今月の「生きるヒント」

シリーズ 人生のチャレンジ 移住を選んだ人たち 第12回《前編》ミュージシャン 宮田誠さん

音楽に導かれ、音楽と共に生きてきた。これからも、精一杯の愛を込めて

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プロフィール
みやた・まこと/鹿児島県出身。北海道で過ごした少年時代、兄の影響で音楽に目覚め、バンドを組む。北海道のバンドコンテストで賞をとり感触を得て、高校卒業後に上京。仲間とのバンド「KUSUKUSU」が、当時人気だったバンドのオーディション番組で話題となり、20歳でメジャーデビュー、大ブレイクして一躍アイドル並みの人気者に。KUSUKUSU解散後はよりマイペースに音楽活動を続け、36歳でソロアルバムをリリース。東日本大震災を機に沖縄に移住。妻とのユニットhacomacoをはじめ、複数のバンドに参加しながら、ライブで全国をまわっている。
宮田誠さんのじぶん年表

震災後、家族4人で南国へ

― 高校卒業と同時に上京して、それからずっと東京を拠点に音楽活動をされていましたね。沖縄へは震災後に。

宮田さん :振り返ると、“段取り”みたいな期間だったのかと思うのですが、東京で長く生活したあと、30代の後半からは、神奈川県の藤沢や横須賀に移ったんです。だから沖縄移住までにワンステップありました。自分にとっては、いきなり東京からここに来るよりも、その期間があったことが良かったみたいです。

― 海へ海へ近づいて行った感じですね(笑)。

宮田さん :そうですね。自分にとって音楽をつくるのにいい環境を求めてきたら、自然とそうなっていきました。

KUSUKUSUのドラマーとして人気を博していた頃。

― 都会はあまり良くなかったですか?

宮田さん :東京は慣れ親しんだ場所でもあるし、今も年に何度かライブなどで行きますけれどね。電車に乗ると、吸い取られるような感じがして(笑)。子どもたちを連れて乗ったら、彼らも、たくさんの人がいるのに、言葉を交わさず、それぞれがスマホをいじったりしている様子を異様に感じたみたいでした。

― 確かに、宮田さんの音楽について言えば、そうした環境の中からは出てきづらい感じがします。ただ、離れた直接的なきっかけは東日本大震災でしたね。

宮田さん :じきにふたり目の子どもが生まれる頃でした。一次避難的に現在両親が住む鹿児島に身を寄せ、生まれたあとも戻らないと決めて、落ち着く先を考えました。もともと、自然に囲まれた環境で子育てがしたいと、妻も言っていたんですね。候補は沖縄だけではなかったのですけれど、ライブで来ていた土地で音楽仲間もいたし、ここでなら籠っても音楽が出てきそうな気がしました。

いい音楽をつくるため、必要な経験をしている

左上から時計回りに:夫婦のユニットhacomaco、沖縄で仲間と組んだTROPICALISM、2005年にリリースしたソロアルバム

― 東京から遠く離れて、仕事面で不安はありませんでしたか。

宮田さん :なくはないですが、それでひどく迷ったり、悩むことはありませんでした。実際、移って来てからは経済的にこそ大変でしたけど、後悔するようなこともなく。3年経って、やっと軌道に乗ってきたというか、仕事の面でも充実してきました。でもまだ、今は下積みの勉強をするときなんだと思っています。

― 宮田さんはキャリア25年以上ですが、下積みですか。

宮田さん :僕にとって音楽は仕事であり人生です。いい音楽をつくるために、今も人として頑張っている途中。いろんな人と、いろんなところに出て行って、うまくいくこともそうじゃないことも経験して、傷ついたり豊かになったりして。

― 若くしてKUSUKUSUで大ブレイクして、解散後、苦労されたこともあると思うのですが。

宮田さん :KUSUKUSU時代、いろんな取材を受けて、目標や夢を聞かれました。当時は飛ぶ鳥を落とす勢いという感じでしたし、ほかのメンバーは「世界制覇」みたいな(笑)、ビッグな発言をしてましたけど、僕はいつも、「この先もずっと、好きな音楽を好きな人たちと」のように答えてたんです。経済的には良くないこともありましたよ。今もそんなに良くない(笑)。でもその頃の目標や夢に裏切られたことはありませんから、今も変わらず、同じモノサシを持ち続けています。とても幸せだと思っています。

― その意味で挫折感はない。

宮田さん :震災のあとは落ち込みました。ずっと、楽しくやってきた音楽だったけれど、初めて、音楽やってる場合じゃないような気持ちになりました。それまでも心を込めて届けているつもりだったライブに対する思いも、もっと強くなりましたね。こうしてやれていることのすべてに、心底感謝するようになりました。メンバーが、生きてここにいてくれることひとつとっても、すごくありがたいと思えるようになって。

沖縄で、愛する者たちと。最高に幸せ

2010年夏、お台場海浜公園でのhacomacoのライブ。まだ赤ちゃんだった長男と。

― 震災後の移住先の沖縄は、宮田さんの音楽にどんな影響を与えたでしょう。

宮田さん :沖縄の音楽文化はすごいです。民謡あり、ロックあり、ジャズあり。アメリカの影響は知られていますが、もっと“ワールド”な感じです。以前は関東という狭い範囲で見ていたのが、沖縄に来てみたら、自然と視界が外に開けました。一番近い大都市も台北ですし、“ワールド”です。それに、身近に本物がいますよね。東京にももちろん、本物のミュージシャンは大勢いますけれど、ここでは出会いやすい。全体に音楽偏差値が高くて、日常に根づいていると感じます。

― 奥さまや、子どもたちは馴染んでいるようですか?

宮田さん :もうすっかり。子どもたちは小さいときに来ているので、沖縄っ子ですが、妻もここでの暮らしを楽しんでいます。素晴らしいビーチまで歩いて行けるような距離に住んでいるので、しょっちゅう家族で泳ぎに行っています。地元の人はあまり泳がないので、ここは沖縄人じゃないですね(笑)。

― 奥さまもミュージシャンですね。

宮田さん :そうです。彼女は歌を歌います。僕らは夫婦のユニット、hacomacoとして活動もしています。ふたりとも音楽を愛していますし、人とか、世の中、お金に対する価値観とか、世界の感じ方が似ているので、いろんなところに無理がないんです。

― よき環境で、よき理解者に恵まれて、幸せですね。

宮田さん :最高に幸せですね。世の中に対して、思うことはそれなりにありますが、個人として足りないものはないというか、欲しいものは全部そろっている感じがします。


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