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被災者・被災地の復興へ向けて―東日本大震災を乗り越えて

今日よりも明日の方がよくなると思える支援を

東京災害支援ネット(とすねっと)代表 森川 清弁護士

  3月11日に東日本をおそった未曾有の大震災。地震と津波の甚大な被害に加え、福島第一原子力発電所の事故による二次被害が震災をさらに深刻なものにしているのが現状です。
  こうした状況の下、私たちに何ができるのでしょうか。
  本連載では、東日本大震災の復興に向けた様々な取り組みやビジョンをレポートすることで、よりよい復興に対する理解と議論を深めていきたいと考えています。

今回は、東日本大震災発生直後、弁護士・司法書士、市民の手で被災者を支援する「とすねっと(東京災害支援ネット)」を立ち上げた弁護士 森川 清氏に、設立の経緯や活動の様子、今後の被災者支援の方向性などについて聞きました。

 

 

避難所にボランティアが入ることで、ニーズが明らかになる

3月19日にとすねっと(東京災害支援ネット)を立ち上げ、被災者や支援者への情報提供を始められました。その経緯をお聞かせ下さい。

森川 震災直後、東京都は綾瀬の「東京武道館」や「味の素スタジアム」、「東京ビッグサイト」に被災者の受け入れを開始しました。そこで、支援に入りたいという要請をしたのですが、東京武道館を所管する東京都スポーツ振興局はボランティアを受け入れないというのです。食事も出ず、カップ麺と菓子パンを置くだけで、ボランティアだけでなく、弁護士会も入れないという状況でした。

  避難所にボランティアが入らず、行政と被災者だけだと、「縦の関係」になってしまい、被災者は「今、この場所においてもらっているだけで、ありがたい」となって、被災者のニーズは引き出せません。そこに、ボランティアが入ることで、「横の関係」が作り出され、ニーズを引き出すことができるのです。ですから、ボランティアが入るのはとても重要で、実際、埼玉県では「さいたまスーパーアリーナ」などの避難所にボランティアを積極的に受け入れて、ニーズを引き出していました。

  そこで、せめて被災者に必要な情報だけでも提供しようということで、弁護士と司法書士、市民によるネットワークとして、「とすねっと(東京災害支援ネット)」をスタートさせました。その後、食事も出るようになり、多くの抗議が東京都や東京武道館に寄せられたこともあって、3月29日にはボランティアも入れるようになりました。

行政と被災者の縦の関係の問題について、もう少し詳しく聞かせて下さい。

森川 行政は災害支援のプロではありません。福祉部局であれば、もう少し上手にニーズをつかむことができたかもしれませんが、スポーツ振興局は施設を管理するのが仕事で、被災者のニーズをつかむための何の訓練も受けていません。加えて、避難する人が健康面などで問題がないことを前提にしているので、「体調の悪い人はお断りします」ということになります。そうすると、被災者は「避難所で、具合が悪いというと追い出されるのではないか」と思うようになり、問題を抱えていても、隠すようになってしまうのです。実際、福島から避難所に入れるかどうか、確かめに来た、認知症のお母さんを抱えたご夫婦が、「3人まとめて来なければダメ」「一緒に入れるかどうかは、その時でないとわからない」といわれて、途方に暮れていました。 避難してきている人は大なり小なり、何らかの問題を抱えています。そのニーズを吸収する仕組みを作る必要があるのですが、それは公務員だけでは難しく、そこにボランティアが果たす大きな役割があるのです。

 

ネットやニュースで、日々変化する情報を提供

とすねっとはどのような活動をしてきたのでしょうか。


2011年3月28日発行の「とすねっと通信」第4号

森川 まずできることは行政などに対して、意見をいうことと情報提供だと考えて、ウェブサイトやブログを始めました。支援に入れない中で、苦肉の策という面があったのですが、サイトへのアクセスを見ても、被災者や支援の人たちが国や各自治体の制度や施策を理解する上で、役に立ったと思います。東電福島第一原発事故の終息の見通しが立たない中で、避難地域の拡大に関する厚労省の通達など、日々出される情報も変化しています。主に支援する人たちがそうした情報をつかむために、サイトにアクセスすることが多いようで、情報を的確に伝えることの重要性を改めて認識しました。

  また、避難所ではほとんどの人がネットにアクセスすることができないので、直接手渡す「とすねっと通信」というニュースを作りました(図1)。東京武道館版、ビッグサイト版、味の素スタジアム版、神奈川版と内容をそれぞれに合わせて編集して配ることで、避難者が困っていることが明らかになり、ニーズが浮かび上がります。さらに、3月末には、「もうすぐ桜が咲きます。近くの公園に出かけてみませんか」というチラシも作りました(図2、図3)。4月9日にはある相撲部屋にお願いして、炊き出しもやりました。大したことではありませんが、日常生活の中では当たり前のことを呼びかけたりすることで、被災者が「今日よりも、明日の方がよくなる」と少しでも思えることを目指して、支援をしてきました。


2011年3月29日発行の「こども とすねっとつうしん」

同じく「こども とすねっとつうしん」の周辺公園案内

 

手元のお金を残しての最低限度の生活保障が必要

今後の被災者支援はどのような形で行われるべきだとお考えですか。

森川 物的支援、コミュニティの再生、解雇を防ぎ、仕事を作り出すこと、の3つが求められます。1つ目の物的支援では、まず急がれるのが住宅の確保です。避難所では何十、何百の家族が一緒に生活しているわけで、個室か二人部屋というホームレスの人たち向けの宿泊施設よりも劣悪な環境です。東京は被災地ではないわけですから、都営住宅やURの住宅などを大量に提供して、その状態を一日も早く解消し、憲法25条が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」に変えていく必要があります。

  そうした支援を行う際には、被災者の後々の生活を考えて、生活の保障のために、災害救助法を最大限に活用したり思い切った生活保護法の運用を行うべきだと思います。災害救助法は裁量性が高く、行政が出したいものを出すという面があり、生活保護のように、権利性が明確になっているわけではありません。しかし、現実には被災者に対する給付が最低限度の生活を満たすものでなければ、持ち出しがどんどん増えてしまいます。いつ仕事に付けるか分からない、いつ自宅に帰れるかわからない、いつ家を建てられるか分からないという中では、自分の持っているお金が減っていくだけで、大きなストレスになります。ですから、立ち直って生活していくためのお金はできるだけ手元に残しておく必要があります。

  現在の生活保護は生活が破綻した人を救済する事後救済の制度ですから、自分の持っているお金のほとんどを使い果たさないと、受けることができません。被災者が何もなくなった状態で、生活保護を受けたとしても、その段階では精根尽き果てたようになってしまっていますので、自立することは非常に難しいと思います。ですから、被災者ができるだけ自分のお金をつかわずに済むような形で支援して、生活保護の受給に至る以前の段階で、災害救助法を駆使したり、生活保護の運用でできる限り自立の資金の保有を認める方向で、生活を再建していく足がかりをつかめるようにすることが大切です。

 

コミュニティを再生し、解雇を防ぎ、仕事を作り出す

コミュニティの再生という面ではどうでしょうか。

森川 阪神・淡路大震災では避難所から仮設住宅、復興住宅へという単線型復興の中で、住民の孤立が大きな問題になりました。その反省から、今回はコミュニティの再生が大きな課題になっていますが、宮城や岩手のように、原発事故の問題がないところでは、比較的再生に取り組みやすいと思います。それに対して、福島は原発事故の先行きが見えない部分があるので、非常に難しい問題があります。そうした中では、コミュニティが崩壊しきった状況から、再生に向かうのではなく、今の段階から、情報を流通させたり、人々が集まれる場所を少しずつ作ったりして、再生のための準備を始めていかなければなりません。

  例えば、被災者が被災地の避難所で被災した事実を共有している時は、皆で助け合うことができます。ところが、東京に来て都営住宅に入居してしまうと、周りに同じ経験をした人がいないため、孤立して、トラウマが表に出やすくなるなど、大変に厳しい状態になってしまう可能性があります。そうした状況を変えて行くには、通信を配ったり、同じ経験をした人が巡回するなどして、孤立させないようにしていく必要があります。

  今は緊急事態なので、福島県双葉町のように町役場が他の場所に移ってしまうこともあります。それでも、避難した人がコミュニティと切れていないのだという感覚を持てるようにすることが大切で、そのためには、情報を受け取るだけではなくて、自分からも発信することができる状態を作る必要があります。携帯電話やパソコンなど情報機器を使える人はそれを使うようにしますが、使えない高齢者が多いでしょうから、各自治体の拠点を都道府県単位で置いて、連絡を取り合ったり、訪ねて歩くようにします。そういうことが必要です。

解雇の防止や新しい仕事を作り出すという面ではどうでしょうか。

森川 計画停電や工場の被災、物流網の寸断などによって、企業活動が停滞し、被災地に限らず、全国で派遣切りや解雇の嵐が吹き始めています。震災だけに目を向けていると、つい見落としてしまいがちですが、2008年のリーマンショック後の派遣切りよりも、さらにひどい状況になる可能性があることを見ておく必要があります。被災していない地域なのに、震災を理由に解雇されるような人を出さず、誰もが働くことができて、それによって、社会に貢献できるような状況を作っていかなければならないと思います。

 

被災者の孤立感を弱める直接的な支援も大きな意味

私たちはどんなことをすればよいのでしょうか。

森川 物的支援には、国民全体の理解が必要です。国が資金を出して、各自治体が実際の施策を行うわけです。東京武道館へのボランティア受け入れの拒否に関しては、大変な抗議や東京都や武道館に寄せられ、それがボランティアの受け入れにつながりました。同じように、被災した人たちの最低限の生活を保障して、立ち直る仕組みを作っていけるように、私たち1人ひとりが声を上げていくことが大切だと思います。

  コミュニティの再生も自治体主導は変わりませんが、コミュニティと一緒に生活することを選ばず、外に出てしまう人もいます。そうした人たちの受け入れを考える時に、被災していない人だからこそ、可能なこともあります。派遣切りや解雇に関しては、私たちは法律家として相談活動を進めていきますが、新たな雇用の場の創出なども含めて、様々な立場の人たちと協力して、取り組んでいく必要があると考えています。

  被災地ではこれから仮設住宅も建てられ、入居が始まっていくわけですが、そこでは、特に高齢者や子供、障がい者など弱い立ち場の人たちの話しを聞いたり、一緒に笑ったり、泣いたりする直接的な支援も大切です。被災地の外から入ったボランティアが被災者の話を聞くことで、被災者の孤立感を弱めることが可能になります。そうしたことも含めて、被災者が今日よりも明日の方がよくなると思えるような支援が今、求められています。

 

 

森川 清(もりかわ きよし)


 

とすねっと(東京災害支援ネット)代表 弁護士

1961年東京都に生まれる。1984年東京大学法学部卒業。1984年から1986年まで川崎製鉄株式会社勤務。1988年から2002年まで葛飾区福祉事務所にてケースワーカー。2003年弁護士登録。日弁連第49回人権擁護大会シンポジウム「現代日本の貧困と生存権保障」実行委員、同第51回人権擁護大会シンポジウム「労働と貧困」事務局次長、同第53回人権擁護大会シンポジウム「子どもの貧困」事務局長を務める。現在、日弁連貧困問題対策本部運営委員、首都圏生活保護支援法律家ネットワーク事務局長などを歴任。

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