「本当にありがとうございます。絶対に恩返しします!」
「いいのよ、みんなしてきてもらったことだから。もらった分、今度はあなたが次の世代に恩を送ってあげてね。」
私が今までで一番、人にたすけてもらったのは、アメリカの大学を受験したときだと思う。そのときに学んだ言葉「恩送り」は、今でも心のお守りだ。

受験生だった頃の思い出

高校2年生の冬。周りの友だちが進路を理系・文系どちらにするかを決める中、私はどこからともなくアメリカの大学に進学するという選択肢を引っ張り出してきた。帰国子女でないどころか、海外経験は韓国旅行の3日間だけ。担任は古典の先生で、親は中学生の妹よりも英語が話せない。周りの大人は、日本の大学とは仕組みも提出書類もまったく異なるアメリカの大学受験についてあまり知らなかった。

そんな状況の中、私はいろんな人のたすけを借りて受験を乗り越えた。志願書は、ボランティアで運営されているサマーキャンプで、海外の大学に進学した先輩にアイデア出しから手伝ってもらった。帰国子女の友だちには、提出する英語のスピーチを添削してもらった。高校1年生のときに担任だった先生に1年半ぶりに会いに行き推薦状を書いてもらったり、学校の事務さんに成績証明書を英語に訳して発行してもらったりもした。

行きたい大学のことをもっと知るために、アメリカにいる会ったこともない日本人の先輩にFacebookでメッセージを送りつけたことまである。塾の先生から「あぁ卒業生の〇〇さんって人がその大学だよ」と聞いた名前をメモして、検索して、「はじめまして」で始まる自己紹介をする。受験したのは10校前後だから、迷って受けなかった大学も含めると、相当な数の先輩にメッセージを送ったと思う。

会ったこともない高校生から突然送られてくるメッセージだから、無視されて当たり前。そう思いながら、メッセージを送る。でもなぜか、百発百中でていねいな返事がきた。
「大学の雰囲気ってどんな感じですか?」という1行の質問に対して、私の役に立つようにと配慮したさまざまな回答をもらった。入学したての頃に体験した大好きな教授との話を、iPhoneの画面いっぱいの長文で教えてくれる人。春の花々や秋の紅葉がきれいなんだと、校舎の写真を送ってくれる人。「受験時に知っておけばよかったなあって後悔しているんだよね」と、英語の勉強に使えるウェブサイトを一覧にして添えてくれる人もいた。

「本当にありがとうございます。絶対に恩返しします!」と心の底から感謝をしつつ、どうして会ったこともない私にそんなに時間を割いてくれるのか、当時は不思議で仕方がなかった。
あるとき返ってきた「いいのよ、みんなしてきてもらったことだから。もらった分、今度はあなたが次の世代に恩を送ってあげてね。」という言葉にもまだピンときていなかった。

大学生になってからわかった恩送りの意味

それから時は経ち、今年でアメリカでの生活も3年目。大学でも先輩としてふるまうことが多くなった。大学に入学してからというもの、毎年秋ごろになると「はじめまして」で始まるメッセージを、知らない高校生から受け取る。時の流れを感じながら、自分が通っている大学の説明、受験時に知っておきたかったことなどを返信する。

なるほど、恩送りってこういうことかと、実際に恩を送る側になって理解した。先輩が高校生の私にていねいなメッセージを返してくれたのは、それがどれだけうれしくてありがたいことか、身をもって知っていたからだろう。

先輩たちもきっと高校生のとき、簡単に見学に行くことができない異国の地にある大学の写真を送ってもらって、そこでの心温まる話を聞かせてもらって、受験の励みにしていたのだ。そして今の私が後輩に同じことをしているように、恩を次の世代に送っていた。恩返しは、恩をくれた人に恩を返すこと。恩送りは、もらった恩を、くれた人ではなく次の人に渡すこと。そうやってバトンを繋いでいくことだ。

恩送りという言葉を通して世界を眺めると、世の中は意外と恩送りであふれていることに気がつく。

アメリカの大学に入学して出会い、人生相談に乗ったり、深夜のラーメンに付き合ってくれたりして、たくさんお世話をしてくれた先輩は卒業してしまった。でも同じように今の私も、後輩の相談に乗ったり、誕生日を祝ったりしている。
電車で見ず知らずの、もう二度と会わないかもしれない妊婦さんに席を譲る。それは、私が怪我をしていたときや貧血で座り込んでしまったときに、たすけてくれた人がいたからだ。

実は友だちから、アメリカのスターバックスで起こった面白いできごとを聞いたことがある。
ドライブスルーで、とあるお客さんが後ろの人の分にと少し多めにお金を払った。そうしたら次のお客さんは、少し戸惑ったあと状況を理解し、「それなら私も」とまた次の人の分のお金を置いていった。そうやって恩送りのバトンが引き継がれ、最終的に11時間、378人もの人が「Pay it forward(先払い)」運動に参加したそう。
たすけあいが連鎖を生むなんてきれいごとだよ。そう言う人もいるかもしれないけれど、思っているよりも恩送りって続いていく。

恩送りであふれる世界に

もちろん、どこかで恩送りが止まってしまうこともある。続きすぎると、自分もたすけてもらったから仕方がないと、恩を送るというよりも義務を果たすような気持ちになってしまうこともあるかもしれない。

それでも本来、恩送りは気持ちがよいものだと思う。古代ギリシャの哲学者は「人間は生まれつき社会的な存在だ」と言った。それはつまり、人はもともとたすけあい、仲間をつくる性質を持って生まれるということ。

人はみんな恩を送られ、送って、暮らしている。カフェの店員さんが笑顔でコーヒーを差し出してくれて、辛いときは友だちがだまってそばにいてくれて、小銭を落としたときは後ろのおばあちゃんが一緒に拾ってくれて。

大切なのは、日々受けとる恩に気がつくこと。そして、もらった恩が溜まったときに、今度は自分が誰かに恩を送ることだと思う。恩返しでは、恩をくれた人にしか返せない。でも恩送りは、今、あなたから、誰にでも必要な人に恩を送れる。
恩を送っても、すぐには自分の元に返ってこないかもしれない。たまに、損をした気持ちになるかもしれない。でも、そうやっていろんな人が生んだ恩送りのバトンがどんどん世界にあふれて、世界をぐるぐる回るって考えたら、それだけで私はなんとなくあたたかい気持ちになるのだ。