病気の原因は、過労とストレス。入院をしましたが、1週間たっても2週間たっても、目は見えないまま。泣きまくって、自暴自棄になってしまいました。「このまま目が見えなくなったらどうしよう」「大好きな読書ができなくなるかも……」「インターネットもメールも見られないなんて!」と、日に日に不安は増すばかりです。もう、すべてが不安でした。そんなとき、いつもそばにいてくれたのが、母でした。
夢は大家族を築くこと!
病気になってわかった、家族の大切さ
静岡県在住
C.Iさん [24歳]
突然奪われた視力。暗闇の中、見えた光
「あれ、なんか目の前がボンヤリするなぁ。えっ、ウソでしょ!? オーダーが見えない……」
突然の出来事でした。私は中華レストランで調理の仕事をしているのですが、2012年の3月頃、仕事中に突然、注文が書かれたオーダーシートの文字が見えなくなってしまったのです。ストレス性の視神経炎という病気でした。もともと目は悪く、メガネをかけた状態で「視力0.8」くらい。ところがこの病気により、メガネをかけていても「視力0.02」という状態になり、何も見えなくなってしまったのです。
私の趣味は読書でした。母の影響でサスペンスが好きになり、さまざまな作家の本を読むようになりました。そんな私にとって、目が見えなくなってしまうということは、今まで味わったことがないほどの大きなショックでした。
母のすすめで入った共済。思わぬところで役立ち、救われた
母とは普段、よく口げんかをしていました。本気で嫌っていたわけではなく、お互い口が悪いせいで、最終的に言い合いになってしまうことが多かったのです。こくみん共済に加入したときも、確かこんな感じで……。
母「あなた、そろそろこくみん共済に入りなさいよ」
私「元気なのがとりえなんだから、絶対病気なんかしないよ。入らなくたって平気」
母「そんなこと言って、何が起きるかわからないんだから」
私「うるさいなー」
こんな風にあしらっていましたが、母も譲らなかったので加入しました。ただ、結果的には共済に入っておいたおかげで、約2ヵ月間入院しても、入院費や治療費が補えたので救われました。ずっと健康だったのに、突然2ヵ月の入院。母はこういうときのことを、ずっと私のことを考えてくれていたんだと実感しました。
なのに入院中、いつもそばにいてくれた母に対しては、つらく当たってしまうこともしばしば。あるとき、また言い合いになり、母が「こんな身体に産んじゃってゴメンね」と言っていたことが忘れられません。「そんなことないよ」と言わなければいけないのに、そのときは口げんかの最中だったので、何も答えられませんでした。いつもうるさいなぁと思って邪険にしてしまっていた母へは、申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいです。
今でも思い出す、家族の変化と、かけがえのない支え
結局、視力が回復したのは2012年6月の上旬頃。退院する少し前まで、約2ヵ月間も、ずっと目が見えない状態でした。普通の人なら効くはずのステロイド注射が、なぜか私には効かず、長引きました。それが医師のすすめで透析を始め、ようやく回復したのです。ただし、頭痛やめまいのほか、身体に痛みやだるさが残ったり、力が入らなかったりと、別の症状が出るようになってしまい、2013年8月にまた入院することに……。このときも共済金で治療費の負担が軽減できました。2013年11月現在は退院していますが、まだ完治はしていません。でももう私は、負けません。家族や友人の強いサポートがあるからです。
サポートというと、今でも入院中のことを思い出します。母だけでなく、家族や友人、同僚など、周囲のみんなが私の支えになってくれました。
めったに料理をしない、しかも病院が大嫌いな父は、1週間ずっとお見舞いに来て、お弁当を作ってきてくれました。10歳離れた下の弟は、生まれた頃から私が面倒を見ていたせいか、すごく仲が良く、私が倒れたときは泣きじゃくったそう。そんな弟とは入院中、目が見えるようになってからは交換日記をしていました。つらいことがあったときは弟の隣に座ると、不思議と落ち着くんですよね。
友人たちのお見舞いにも助けてもらいました。何よりうれしかったのは、幼稚園の頃から知っている友人が書いてくれた色紙(写真)です。「目が見えるようになって本当に良かった」と、心からうれしく思いました。友人たちとは、また一緒に「浜松まつり」に行きたいですね。地元で行われる有名な祭りなのですが、名物のラッパ吹きや、遠州灘での凧揚げなど、1日中楽しめる、1年の中でも特に好きなイベントです。
入院をして気づいたこと。“普通”こそが幸せなんだ
入院して改めて思ったのは、健康な身体というものは、当たり前なのではなく、ありがたいものだということ。「これまで健康だったから大丈夫」という自信は何の根拠もないもので、自分の身体でさえ、何が起こるかわからないのだということが身に染みてわかりました。何が起こるかわからないからこその備えも、大切だと気づきました。
お見舞いで、友人たちや会社の同僚が、最近身の回りで起きた出来事などを報告してくれます。健康な状態ならごく自然に見聞きしていたはずの情報が、ベッドの上で聞くと、まるで別世界のことのように感じられてすごく新鮮でした。ずっと健康なまま、何気なく暮らしていたら、きっと気づきませんでした。“普通の日常が幸せなんだ”ということに。
そしてもうひとつは、「私は人に恵まれているんだな」ということ。とにかく周囲にいる家族や友人のありがたみがわかりました。こんなに温かい家族や友人に見守られているからかもしれませんが、今、私の将来の夢は、健康になって社会に復帰し、いずれ“大家族をつくること”。家族は多い方が、お互いに助け合えますからね。
今、下の弟の恋愛相談にのったりすることがあるのですが、そうした日常の支えはもちろん、親しい人や家族が私のように病気にかかったりしたら、全力で支えてあげたいんですよ。私が助けてもらったように。
弟の面倒を見ていたせいか、子どもが大好きなことも、私が大家族を望む要因のひとつです。子どもを見ていると癒やされます。だから、まずは自分が早く元気にならなくっちゃ!
同じように苦しんでいる人たちへ等身大のメッセージ
もし今同じように苦しんでいる人がいたら知ってもらいたいのが、皆さんも私のように、「決してひとりではない」、ということです。家族や友人、会社の同僚など、たくさん支えてくれる人がいるはずです。「なんで私ばかり…」と思うこともあると思います。でもいつかきっと、幸せが訪れます。同じ病気と闘っている仲間がいることを忘れずに、一緒に頑張りましょう!
編集後記
取材の最後に、「今一番やりたいこと、身近な目標は何ですか?」と質問したところ、「早く社会復帰したいですね。忙しくないと、物足りない(笑)」との声。それは仕事中に過労で倒れてしまった方の言葉とは思えない、力強いものでした。体はまだ復調していないかもしれませんが、家族や友人からもらったパワーやご自身の精神力により、C.Iさんの心は病気する前よりも確実に強くなったのだなと感じました。