありがたみがわかりました。そこで、思い切って仕事も辞めたんです。本心としてはまだ続けたかったのですが、実は入院中にめまいを起こし、検査したところ、あまり無理をすると今後の生活に支障が出そうということがわかりました。
 そこで私は「何かを得るためには、何かを捨てる必要がある」という思いで、これからの健康のために思い切って仕事を辞める決断をしました。

  • 腰部脊柱管狭窄症:加齢、労働、あるいは背骨の病気による影響で変形した椎間板と、背骨や椎間関節から突出した骨などにより、神経が圧迫される病気。

ウォーキング、新聞、小説。各1時間ずつ時間を割き、じっくり取り組む

 仕事を辞めた当初は解放感がありましたが、1年も経つと、正直寂しいというか、物足りないといいますか……、復帰したい思いがありますね。でもやはりいい加減“潮時”だと諦め、新しい人生に向けてスタートしようとしているところです。 今はウォーキングを1時間行い、新聞を1時間かけて読み、さらに小説を1時間読むことを日課にしています。また、月に3回「いきがい大学(※)」に通っていて、「介護について」や「悪徳詐欺にひっかからないためには」など、いろいろなテーマの講義を受けています。今まで仕事では同じ業界の人とばかり会っていましたが、

ここでは本当に多種多様な人に出会うことができ、ひとつの刺激になっていますね。
 また、やはり手術をしたことで、健康はより意識するようになりました。テレビを見ながら片足立ちをしていまして……、「たとえ1日1分」でもいいと思っています。無理をせず、続けることが大切かなと。1分でも、365日毎日続ければ1年で6時間ですからね、相当な時間ですよ。
 年齢に負けない体を目標に、これからもできるだけ長く健康を維持したいですね。

  • いきがい大学:公益財団法人いきいき埼玉が主催している、60歳以上向けの学習の場。社会の変化に対応できる能力を身に付け、社会参加による生きがいを高めてもらうことを目的としている。

編集後記

 T.Yさんと奥様の共通の趣味は旅行で、年に数回は必ず出かけているとか。取材をさせていただいた部屋には、奥様が趣味で制作されたきれいな「和紙絵画」が飾ってありました。健康で若々しいお2人、これからますますの健康を願いたいと思います。