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第10回 気仙沼市消防団 「津波てんでんこ」の真実を伝えていく

地図
PROFILE
気仙沼は漁港の町だ。気仙沼漁港は、カツオやサンマ、カジキなど日本有数の水揚げを誇り、マグロ遠洋漁業の重要な基地のひとつにもなっている。その気仙沼一帯が漁船用燃料タンクの倒壊により激しく燃え上がっている映像は、震災当日のテレビで何度も放映され、「津波火災」という二次災害の恐ろしさを全国に知らしめた。震災当時、860人が在籍していた気仙沼市消防団。津波が来ることを想定し、定期的に訓練を重ねていたものの、こんな事態は誰も予想していなかったという。消防団団長の武山さんと、気仙沼市消防団係主査の菅原さんに、今回の震災から得た教訓についてうかがった。

自然災害の前で、人間はあまりに無力であることを知った

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陸に打ち寄せたがれきの中、捜索活動をする消防団員

震度5以上の地震が起きたら、幹部は防災センターに集まり、沿岸部の団員は水門門扉を閉鎖するなど、事前指示は行き渡っていたので、震災当日はそれに従ってみんな動いていました。ただ、あまりの事態に何をしていいかわからなかったのが正直なところでもあります。「徒手空拳(としゅくうけん)」という言葉が頭に浮かびました。自然災害に対して、人間の力はあまりに無力です。電気が止まると、夜は目の前にあるものすら見えなくなる。マッチの炎の明るさが、身にしみてわかりました。私は、避難誘導をしてから防災センターに駆けつけたのですが、2~3日は家族と連絡が取れず、亡くなったかもしれないといわれていたことを後で知りました。

ツイッターの情報拡散で、東京消防庁が動いた

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気仙沼、ロンドン、東京を結んだ救出劇だった

気仙沼では津波だけでなく、大規模な火災も発生しました。潮見町の中央公民館には450人ほどが避難していたのですが、周辺は押し寄せる津波で水浸しになり、海面のがれきに火がついて炎に取り囲まれてしまいました。そこに避難していた方が息子さんにメールを送り、その惨状を息子さんがツイッターで拡散。猪瀬直樹東京都副知事(当時)まで届き、震災翌日の朝に東京消防庁が一気に気仙沼に救助に来てくれました。これは本当にありがたかったですね。消防団長としては、「これで少し消防団員を休ませることができる」とほっとしました。

後で会えると信じて逃げる。それが、本当の信頼関係

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この言葉の意味は、体験しないとわからなかった

三陸の先人の教えとして「津波てんでんこ」という言葉があります。「てんでん(こ)」の意味は「各自」「めいめい」。つまり、津波が来たら、各自ばらばらに自力で高台へ逃げろ、ということです。この言葉の意図することが、震災で本当によくわかりました。それが結局、一番多くの人の命を救うのです。家族を信じて、自分は逃げる。自力でどうにかするから安心して、という本物の信頼関係を日頃から築いておくことが大事です。家族を亡くした人にも「津波てんでんこだから」と言うと、少し納得できる。厳しいようで優しい言葉なのです。

Q 震災が起こったときに、気をつけるべきことはなんですか。
A 災害が起こっても、自衛隊や消防署員はすぐには来られません。隣近所の協力が生き残るための切り札になります。まずは自力で避難する自助、そして周りと助け合う共助、最後にプロの公助が来る。それを意識して避難してください。
Q 震災を経て、消防団として今後どうしていきたいですか。
A 今後の一番の目標は、殉職者を出さないことです。もう消防団をやめてほしいという団員の家族の声も聞きました。でも、消防団をやっていてよかったと言ってくれる団員もいました。今後は、無理をせず、自分の命を最優先にするよう徹底していきたいです。

取材を終えて

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「津波てんでんこ」の意味をあらためて実感しました

あらためて「津波てんでんこ」の伝えたいことを感じることができたという団長の話を聞き、震災を経験したからこそ、その言葉の一つひとつが重みを持つのだとわかりました。経験者から話を聞くこと、また後世へと伝えることの大切さを実感しました。今回聞いた話を私の周りの方へ伝えていきたいです。

こくみん共済 coop  総務部 部長
高地正

取材協力:気仙沼市消防団 団長 武山文英さん 気仙沼市 総務部 危機管理課 消防団係 主査 菅原幸典さん

取材日:2012年10月26日

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