認知症の人がホールスタッフをつとめる「注文をまちがえる料理店」や、がんを治せる病気にするプロジェクト「delete C」など、社会問題をユーモアあふれるアイデアで包み込むプロデューサー・小国士朗さん。エンターテインメントと新しいアプローチから話題を呼ぶ彼の企画は、どのような思いで生まれるのでしょうか。企画を進める中で出会った「たすけあい」と絡めながら、お話を伺いました。

二項対立を崩せば、共同作業が生まれる

ーー企画を進めていくなかで想像していなかった展開が起こりうると思うのですが、その中でも「予想外のたすけあい」に遭遇したことはありますか?

「注文をまちがえる料理店」で、大きなミルを用意しました。すごく大きいやつ。そうすると働くおばあちゃんたちはミルが重いので持ち上げられず、料理に胡椒をかけられないんですね。そんなときにお客さんが手を添えてお皿に持っていって『おばあちゃん今だ!!』『はいよー!』って言いながら胡椒をミルでガリガリやるのを見たんです。

『お客様は神様だ』という考え方は今も根強いですが、その発想だと「注文をまちがえる料理店」は成り立たないんですよ。ホットコーヒーにストローが入っていたりとか、一人にサラダが3つくらい出てきたりとかするんで。支える側・支えられる側、サービスを提供する側・される側、といった二項対立は崩さないとダメなんです。だから、あえて大きなミルを用意しました。

▲出典:「 "注文をまちがえる料理店 " 2018 レポートムービー」より

ーーあえて用意したものなんですね。

そうです。そしたらその小道具がめっちゃ活かされて(笑)。まさに予想外ですよ。『こんなに活きるんや!』って。みんなが和気あいあいと胡椒をミルで挽いてるだけなんですけど、支え合おうと言わなくても勝手に二項対立がなくなって、共同作業が生まれるんですよね。意図して置いた小道具だけど予想以上に良かったな~と。

二項対立を無くすという点では「delete C」も同じですね。「delete C」はガンの治療研究をみんなで応援しようという仕組み。お医者さんって孤独なんです。僕らはいつも、お医者さんは「答えを持っている」「何かを処方してくれる」「患者はそれに従う」と勝手に思い込んでいるけど、じつはお医者さんは、応援されたいという気持ちを持っています。やはりここも二項対立を取り除く必要がある。たすけあいや支え合いが重要なのかなという気がしますね。

社会問題との出会いを、思わず笑ってしまう瞬間へとデザインする

ーーガンや認知症って、すごく怖いものとして認識している人もいると思うんです。でも、実際はガンや認知症であっても明るく生きている方がものすごく多いですよね。実際に触れ合わないと怖いイメージが覆らない気がしていて。そこに触れるきっかけがなかった人たちを巻き込む企画の発想が魅力的だなと思うのですが、意識して構想しているのでしょうか?

そこは意識しています。僕はもともとNHKで番組制作をやっていたのですが、その中では「北風と太陽」の寓話になぞらえると、どうしても北風タイプの伝え方っていうのが多いんですよ。「この問題は大変だ、危ないぞ、やらなきゃダメだぞ」みたいな。そうすると人って最初は「大変だ!」と注目してくれるんですけど、だんだん慣れてくると「また暗い話か」って触れたくなくなってしまうんですよね。「怖い話」と記号化されて、先を見てくれなくなるんです。それがすごくもどかしくて。北風と太陽の例えに戻ると、僕は思わず旅人がコートを脱いでしまうような、太陽みたいにポカポカした企画をやりたい。だからエンターテインメントの力や笑いを意識しているんです。そのときのターゲットは常に「にわか」。それまで興味を持っていなかった人たちが、笑顔で近寄ってくれる企画にしたいと思っています。

僕も認知症の取材をするまでは「怖いな」とネガティブな気持ちがあったけど、実際に取材したらそんなことなくて。でも僕の認識が変わったのは、取材者としてたまたまグループホームにいく機会があったから。日常的に『明日休みだ!グループホームに行こう!』って絶対にならないじゃないですか。100%ない(笑)。

それで、出会い方が大事だと思ったんです。その問題とどうやって出会うかで、イメージが全然違ってきてしまうから、思わず笑いながら出会うようなあったかい出会い方をデザインしたいなと意識しています。ポジティブな企画を通した出会いがきっかけで、認知症やガンの治療研究に対する捉え方が変わるといいなと考えていますね。

ーー最初に『楽しい』『行ってみたい』と、きっかけがあってそこからつながっていくんですね。ダイバーシティや共生社会を最初に掲げてしまうとハードルが高くなって参加しづらくなってしまうのかなと感じました。

「この指とまれ」だと思っているんですよね。プロジェクトを進めるときは。

鬼ごっこをするときに、誰が・どのタイミングで・なんて言葉をかけるととまりたくなるか、子どもって自然と考えてやっていると思います。例えば『小国くんがやると人が来ないな』みたいなことがあるわけですよ(笑)。指の立てかた一つで全然違うなと思っています。

「注文をまちがえる料理店」の場合、プロジェクト自体はとても良いけど、そこに込めるメッセージが『認知症の人がキラキラ輝ける社会をつくりたいんです!』だと、指にとまってくれるのはすでにその問題に意識がある福祉の人が多くなってしまう気がしました。でも、それだとこれまでと参加するプレイヤーが変わらない。

『間違えちゃったけど、まぁ、いいか』という指をたてたから、『面白い』『確かに』って思ってくれるにわかがいっぱい来てくれる。メッセージの込め方はかなり意識しています。

ーーその仕掛けが大きなミルなんですね。

そうです!その表現としてあえて大きなミルを使ったりしているんですよね。

僕にとっての「たすけあい」と「企画」

ーー小国さんがインタビューや登壇の際によく言及している「シェアイシュー」ってどんなものなのでしょうか?

シェアイシューは、課題を解決するときに一人で抱えこみすぎないほうが良いな、という思いがスタートです。なんでも自分で頑張って解決しようと思うと遅いし、たいしたものにならないので、課題を世の中に放り出してシェアし、各々ができることをやっていけばいいと思っています。そこに集まって来る人たちも「たすけあいたい」という意識ではなく自然とやって来る感じ。

その点、バンド活動に超似ているんですよ。『俺ギター弾けるんだけど、ベースいないんだよね。できるなら一緒にやらない?』『え?歌えんの?一緒にやる?』『武道館目指そうぜ』みたいな、そんな感じなんです。

「たすけあい」という点だと、社会課題って社会受容の問題だなと思うことがすごく多いですね。課題を解決したいとき、一生懸命お金や法律などの体制を整備するのも大事なんだけれども、もっと社会の受容度が上がったほうがいいなと思っています。

例えば、ベビーカーで電車に乗りたい親御さんがいたのに拒否されたなんてニュースがあるじゃないですか。そこで、ベビーカー専用車両をつくるのもソリューションだけど、一人15cmずつ身を寄せれば乗れるじゃん、と。お金をかける必要はないんです。それが社会受容の問題だと思っています。

「たすけあい」って15cm身を寄せられるマインドじゃないですかね。専用車両つくらなくてもいいじゃんって、身を寄せるのが普通になったらいいなと。専用車両をつくるのもいいですが、それって新たな分断なんですよね。分断してしまうと、たすけあえないんです。だから、いかに混ぜていくか。その状態を普通にできるかが大事ですよね。

ーー小国さんの手掛けるプロジェクトは「注文をまちがえる料理店」「delete C」など、人だすけ・人に生きる場所を与えるような活動がすごく多いという印象なのですが、ご自身は「たすけあい」を企画の時点で構想の一つにおいてあるものなのでしょうか?

人をたすけたいとか、まったくないんですよね。

ーーまったくない!?

はい。驚くほどないです。例えば「delete C」だと、ステージ4のガンを患っている友人が『ガンを治せる病気にしたい』と、僕に相談してくれて思いついたものです。でも別に彼女のことをたすけたいって思ったわけじゃないし、そんなことができるわけもない。僕ごときが認知症やガンの問題を解決して、「たすけあいしましょう」っていうのはおこがましいと思っています。

ガンや認知症の人たちも、ガンである前に人だし、認知症である前に人だし。その一個人としてリスペクトできるかどうかのほうがよっぽど大事ですね。

ーー結果的に「たすけあい」と捉えられるようなことがプロジェクトになっていたという感じなんですね。

そうですね。すべて結果的に、です。

僕はたすけあいたくて、共生社会をつくりたくて、企画をやっているわけではなくて。ただおもしろい風景だから、それを一緒につくろうぜとやっている。そんな感じなんです。

ーーなるほど。どの企画もそこに訪れた人たちが「怖いものじゃないんだ」と気づきを得るような仕掛けがあるなと思っていたんですが、それは狙ってやっているものなのでしょうか?

全然。興味ないんです。僕の中には、訪れてくれた人に○○をしてほしい、××を持ち帰ってほしいってのがないんですよ。

むしろ解釈は自由であってほしいと思っています。世の中には意味や意義、目的が多すぎて疲れちゃう。それよりも「何かよくわからないけど触りたい」といった感情を抱いてもらうことの方がよっぽど大事だし、そうやって触れた結果、その場で各々に勝手に意味を解釈して持ち帰ってくれるのが一番いいと思っています。

なので、一番困るのは「注文をまちがえる料理店を通して、社会にどんなメッセージを伝えたいですか?」と聞かれることです。

僕もメディアをやっているので、めちゃくちゃ聞きたいのはわかるんです(笑)。でも、そんなものはないんです(笑)。

映画を観にいったら最初に作者が出てきて『いいですか、みなさん。この映画のクライマックス、私はこんな意図でつくってます!』って言われたら最悪じゃないですか(笑)。もう興ざめもいいところです。

そうじゃなくて「注文をまちがえる料理店」に興味を持ってもらえたら、あとは好きに解釈してほしい。ある人は認知症にフォーカスするかもしれないけど、ある人は寛容性にフォーカスする。その解釈がたくさんあるほうが豊かだなと思っているので、僕が意味を規定することは基本的にありません。それをやってしまうとみんなが解釈の大喜利ができなくなりますしね。意図や意義、意味は後からついてくればいいと思っています。

小国士朗(おぐに しろう)
2003年NHKに入局。ドキュメンタリー番組を制作するかたわら、200万ダウンロードを記録したスマホアプリ「プロフェッショナル 私の流儀」や世界1億再生を突破した動画を含む、SNS向けの動画配信サービス「NHK1.5チャンネル」の編集長の他、個人的プロジェクトとして、世界150か国に配信された、認知症の人がホールスタッフをつとめる「注文をまちがえる料理店」などをてがける。2018年6月をもってNHKを退局、フリーランスのプロデューサーとして活動。

(写真:5歳、かえで 編集:はつこ)