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今月の「生きるヒント」

シリーズ 人生のチャレンジ 移住を選んだ人たち 第21回《前編》木村 聖子さん

生活に追われながら、いるべき場所を探し続けた。背中を押された崖っぷち、飛んでみたら追い風だった

後編はこちら

プロフィール
きむら・せいこ/青森県出身。原子力施設で知られる六ヶ所村で、鮮魚の小売り・卸業を営む家庭に生まれる。田舎のあれこれと、保守的な両親が息苦しく、早く家を出たいと思いながら育った。高校から実家を離れ、下宿やハウスシェアを経験。以降の人生においても、さまざまな住まい方をする。高校卒業後は両親の反対を押し切って上京し、ファッション業界を志すも挫折。経済的にギリギリだったが、留学を夢見て資金稼ぎのために働き、25歳でついに渡英を果たす。やがて英語力こそ身につくが、風土などが自分には合わないと感じて2年で帰国。東京で再び生活に追われる日々に突入した末に疲れ果て、沖縄暮らしを経て岐阜県郡上に移住。2014年に郡上八幡にゲストハウス「まちやど」オープン。まちやど公式サイト
木村聖子さんのじぶん年表

一日も早く、地元を離れたかった

― ご実家は青森県の六ヶ所村で、鮮魚を扱うご商売を。

木村さん:そうです。小さい頃からよく手伝わされました。姉一人、兄二人の末っ子だったのですが、女だということと、12歳も上の姉がちょっとピントがずれたような人だったことで(笑)、家業も家事も早くから私にお鉢がまわってきまして。手が魚臭くなるのが嫌でした。

― おうちが、あまり好きではなかった…?

木村さん:嫌いでした。商売をしているからですかね、なにをするにもお金と引き換えのような考え方を小さい頃からインプットされて、「働かざる者食うべからず」という感じ。夕方5時の鐘で友だちと遊ぶのをやめて買い物に行き、家族の夕飯の支度をする子どもでした。おまけに「高卒で十分。高校卒業したらさっさと結婚」と言われるんですよ。

― 40年近く前とはいえ…。

木村さん:保守的な田舎だったというのもあるかもしれませんけど、両親が古い人たちで。あ、今は両親とも関係は良好です。

― 良かったです。でも、そうした子ども時代が、木村さんの自立心を強くしていったのですかね。

木村さん:家だけではなく、友人関係も閉ざされてたんですよ。保育園から小中とずーっと同じ14人の同級生ですもん。息がつまる思いでしたが、親に話しても相手にされず、友だちとも同じ感覚は共有できない。もっと広い世界を見たくて、早く地元を離れたくてたまりませんでした。

ご近所でよく会うワンちゃん。飼い主の方いわく、木村さんのことが大好きなのだそう。

― それで遠くの高校に。

木村さん:地元では小さい頃からずっと、「お勉強のできる子」だったんです。なので、実家を出て進学校に行かせてもらう口実はありました。

― 立派!

木村さん:勉強ができることで自分もその気になってましたね。常に一番でしたから。なにせ狭い狭い地元での話なのに、典型的な井の中の蛙です(笑)。

長年お金に縛られていた

― 高校卒業後、上京されて、それからはずいぶん頑張って働かれた。

木村さん:地元に戻って公務員にでもなり、さっさと結婚してほしいと願う親の反対を押し切って上京しましたから。幸い姉が説得してくれて、2年分の専門学校の学費は出してくれることになったのですけれど、生活費の確保のために終電まで働く毎日でした。

― ファッション業界を志されたのですよね。

木村さん:反動でしょうか、世界中を飛び回る仕事がしたいとヘアメイクやファッションデザインを学びました。ところが日中は学校、夜間は仕事で、お金ばかりか体力にも限界がきて、それにともない業界への夢も萎えてしまいました。

― 専門学校は中退されて、留学資金を貯めるべく、やはり頑張って働くのですよね。

木村さん: 私の人生、常に生活に追われてたんです(笑)。

― そこからは、現在は解放されましたか(笑)?

木村さん:解放されたという実感はありませんが、お金の心配ばかりしていて楽しみ切れない自分に気づきました。なにをするにもまず、「これにはいくらかかる。…だから無理か」と考え、そんな縛りから自由になるために、より稼ぎのいい仕事を探すようなことをしてきて。お金があればなんでも解決するような意識もありました。結局お金に縛られ続けていたんですよね。知らず知らずに、自分に制限をかけて、その中心にあるのが、いつもお金であったと気づくことができました。

留学資金を貯めるために実家に戻っていた時期、三沢基地で知り合ったアメリカ人の友人と。この頃はなるだけ英語を使う環境をつくるようにしていた。

― ご自身の受け止め方が変わったということでしょうか。

木村さん:ゲストハウス「まちやど」は、お金を借りて始めたんですよ!それまでの自分には考えられないことです。だけど今の方が、お金の使い方の緩急がわかるようになって楽です。もちろんまったく不安がないわけではありませんが、それを忘れるほどに、楽しくやれる予感のほうがずっと大きいです。

職を失ったことをきっかけに、ふっきれて…

ロンドンの語学学校時代、バイト先のカフェの仲間と。いろんな国の出身者が働いていた。

― そのように意識が変わったきっかけはなんだったのでしょう。

木村さん:私は25歳でイギリスに行って、2年過ごしました。いろんな経験ができましたが、語学力が身につくにつれ、会話の内容が政治や宗教などの深いところに至ることもあって、自分自身に語学力うんぬんではない足りなさを感じるようになりました。今一度日本で生き方を見直そうと帰国を決めたものの、東京に戻ってからもずっと、あれやこれやと常に人並み以上に働く生活に浸かって再び限界が訪れます。またしてもリセットして沖縄に行き、その後ここ、岐阜県の郡上八幡に落ち着きました。はたから見ると、住む場所も仕事もどんどん変えて、気のおもむくままに生きているみたいなのかもしれません。ところがその実、いちいち、いちいち、まずは考えてばかりいる性格なんです。日常の些細なことから、この先どうやって生きてゆこうということまで。特にお金のことは、ついてまわるわけですし。こちらでの最初のシェアメイトが、そんな私と真逆のタイプでした。考えるより動くのが先、お金もどうにかなるでしょう、の人。身近に見ているうち、「あれ?このほうが人生楽しいんじゃない?」って、思うようになったんです。

― なるほど、そうですか。

木村さん:東京時代、福祉関係の会社にいたとき、たくさんの高齢者と接して、その方たちのいろんな人生に触れて、豊かさについて考えさせられた経験も大きかったと思います。

夏の暑い日は、足をつけて涼むと最高。

― その結果、今こうして、楽しんでいらっしゃるのですから、ご苦労も報われましたね!

木村さん:はい、文句なしに、今が一番楽しいです。私、「まちやど」を始める前にしていた仕事を、突然クビになったんです。思いがけないことでショックではあったのですが、その職場でも、自分がやりたいことと、与えられる役割のギャップに悩んでたんですよね。今は、当時の社長が、そんな私の背中を押してくれたのだと解釈しています。崖っぷちだと思っていましたけど、落ちなかった(笑)。

― 背中を押されて飛んでみたら、飛べた(笑)。

木村さん:そうなんです。しかも追い風(笑)!視界はクリア。