この記事は、こくみん共済 coop × noteの「#たすけてくれてありがとう」コンテストの参考作品として書かせていただきました。

2016年11月。土埃と魚醤の匂いがするミャンマーの市場で。私は立ち尽くしていた。

車いすに乗る母の背後には、何人ものちびっ子托鉢僧たちが、連なっていた。逃げようとすれば、ついてきて。そしていつの間にか、増えていて。

君たちは、あれか。ピクミンか。

母・ひろ実は困り果てた顔で「どうしよう」と、私に助けを求めた。 私は、見て見ぬフリをした。

私という人間は、理解できない状況に遭遇したら、たとえ実の親であろうとも迷いなく他人のフリができるんだなあ、としみじみ思った。

それはもう、全力で他人を演じた。

演技には自信がなかった私が、ミャンマーの地で、倍賞千恵子を彷彿とさせる名女優になった。

なぜ倍賞千恵子になったかと言うと、話は遡る。とある仕事のご縁で、私たち親子が、ミャンマーへ招かれることとなった。今だから言えるが、当時の感情は「ありがてえ」と「おっかねえ」が、ハーフ&ハーフだった。

ミャンマーは、アジアの最貧国(後発開発途上国)。インフラは、50年前の日本だと言われている。きっと、道路はひび割れだらけ、砂利道だらけ。エレベーターどころか、スロープさえあるのか、怪しい。

だめだ。

どうやっても、母が車いすで移動できる想像がつかなかった。

おっかねえ。

しかし、私と母の海外出張は、いつも二人で1セット。ペーが喋るならパーも。ミッチーが出るならサッチーも。ひろ実が行くなら、奈美も行かなければいけない。

私は腹をくくって、ミャンマーへと飛んだ。

ヤンゴン国際空港に降り立ち、迎えのバスに乗って、車窓から眺めた街のバリアフリー。出国前の想像と、寸分違わない絶望っぷりだった。

「そら見たことか!」を、口にする日が来るとは思わなかった。

目的地のレストランに到着して、バスを降りた私と母は。さあこれからどうやって移動しようかな、で頭がいっぱいだった。なんてったって仕事として呼んでいただいているので、車いすでの移動にもたついて、周りの方々を待たせるわけにはいかないのだ。

しかし、その心配は秒で終わった。秒で2人の青年がやって来て。秒で母の車いすを押して行った。

えっ?

あまりのスムーズすぎる流れに、私は「オカンが盗まれた!」と思った。

もちろん、全く盗まれてはおらず。青年たちの手によって、あれよあれよと言う間に、車いすは急な坂道を越えて。

レストランの奥まった席に、キョトン顔で母が鎮座した。あんなキョトン顔ができるのは、深田恭子か岸田ひろ実くらいだと思う。

すごく良く気がつく青年なんだな、と思っていた。国際結婚でもしてくれねえかな、と呑気に考えていた。

でも、ミャンマーで過ごす内に、様子がおかしいことに気がついた。

結論から言うと、ミャンマーに滞在した5日間。屋外で、母が自分の手で車いすをこいだ時間は、なんと5分以下だった。こいでない。

母、全然、自分でこいでない。

寺院、学校、ホテル、農村、病院。いろんなところへ行ったが、バスから降りた瞬間、車いすを押してくれる人が現れる。

しかも、店員さんとかじゃない。普通の。普通の通りすがりの人が。どこからともなく、現れる。男性も、女性も、大人も、子どもも。「いやあんたが大丈夫か」と心配したくなるような、ガタガタのお但さんまでも。

そんで、何も言わず、当たり前のように。坂道では車いすを押し、階段では車いすを持ち上げ、去っていく。

だから、どんな道でも、車いすで不自由しなかった。それに、もっと不思議なことがあった。「ありがとう」と母が伝えると、助けてくれた人はキョトン顔をするのだ。深田恭子も岸田ひろ実も超える、キョトン顔だ。

日本では何もかもが、ありえない。

「この国では、車いすを押すフラッシュモブでも流行ってるんですか?」と、ミャンマー人の通訳 さんに尋ねたら、やっぱりキョトン顔をされた。

真相は、ミャンマーの宗教上の考え方にあった。

ミャンマー人の90%近くは、仏教を強く信仰している。それも日本とは違う、上座部仏教だ。輪廻転生を信じ、現世で徳を積めば、より良い来世を送ることができると考えられている。

そう。彼らは皆、徳を積んでいたのだ。車いすに乗る母を、助けることによって。

バリアだらけの街で、車いすに乗っている母は、絶好の積み徳ボーナスチャンスだったのだ。スーパーマリオブラザーズで言うところの、1upキノコだ。

彼らは、彼ら自身の来世のために助けたまでだから、お礼を言われる方がめずらしいそうだ。だからあの反応だったのか、と納得した。なにがフラッシュモブだ。私のバカ!

私と母は二人して「めちゃくちゃ優しい国じゃないですか!」と絶賛した。すると、通訳さんは、苦く笑った。

「でも、車いすで移動しているミャンマー人はほとんど見かけないでしょう?」
言われてみれば、そうだ。
車いすで移動しているのは母くらいで、たまに見かけても、それは外国からの観光客だった。
「輪廻転生には、障害者は前世で悪いことをした人、という考え方もあるからね。困っていたら
助けるけど、障害者と一緒に働いたり、暮らしたりって思う人は、ほとんどいないの」

衝撃だった。

ミャンマーの農村地域では、障害者が生まれると「家族の恥」として、死ぬまで閉じ込めて隠し通すこともあるそうだ。
上座部仏教にもとづいた助け合いのおかげで、私たち親子はミャンマーで何不自由なく滞在することができたけど、それは皆が生きやすい社会とはイコールにならない。

滞在最終日、お土産を買うために市場へ赴いた。そこで、冒頭のちびっ子托鉢ピクミン事件だ。
理由をちびっ子の一人に訪ねた。彼は母の車いすを指さした。

「こんな乗り物、初めて見た!これに乗ってるってことは、えらい人なんでしょう?王様とか!」
なんと、車いすに乗る母様は、馬車に乗る王様と思われていた。本当の助け合いって、なんだろうな。この出張を境に、私と母は、考え始めた。

2019年5月。私たち親子は、ニューヨークにやって来た。街のバリアフリーは、設備や道路には古さが残るものの、ミャンマーに比べればずっと進んでいた。でも、お店の入り口には2段以上の段差があったり、重い扉があったり、地下鉄のエレベーターに至ってはほとんどが故障中で、困る場面もそこそこあった。どうしようかな、と立ち止まってみたけど。道行くニューヨーカーたちは、足早に通り過ぎていくだけだった。ミャンマーみたいに、人混みの中から突然誰かが駆け寄ってくることはなかった。

私たちは、とあるコンサートホールに立ち寄った。車いす席などは無く、通されたのは普通のスタンディングエリアだった。当然、車いすに乗っている母からは、アーティストの立つステージは見えない。
最前列なら見えそうだったが、すでに満員で埋まっていた。
「まあ、音だけ聴ければいっか」と、二人で話していると。後ろに立っていた人が、声をかけてくれた。

「そこからじゃ何も見えないでしょ?前に行きましょうよ!」「えっ、でも……他の人に悪いし……」「大丈夫!Excuse meって言えば、ちゃんと譲ってくれるわよ。ニューヨーカーは心が広いから」言うなり、その人は母の車いすを押し「エクスッッッキューズミィイイィィ!」と、叫び始めた。ちなみに、オネエ口調だったが、彼は男性だ。前列の人たちは、最初「なにごとか」と振り返るものの、母の車いすを見るなり「OK!」「Sure!」と、笑顔で譲ってくれた。そして母は、ステージがばっちり見える位置まで移動できてしまったのだ。「ウフフ、私まで前に来れちゃってラッキー、なんちゃって♪」とおどける彼は、めちゃくちゃカッコ良かった。ライブも最高だった。

翌日、別のニューヨーカーが教えてくれた。
ニューヨークは、世界で最も多様な人が入り交じる街。性別、年齢、国籍、宗教が違う人が、当たり前に暮らしてる。街で暮らすホームレスだって沢山いる。
こんなにも多様な人がいるから、考えていることもそれぞれ違う。
だから、いちいち人に声をかけて、手助けを押しつけたりしない。

でも、困っている人となれば話は別。「手伝って!」と助けを求めれば、快く応じてくれる人が多い。

なるほど、と私は唸った。街でニューヨーカーたちが助けてくれなかったのは、冷たいからではなく。私たち親子が、困っていなさそうだから、気に留めなかっただけなんだ。

最初は戸惑っていた母が「なんか、居心地が良い」と笑った。3日目には「私ってニューヨーカーかも」とまで、言い出した。

うん、絶対に違うよ。
母は日本の街にいると、気まずい思いをすることがある。例えば、遠巻きにジロジロと見られること。きっと「あの車いすの人大丈夫かな?」と心配してくれていると思うのだけど。

「大丈夫ですよ!」って、自分から大声で言うわけにもいかないし。ニューヨーカーたちの「車いすに乗っている人だけど、困っていなかったら大丈夫でしょ!」と、さっぱりした対応が、母はなんだか嬉しかったみたいだ。

気づいたことがある。

本当の助け合いって、身体を動かして助けることより、視点を動かして相手のことを思う、なのか も。

母と同じ車いすに乗っている人でも、先回りして助けてほしい人もいれば、放っておいてほしい人もいる。ミャンマーが心地良いか、アメリカが心地良いか、日本が心地良いかも、それぞれ違う。だから、大切なのは、相手の視点に立ってみること。助けなきゃって押しつけるんじゃなくて、見て見ぬフリをするんじゃなくて、きっと一言、尋ねるだけで良い。

「困ってますか?お手伝いしましょうか?」って。
あと、私たちみたいに助けられた方も、相手の視点に立たなければいけないと思う。

以前、つらい話を聞いた。
手助けを押しつけられて腹が立つことがあるかもしれないけど、グッとこらえて「ありがとう、でも私は大丈夫!」という一言があったなら、その高校生はまたどこかで、困っている誰かを助けようと思ってくれたかもしれない。助かる人が、一人でも、増えたかもしれない。

助ける方も、助けられる方も、ほんの少しだけ、視点を動かす。そして、行動する。異国で学んだからこそ、私と母が、まず実践していきたいなと思う、助け合いの形だ。