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被災者・被災地の復興へ向けて―東日本大震災を乗り越えて

自然をあなどらず、自分の命を守ることに主体性を持つ

群馬大学大学院教授 広域首都圏防災研究センター長 工学博士 片田 敏孝さん

  3月11日に東日本をおそった未曾有の大震災。地震と津波の甚大な被害に加え、福島第一原子力発電所の事故による二次被害が震災をさらに深刻なものにしているのが現状です。
  こうした状況の下、私たちに何ができるのでしょうか。
  本連載では、東日本大震災の復興に向けた様々な取り組みやビジョンをレポートすることで、よりよい復興に対する理解と議論を深めていきたいと考えています。

釜石市の防災・危機管理アドバイザーを務め、今回の津波から多くの小中学生が生き延びた「釜石の奇跡」の立役者である群馬大学大学院教授 片田 敏孝氏に、津波防災に関わるようになった経緯や防災教育のあり方、今後の心構えなどについて聞きました。

 


被災から10ヶ月後の釜石東中学校(2012年1月11日撮影)

 

津波に対する関心のなさへの危機感から、防災教育を始める

釜石市で津波防災の活動に関わるようになった経緯をお話下さい。

片田 2004年12月に起きたインド洋大津波の被災地で、大変悲惨な状況を見ました。ところが、当時の日本はTSUNAMIという言葉が国際的にも通用するほどの津波常襲地でありながら、津波警報が出ても、ほとんど逃げる人がいないというありさまでした。このままではインド洋沿岸で見た光景が日本でも展開されると思い、全国の沿岸部で講演会を開きました。しかし、来る人は防災意識の高い人ばかりで広がりを持たないのです。そこで、拠点を定めて犠牲者ゼロの地域を作り、それを水平展開しようと考えて、岩手県の釜石と三重県の尾鷲を選びました。

  釜石で学校に行き、子どもたちに「津波がくるのを知っているか」と声をかけると、「知っているよ」といいます。そこで「逃げるか」と聞くと、「逃げない。うちはお父さんもおじいちゃんも逃げない。釜石には大きな堤防ができたので、昔とは違うんだ」とあまりにも自信満々にいうのです。「このままではまずいな」と強く思いました。三陸沿岸を襲うのはプレートの境界付近で発生する海溝型地震に伴う津波ですから、数十年から100年に1回程度という周期性があり、その子どもたちの一生の間に必ずやってくるわけです。

なぜ、防災教育が重要だと考えたのでしょうか。

片田 子どもは家庭や地域など与えられた環境の中で意識を作り上げていきます。「逃げない」と考えているとすれば、それは家庭や大人、社会がそう考えていることの反映です。ですから、大人、社会の責任として、津波襲来の時に子どもたちの命を守ることができるようにしようと考えました。

  また、広がりが持てないという全体状況を変えていく上でも、子どもの教育がカギだと思うようになりました。防災教育を10年やると、12歳だった子どもは22歳の大人になります。さらに10年やると、32歳になり、子どもを持つ親になります。10年で一区切りの防災教育を2サイクルやれば、防災意識を持った親の下で子どもが育つようになるのです。教育の継続は文化の醸成だと思い至り、その方が犠牲者ゼロの町作りの上でも、効率がよいように思えてきたのです。

 

やってはいけない“脅しの防災教育”と“知識の防災教育”

どんなことをやられたのでしょうか。

片田 釜石市内の先生たちに集まってもらい、講演会を開き、2年間かけて、一緒に防災教育のテキストを開発しました。あえて2年間かけたのは、先生たちに「防災教育とは何か」を理解してもらうためです。防災教育で一番やっていけないのが“脅しの防災教育”です。「釜石は津波の常襲地帯で、明治三陸大津波では人口6,500人の内、4,000人が死んだ。逃げなければダメだぞ」というやり方です。これはリスクコミュニケーションの中で、恐怖喚起のコミュニケーションといわれ、一番やってはいけないものです。恐怖心を与えられて作り出された意識は簡単になくなってしまいますし、子どもたちは釜石のことが嫌いになるだけで効果がありません。

  次にやってはいけないのが“知識の防災教育”です。「知識を与えれば、子どもたちは合理的な行動を行うようになる」というのはもっともらしく聞こえますが、間違いです。人間は災害に関わる問題について、知識を持っていても、合理的な行動がとれません。三陸沿岸の人々は皆、地震があれば津波が来ると、知っていました。海溝型地震による津波は周期性があり、まもなく襲来することが分かっているのに、津波の浸水域の中に、家を新築するという一見不合理な行動をしていました。

  人間は自分が死ぬことやリスクに関する情報をまっとうに理解できません。例えば、交通事故で年間5,000人が亡くなっていても、自分が事故に遭うとは考えず、宝くじが1等5,000本だといったら、当たるように思います。このように、悪いことを軽く見るのに加えて、自分の死を合理的に考えず、常に生きていることを前提に、ものを考えます。誰にも訪れる死を直視しないから、今この瞬間を幸せに暮らせるのです。

 

自分の命を守ることに主体性を持つ“姿勢の防災教育”の展開を

今回の津波ではどうだったのでしょうか。

片田 釜石東中学のある釜石市鵜住居(うのすまい)地区で、亡くなった人を地図に落としてみると、ひとつのラインが浮かび上がります。それに釜石市作成の津波ハザードマップを重ねてみると、そのラインは想定した浸水地域と非浸水地域を分けるもので、死亡者は非浸水想定地域に集中していました。海に面した釜石東中学の生徒は皆逃げて助かったのに、安全だと考えていた地域で多くの人が亡くなっているのです。これは本当にショックでした。

  人間は非常ベルが鳴るような極めて危険な状態にあっても、逃げません。「逃げない」と意志決定しているのではなく、「逃げる」という意志決定をしていないのです。自分が死んでいる状態を考えたくないので、「逃げる」と決めたくないのです。教室であれ、地域であれ、「誰も逃げていない」など、逃げないことを正当化する理由は簡単に見つかります。これを正常化の偏見といい、非常ベルが鳴っても、危険な状態ではなく、正常な状態にいると思いたいという人間の心理の特性です。これがあるので、逃げないことが常態化し、下手をすると、皆ひとまとめになって死んでしまいます。

  こうした中で、与えられる防災に関する知識は嫌な情報なので、それに上限値を設けてしまいます。自治体作成のハザードマップで示された津波到達地域の外側に住んでいれば安心、誰も危ないとは考えません。これが災害イメージの固定化を招き、鵜住居地区のように、ハザードマップの外側で多くの人が死んでいく原因になるのです。

難しいですね。どのような防災教育をすればよいのでしょうか。

片田 私は“姿勢の防災教育”といっていますが、自分の命を守ることに主体性を持つことができるようにすることです。そして、その前段で重要なのは、敵を知るよりも己を知ることです。皆、不安なので、「どんな津波が来るのか」と知りたがりますが、答えは非常に簡単で、「分からない」です。相手は自然なので、ハザードマップ通りに津波が来るはずはありません。実際、今回の津波でも、様々な想定がありましたが、全く役に立たず、巨大津波に襲われました。

  ですから、必要なのは「相手は自然なので、どんなことでもありうると考え、決してあなどらず、自然に対する畏敬の念を持って、津波・地震が来た時には、逃げることにベストを尽くす」ことです。これが“姿勢の防災教育”です。

 

防災大国としての“災害過保護”状態が災害死を生む

言われてみれば、当たり前のことです。なぜそれが浸透していないのでしょうか。

片田 日本はプレートのつなぎ目にあって、地震や津波、台風などの災害が極めて多い、先進国では唯一の災害大国です。だからこそ、極めて高度な防災対策が実施され、人々は人為的に作られた安全の上で、生活しています。まさに、防災大国です。例えば、河川は「100年確率」といって、100年に1度降るかどうかの豪雨に備えた治水が行われています。100年というと、ほぼ4世代前ですから、「ひいおじいちゃんの時代に、大水害があったらしい」といって、守りを固めているわけです。ところが、ひいおじいちゃんの代というのは人の感覚にとっては「ない」に等しく、人々は「もう水害はない」という意識になっています。今のような対策が実施される前は、小さな水害であっても皆が経験していました。ですから「あそこはいつも湿っているから家を建てるな」など災害をやり過ごす智恵が共有されていましたし、地域の若者が土のうを積んで、集落を守る共同体意識もありました。防災態勢の整備は、こうした智恵や自らを守る意識を失わせ、住民は無防備になり“災害過保護”の状態になっています。

  そうして、自分の命を自分で守るという主体性がなくなっている人々に襲いかかるのが、100年確率を超える大きな災害です。洪水は100年確率で定義できますが、津波はできません。ですから、歴史に残っている過去最大級のものを想定して、対策を講じています。宮古市田老の万里の長城といわれる防潮堤やギネスブックに載った、30年かけて築いた釜石の水深63mから立ち上げた湾口防波堤も明治三陸大津波を想定して作られました。そうすると、地域の人々は「もう安心」と思い、逃げなくなります。今回、田老でも釜石でも、「あの防波堤があるから、大丈夫」といって逃げずに亡くなった人がたくさんいるのです。

 

最優先課題は災害ごときで、人が死なないようにすること

そこで、自分の命は自分で守るという主体性を持つことが重要になるわけですね。

片田 その通りです。相手は自然ですから、どんなこともあり得るわけです。人間が想定したハザードマップや防波堤を信用することはできません。津波が大きかろうが、小さかろうが、関係ありません。その日その状況下で、これ以上やることがないという行動をすることです。ただ人間は自分の死を直視できないし、正常化の偏見もあり、なかなか最善の振る舞いをすることができません。そうした自分を知り、己を律して、精一杯逃げるという姿勢を持つようにするのです。

  今回、釜石の子どもたちは本当に見事で、地震の揺れを感じると同時に、皆逃げることだけを考えました。釜石東中学の生徒たちのように、避難に避難を繰り返し、高いところへ高いところへと逃げました。ベストを尽くして、逃げ続けて、命を守ったのです。

今回の震災で2万人以上の死亡・行方不明者がでました。釜石の子どもたちのように、行動すれば、死者を減らすことができたのでしょうか。

片田 できたと思います。1995年の阪神・淡路大震災以降、被災者の支援と生活再建面では様々な進歩がありました。被災地に行くと、目の前に被災者がいるわけですから、誰もがその人たちを精一杯助けようとします。しかし、被災者は生き残って、今を苦しむ人たちであって、その背後で一番悔しい思いをしているのは亡くなったり、行方不明になっている人たちです。その声は私たちには直接届くことはないのですが、私たちはその悔しさを想像することはできます。

  人間は誰でも、人に看取られ、家族と最後の言葉を交わしてから、死んでいくべきだと思います。それなのに、朝、「行ってきます」と出かけたら、午後津波に襲われて、朝の挨拶が永遠の別れになってしまい、ご遺体もないのでは、誰も納得できません。そう考えると、防災で最優先すべきことは、災害ごときで人が死なないことです。阪神・淡路大震災以降進んだ生き残った人への支援は最優先事項ではありません。最優先すべきは死者をいかに減らすかであり、人々に生き延びる力を与えることなのです。

 

できうる限りの対策を施し、災害時はベストを尽くして逃げる

これから、私たちはどうしていったら良いのでしょうか。

片田 自分の命を守ることについて、人に委ねず、主体性を持つことです。責任の所在を自治体や国など外部に求めていたのではいつまで経っても犠牲者は減りません。そして、子どもたちは親の背中を見て育っていくことを考えれば、今の状態のままでは、子どもたちが自分の命を守る主体性を持つことはできません。次の時代を作る子どもたちが生きていくためにも、大人たちは自分の命を守るという主体性を持たなければなりません。

  首都直下型地震の確率が高まったことが報道されていますが、私は「右往左往するな」といいたいのです。自然は何も変わっておらず、人間の想定が変わり厳しくなっただけなのに、オロオロしている人が多いわけです。自分の命は自分で守るという主体性がないので不安になるのです。災害大国ですから様々な災害リスクがあります。不安がる前に、自分でできうる限りの対策をするべきなのです。地震対策でいえば、建物の耐震補強と家具の固定をすることです。

  釜石の子どもたちがやったように、自然に対して謙虚になり、時として襲いかかってくる災害に遭っても、たくましく生き延びることができるように、できる限りの対策を行い、その時を迎えたら、懸命に逃げる、そうした主体性を持つことが求められているのです。

 

 

 

 

片田 敏孝


 

群馬大学大学院教授 広域首都圏防災研究センター長 工学博士。

1960年岐阜県生まれ。1990年 豊橋技術科学大学大学院博士課程修了。
釜石応援ふるさと大使
(株)IDA社会技術研究所 取締役所長
東京大学客員教授
豊橋技術大学客員教授
静岡大学客員教授

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