こくみん共済 coop の公式ホームページお問い合わせ全国の窓口関東統括本部 公式ストーリー妻とともに乗り越えた東日本大震災。生涯健康を目指し、これからもずっと2人で。

妻とともに乗り越えた東日本大震災。
生涯健康を目指し、
これからもずっと2人で。

内桶 孝(うちおけ たかし)さん

茨城県在住
内桶 孝
(うちおけ たかし)さん [72歳]

PROFILE
フィットネスクラブに通って筋トレや水泳などを行い、体づくりに励む毎日。趣味の日曜大工はプロ並みの腕前。旅行も好きで、奥様とともに日本全国を旅している。

家の前まで帰ってきて、安堵。「ちゃんと建っていてよかった」。でも…。

 我が家は茨城県日立市にある一軒家です。東日本大震災が発生した2011年3月11日に、私は妻と2人、フィットネスクラブで汗を流していました。
 ちょうど地震が発生したとき、私は用事があったので妻よりも先にフィットネスクラブを出て、家に向かって車を走らせている最中でした。一瞬「何が起きたかわからない」というほどの衝撃。まるで地面がうねっているようで、電柱や電線も波を打っていました。とても走行していられず、そのまま停止。しばらく車内にいました。

 何度か余震が起きるたび、ぞっとする思いでしたが、揺れがおさまると急いでフィットネスクラブに引き返し、妻を迎えに行きました。フィットネスクラブのスタッフの誘導により外に避難していた妻と合流し、家に戻ったのですが、信号は電気が遮断されているのかストップしていましたし、民家のブロック塀や割れたガラスが散乱していて、道はひどいありさま。帰路につく途中は不安で胸がドキドキしました。なぜかというと「家が倒壊しているのではないか」と思ったからです。
 でも、家は外から見る限り無事に建っていて、心底ホッとしました。
 ただし中は悲惨な状況で、家のものはほとんど倒れていて足の踏み場がありませんでしたから、もし家の中にいたら、きっと大ケガをしていたと思います。さらに畳をめくって床下を見てみると、地面に大きな亀裂が入っていて、強いショックを受けました。

水道管が破裂して水が約2週間ストップ。一緒に暮らしていた三男が助けてくれた

 地震の影響で、水道、ガス、電気と、ライフラインの供給はすべて一時的にストップ。なかでも水道は、この地域の水道管が破裂してしまい、復旧に2週間くらいかかりました。
 そんなときです。私には息子3人がいるのですが三男だけが当時まだこの家に住んでいたので、近所に流れている湧き水を汲みに行ってくれたり、友達の車で大きなタンクに飲料水を入れて運んでくれました。
 この地域は防災訓練を行っていて、我が家は夫婦で毎年きちんと参加していました。そのおかげもあり、災害時に備えて飲料水や食料は多少備蓄をしていました。備蓄は実際に役立ちましたし、心のゆとりにもつながりました。ただ、さすがに水道が2週間もストップしてしまうと大変ですね。三男には本当に感謝しています。
 備えといえば、火災共済の地震保障も助かりました。3月中はすっかり慌てていましたので、共済に加入していたことを忘れていたのが正直なところ。4月に入って少し落ち着いてから電話しました。被害の程度を調査してもらうと「半壊」の認定で、それから半月くらいで共済金が振り込まれました。手続きが簡単だったし、対応が迅速でした。なにより、保障する共済金額とその根拠を詳しく説明していただけて、「利用者の立場で判断している」と、好感が持てました。こうしたことを通じて「助け合い、支え合い」の大切さを感じますし、何かあったときの保障や備蓄は重要だと再認識しました。
 修繕工事では、割れてしまったガラス戸はすべて壁に置きかえ、強度を高めました。床下の、地面に大きな亀裂が入ったところは、コンクリートを流して全面的に補修しました。修理が必要な部分が多くて大変でしたが、保障のおかげで大部分が元通りになり、感謝の気持ちでいっぱいです。

趣味は日曜大工。家の修繕にも、仕事にも役立った

 私は日曜大工が趣味で、風呂場のタイルやトイレの修繕、壁の貼り替え、キッチンの棚を造るなど、自分で直したところも結構あります。電動ドリルやのこぎりなど、必要な道具はすべて庭の倉庫に一式揃えているんですよ。部屋の中にパーテーションをつけて妻のパソコン部屋を造ったり、庭のテラスの一部も造ったりしました。材料を買ってきて、自分で図面を引いて、作業にとりかかると、背丈くらいの本棚なら、約1週間で造れますね。
 もともと私は家電メーカーに勤務していて、品質保証の仕事をしていました。おもしろいもので、趣味の日曜大工は、私の仕事に大いに役立ちました。棚などを造るとき、図面を正確に引くことや丁寧に組み立てることはもちろん大切ですが、何より材料である木の板やネジやクギなどが大切で。どんな材料を選び、どう使うかで、出来栄えが変わります。仕事で製造していた家電も同じです。日曜大工を通じてあらためて、部品一つ一つが非常に大事な役割を担っていることを再認識しました。
 私は中学を卒業してからすぐ会社に就職し、仕事に誇りを持って65歳まで勤めていました。ただ、以前から2人で老後はのんびり過ごそうと話をしていたので、妻に「もういい加減に仕事を辞めないと、離婚する!」と言われました。そこで仕事を辞めたんです。妻にはお世話になっていますから、逆らえないですね(笑)。

よく動き、よく笑い、毎日が充実。“2人で健康”が今後の目標

 フィットネスクラブに通い始めたのは、仕事を辞める少し前。きっかけは妻が「健康のために」と誘ってくれたからです。筋トレをしたりバイクをこいだりしています。今では運動がすっかり生活の中心になりました。少しずつですが筋肉もつき始めているんですよ。そして、運動をしていなかった60歳の頃よりも、間違いなく気力・体力ともに充実していますね。妻と旅行にもよく出かけます。妻はヨーロッパを中心に海外旅行もたくさん行きます。私は飛行機が苦手なもので、国内旅行専門。いつか47都道府県を制覇したいなともくろんでいます。毎回違うところへ旅行するたび、新鮮な気持ちが味わえて楽しいですよ。
 フィットネスクラブも旅行も、いつも妻と一緒。彼女の影響は大きいです。仕事を辞めてから特にでしょうか、妻とたくさん話をするようになりました。昔の私は口数が少なく決して明るい性格ではなかったと思います。彼女のほうがよくおしゃべりしていましたし。でも今は逆転していますね(笑)。しゃべると脳が活性化するような気がするので、とにかくたくさん話をしています。
 これから少子高齢化が進みますから、「自分の身は自分で守る」ではないですけど、「子どもや、次世代の人になるべく負担をかけたくないね」と、妻と話しているんです。だからこれからも2人で支え合いながら、「生涯健康」を目標に、日々笑い合って過ごしていきます。

編集後記

 ご自宅にお邪魔すると、室内はまるで“コテージ”のような、木の温もりに満ちたやさしい空間。内桶さんのこしらえた棚などはプロ顔負けの完成度でした。取材には奥様の紀子さんも同席され、お互いに「孝さん」「紀子さん」と、“さん”付けで呼んでいらしていて仲むつまじく、理想の夫婦そのものでした。